悲劇のヒロインにならないで
障害者になってしまった人が世の中にはたくさんいる。生まれつきもあるし、後天的なものもある。身体、精神、知的(療養)障害、難病指定。私もそうだ。そしてみんな、一度はこう思ったはずだ。
「何で私が…」
仲の良かったA型の同僚の男性は、30代で事故に遭って膝を壊し、その後の脳梗塞で半身不随になった。入院した病院の屋上で飛び降りを試みようとしたが、体が思うように動かずフェンスを乗り越えられなかった。
自殺することもできないのか、と嘆いていた。
もう一人、生まれつき半身不随の障害を持った女性もいた。
帰りはお母さんが迎えに来ることもあり、そこでお話を聞かせてもらった。生まれつきハンデをもって育った彼女は、何をするにも人よりワンテンポ遅く、早い者勝ちのものの取り合いは必ず負ける、はさみが上手く使えない等で子供の頃にかなり悔しい思いをしていたという。
しかしこの二人、A型の職場では自分を悲観することなく、誰を責めるでもなく、文句や愚痴も言う事なく、飄々と、また黙々と仕事を続けていた。
やる前から「出来なーい、無理ー」とごねたり、上手く出来なくて癇癪起こしたり、自分より出来ない人を責めたりと、難ありな人が多い中で、この二人は自分のペースで文句も言わず仕事をしていた。
私もA型に通所してからの数年間はかなり苦労した。うつで引き込もりが酷く、まず出勤が難しい。常に希死念慮と不安と闘いながら、安定して出勤出来るようになるまで数年掛かった。あと数年で死ぬつもりだし放っておいてくれ、とやる気の出ない自分と闘った数年は本当に苦労した。
医者やA型のサービス管理者は、同じような事を何度も言う。
「自分を治す事が出来るのは、自分でしかないから」
周りがどれだけ援助しても、本人に本気で治そうとする努力が無ければ治らない、ということだ。
SNSでは“闘病垢”と称して、自分の闘病の記録をネットに書き込む人がいる。私もその一人だ。目的は人それぞれだろう。自分の闘病の記録を具体的に残すため、文章化することで自分の状態を整理するため、毎日の習慣として続けている人もいる。
多いのがやはり「同じ境遇の人と繋がりたい」だ。鬱屈とした毎日を、同じ境遇の人と繋がりネット越しで交流することで、共感しあったり楽しみを感じたりするのだろう。
現実世界が辛いなら、せめてSNSでは楽しく過ごしたっていい。SNSにツイートしたり写真を上げたりで、それぞれ楽しんでいるのなら、それで元気が出るのなら、良い事じゃないかと私は思う。特に自己否定が強いタイプの人には有効な手段だと思う。
ただ、自分の経験則で言わせてもらうが、
悲劇のヒロインにはならない方がいい。
今の時代、悲劇のヒロインになっても良い事なんてない。白馬の王子様が助けてくれる展開なんてのも無い。健常者が安定して働けるという保証がない今、心に余裕のない人が多い。良識はあれど、誰かを助ける程の余裕が持てないのが事実だ。みんな自分のことで精一杯である。助けを求めても答えは返ってこないだろう。医者やカウンセラーなどの専門家に掛かり、自力で治す努力をするしか道はない。
自分の病気や障害を、誰かのせいにしても何も始まらない。
過去のトラウマにいつまでも囚われても仕方がない。
きつい事を言うが、それぐらい開き直って前に進むしかないのだ。
本当に自殺したいほど酷く苦しい環境にいる人にはこんな厳しいことは言えない。そういう人には、少しでも環境が良くなるよう、そしてその環境から脱出できるよう、祈るしか出来ない。
でも、そこまでひっ迫した状況でないのなら、自分次第でなんとかなりそうなら、やはり自力で頑張って欲しいと思う。
ちなみに、SNSで悲劇のヒロインになってツイートしようものなら、別の闘病垢から批判が殺到、病気の知識もないような机上の空論害悪ニキにいちゃもん付けられるのがオチである。そういう垢を実際に見たし、私が働いていた職場でもそういう人がいた。他責思考が強い傾向があり、相手の事などお構い無しで自語り、不幸自慢をしていると、最初の内は同情してくれるが、次第に距離を取られてしまい、人が離れていくのだ。
先が見えない世知辛い世の中。それでもやっぱり、少しでも良いから明るく、前向きに闘病生活を続けたいと思う。
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