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大学教育と一般教養について 京都先端科学大学について思うこと




教育改革に乗り出した日本電産の永守重信会長


日本電産株式会社の永守重信会長が、日本の教育や将来を憂い、京都先端科学大学の理事長となって教育改革に乗り出しました。

いずれは京都大学を抜き、ノーベル賞受賞者を輩出すると意気込んでおられます。

永守会長は今の詰め込み教育を否定し、考える力を育てると主張し、また学生を企業の即戦力とすべく、社会に実用的な工学にも力を入れておられるようです。

異分野へ応用することが可能となる教養


もちろん、人々が生きていく上で必要なモノを作り出す工学は大変重要であることは間違いありません。しかし高等教育である大学が学生に教えることは、実用的なことをメインにするのではなく、旧制高校の学生たちが自発的に修養していた哲学を含めた幅広い教養にすべきではないかと思います。

日経の記事で拝見したのですが、「強度を低下させずに部品を10%軽くしたい」といった課題に、4人が1チームになって挑む、という授業内容も、学生が討論や問題の深堀りをする点には大賛成です。

ただし、このような問いは既存企業で考え尽くされていると思われ、ここで新たな着想や飛躍を起こすには、まったく別分野の知識や技術を応用することだと思われます。

専門分野の人たちは、その分野で考えうる大部分のことはすでに試しているはずで、ここで大事なことは、まったく畑違いの技術や知識です。

例えば、2012年にJAXA(ジャクサ)が宇宙に打ち上げた、地球の水蒸気や海面水温を観測する水循環変動観測衛星・しずく(GCOM-W)は、当初予想していなかった使われ方をしています。

それは、衛星からの情報で海水温が広範囲に渡って表示されるため、異なる海流などが接する潮目が判明します。

潮目は、海水が混ざり合って良好な塩分が作られるなどでプランクトンが集まり、そのプランクトンを目当てに小魚が集まり、さらにその小魚を食べる大きな魚が集まり、漁獲量が増えることが知られています。

そのため、漁の当たりを付けるために漁業関係者や漁師が使用しているというのです。

このように、物事の改善やイノベーションの萌芽は、思いもよらない分野の情報や技術をかけ合わせることから起こります。

ミイデラゴミムシという昆虫がいます。

この昆虫は、敵への威嚇や攻撃のため、肛門から高温のガスを発射します。

この原理は、人間が作るロケットの発射方法と同じですが、この昆虫が発するガスという原理を、ロケットというまったく別のモノへ応用する着想は、他の原動機や動力などを調べていても辿り着くことは難しいと思われます。

他の事例として、超音波の技術も挙げられます。

コウモリが暗い場所で飛べるのは、口や鼻から超音波を出し、跳ね返ってきた超音波を耳で受け取り、障害物や仲間を確認しているためであることは良く知られていますが、同じ原理に基づいて、自動車の安全センサー、妊婦さんのエコー検査、魚群探知機、水道管やガス管の不具合検査などの分野で、この超音波の技術が使われています。

これらの技術が実用化に至った時期はそれぞれ違うはずで、まずは誰かが、あの技術はうちのこの製品に活かすことができる、あの技術を使って新しい製品ができる、と言い出すのが始まりのはずです。

もちろん製品化や実用化にまで漕ぎ着けるには、直感やビジネスセンスだけではなく、資金・人材・周辺技術・上役の覚悟など様々なハードルが存在するはずですが、まずは、あるものに掛け合わせる違う分野の知識が必要になります。

新たな着想や発明は既存の知識同士の組み合わせ


このように新たな着想や発明とは、既存の知識と知識の組み合わせであり、特に異分野での知識が重要であり、その土台となる幅広い知識は教養によって育まれます。

つまり、会話のちょっとしたアクセントやプチ自慢にしかならないと考えられている教養こそが、新たな価値を生み出す発見や、また真理を探求していく土台になります。

永守会長は、実際に会社経営という最前線に立って意思決定をしてこられた中で出した大学運営の答えだと思われますが、社会で役に立つか役に立たないかといった視点で大学を考えるのではなく、また教養は役に立たないと切り捨てるのではなく、広い視野に立って教育を考えていくべきだと思います。

数学と人類の利益について問われた天才数学者・岡潔さんの答え


天才数学者と言われた岡潔さんは、数学が人類にとってどんな利益があるのかと問われたとき、

スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ

引用 春宵十話 岡潔


と答えてきたと著書で述べています。

ここで大事なことは、数学の公式は数多く物理に応用されていたり、現代では機械学習に用いられていたりと、数学は実際人類に役立っているということもそうかもしれませんが、自分がこれだと思ったことを突き詰めることや、真理を探求することや、挑戦することの大切さです。

日進月歩を遂げる昨今のAIやロボット技術


そして、日進月歩を遂げる昨今のAI技術などにより、文系の人間であっても、入社後でもデータを自在に扱える時代です。

これらの現象は、モノ作りの現場にもこれから当てはまってくるはずです。

もちろんその道に精通した専門家は必要ですが、象牙の塔に籠もる専門家ではなく、視野の広い専門家を育てるためにも、やはり高等教育では企業に役に立つ実用的な学問をメインにするのではなく、理系文系を問わず教養を重視すべきだと思います。

もちろん、どの大学にも一般教養という名の教養課程は存在します。

しかし、教科書的な内容を一方的に語るだけの講義や、事実の羅列だけで事象の背景を深堀りしない講義などが多いと思われます。

数学や物理の公式を機械的に覚えることに、多くの中高生が拒絶反応を示していますが、その延長を大学でも行っているケースが多いでしょう。

知の幅を広げてくれる教養講義


しかしどんな講義でも、学生の知的好奇心を刺激しながら巻き込んでいける教授は、どの大学にも存在するはずです。

どんな大学にも存在するであろう人気講義を、一般教養の観点から編成し直し、単なる暗記ではない知識の定着を図り、その知識を点と点で結び新たな価値を生み出す土台としていくべきだと思います。

何も大学に行かなくても、多読などによって幅広い教養は身に付きますが、多額のお金を払ってまで大学に通い、教養の講義を受けるのであれば、その教養課程において、学生の知の幅を広げてくれるような、各々の専門分野の知の幅を広げてくれるような講義を行っていくべきだと思います。

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