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その夢は承認欲求の為?(2024年2月29日加筆訂正)

最近、漫画家を自殺に追い込ませたとして叩かれてる脚本家がいますね。
原作クラッシャーとして有名らしく、脚本代表作ドラマは原作ありきのものばかりで、毎回、原作ファンに叩かれていたらしい。
「業界や芸能人に媚び売ってないで、オリジナルで勝負しろ」というポストを多数見かけたので改めて思ったことを書こうと思います。

結論から言うと

才能ないなら諦めろ


です。

私もその1人で、幼少の頃から「絵を描く仕事がしたい」と思い、毎日のように絵を描いていました。独学で、絵画の塾に通っておらず、今思えば、ただの憧れで趣味の範疇でしかなかったのだが、当時はいろんなデザインに触れたり美術館に行ったり、小さいクラブでミニギャラリーやってるのを聞いて絵を飾って貰ったり、レストランで絵を売り出して玉砕したり、デザイナー募集の面接で玉砕したり、あの頃の自分なりに精一杯頑張ったつもりでいた。
そして20代中盤、ギャラリーを含む複合施設で勤務し、同じようにイラストレーターやミュージシャン、プロのPAや照明担当を目指す同僚や、ギャラリーで開催されたプロのアーティストの作品を間近で見て、気が付いた。

私、才能ないや

それ以来、絵は趣味の範疇で楽しんで、ここを辞めたら正社員目指して頑張ろうと、長年の夢を諦めた。
その頃セミナー講師として働いていた、尊敬していた女性の先輩は、舞台女優が夢だったらしく、セミナー講師として腰を据えて働くと決意した際、上司との他愛ない会話でこう言っていた。
「ま、私は舞台女優諦めましたけどね」
そこに葛藤の跡や、悔しさは感じられず、むしろ明るい調子で笑いながらコミカルに、清々しく語っていた姿が強く印象に残った。

そうか、夢って諦めていいんだ

と気付かされた。

世の中、遅咲きの表現者がいて、長い下積みの末、M-1で優勝して一気にスターダムにのし上がったサンドウィッチマンや、40代でデビューしたアーティストMAYA MAXX、会社で働きながら小説を書いてデビューした小説家がいるのも知っている。若いうちはもちろん、年取ってからも夢を追うのを否定はしない。ただ、ふと自分に
「私って、才能ないかも」
と感じたら、スッと身を引くのもありだよ、と言いたい。夢を諦めることは決して悪じゃない。後になって「あの頃は○○になりたかったなあ」と思い出話をするのも悪くない。自分が普通の人間だと感じたなら、普通のまま過ごしたっていいんだよ。世の中、才能ある表舞台の人間が全てじゃない、街に、人に、社会に、家族に貢献してる無名の人だって十分輝いてるよ。

ただ、己の承認欲求を満たしたいがために、手段を選ばず、業界に媚びて、インスタで「表舞台の私頑張ってます☆」アピールして、実力や実績もないのにちゃっかり生き残ってる表現者の死にぞこないは、とっととくたばりなさい、と言いたい。

今回の件は実力で勝ち取った漫画家が、他人の褌で戦う(そして負ける)ような脚本家崩れによって、自殺と言う最悪な形で潰された、という事実に怒りを覚えている。おい日テレ、お前が出したクソ最低原作改悪ドラマ「おせん」を出したこと、一生忘れねえぞ。大好きだったんだよ「おせん」。原作の皮だけ借りてキャストありきのクソドラマ出しやがって。出演者に罪はないが、制作したお前らは一生許さんぞ。

件の脚本家のインスタ画像が出回ってて、それ見たけど、まさに特権意識バリバリの承認欲求モンスターのそれで吐き気したわ。醜いったらないぜ。インスタグラムよりTwitter(現 X)派な私は、ユーモアあるツイートでバズった無名の天才いっぱい見て来たんだ。派手な画像に騙されないぜ。インスタの承認欲求モンスターより、無名のバズったツイートに実力や人間の器を感じるぜ。

所詮人間なんて、承認欲求を抱えた愚かな生き物なんですよ。問題はそれをいかに無くすか。思い返せば、若い頃の私もまた、人知れず承認欲求を抱えた醜いモンスターだったのかも知れない。

今もまた、こうやってnoteに書き込むことで承認欲求を満たしているあたり、一生ものの付き合いになるかもしれない。


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