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一穂ミチ「イエスかノーか半分か」総集篇第三弾「OFF AIR3」発売記念試し読み! 収録短篇「Cake on the peak」まるごと公開☆

気鋭の映像作家×猫かぶりアナウンサーの、テレビ局を舞台にした大人気BL小説シリーズ『イエスかノーか半分か』。本作の同人誌や特典ペーパー、サイト掲載SSなどを集めた総集篇第三弾『OFF AIR3 イエスかノーか半分か』が発売になりました! 通常版に加え、劇場アニメ「イエスかノーか半分か」DVD付き特装版も数量限定で同時発売です!
さらに『OFF AIR3』発売記念の電子書籍セールも実施中☆ 『イエスかノーか半分か』シリーズをはじめ、一穂ミチ先生のBL小説がお得に読めるチャンスです。
このnoteでは、『OFF AIR3』に収録の短篇『Cake on the peak』をまるごと試し読み公開いたします! 最後に電子書籍セール情報もご案内しているので、ぜひチェックしてください!

★『Cake on the peak』試し読み

『今度の週末、俺の誕生祝いしてもらうんですけど、パイセンも俺を祝福に駆けつけます?』
『命日なら行ってやる』
 仕事帰りのタクシー車中という手持ち無沙汰ぶさたな時間ながら、こうるさいこまからのくだらないLINEに目を通し、返信を作成するために十秒も浪費してしまった。送信をタップするまでのごく個人的なためらいは、二十秒。もちろん行くかどうかではない。そろそろコンタクトを拒否したいところだが、仕事関係の情報や連絡で重宝する時があるのも事実なのが悩ましい。
 家に帰ると、うしおが玄関先に来るなり「皆川みながわからLINE来てたぞ」と言う。
「誕パするって。行く?」
 こいつにまで招集かけてんのかあのアホは。今度、潮の携帯だけでもこっそりブロック&着拒ちゃっきょしてやると思った。
「行くわけねーだろ、バカバカしい」
「まあそう言うわな」
 シャワーを浴びて汗を流すと、食卓にはけまぐろの載ったごはんが用意されていた。
「暑いから、冷やし茶漬けな。そっちの、あられ増量のがお前の」
 つめたいだしをかけて食べながら、けいは潮に尋ねた。
「お前はどうすんだよ」
「何が?」
「だから……皆川の誕生日」
国江田くにえださんが行かねーなら行かねー、つか行けねーだろ。番組スタッフばっかの集まりらしいし」
「んなこと気にする柄かよ」
 竜起たつきは初対面の群れにでも飛び込んであれよあれよと中心に収まってしまうタイプだが、潮はたぶん、保護色をまとってすんなり溶け込んでしまう。浮くでも目立つでもなく、まるで昔からの知り合いだったみたいにしっくりなじむに違いない。何だ、座敷童子ざしきわらしか、ぬらりひょんか。
「それに、知ってる顔だっているだろ」
「え、なに、お前、ほんとは行きてーの?」
「なわけねーだろ。……お前が、何かこう、連帯責任的に、遠慮して行かないっつってんなら、別にそーゆー気遣いいらねーからっていう意味」
 はあ、と潮は要領を得ない応答だった。何言ってんだこいつ、という顔つき。計だってそう思う。お茶漬けを急いでかっ込んだ。

「ひょっとしてお前、先週の電話聞いてた?」
 ベッドの中で潮が尋ねた。聞いてねえよ、と計は否定する。
「トイレに立ったらたまたま聞こえてきただけ!」
「いやまあ微妙なニュアンスは置いといて」
 隣の部屋からたまたま(強調)聞こえてきた会話の相手はもちろん知りようがないのだが、潮はこう言っていた。
 ――……え、日付またぐ? じゃあ駄目だな。夕方から十一時くらいじゃないと身体かない。土日は基本無理。……え? うん、今はそういう生活。夜遊びはいいや。健康的だろ。
 何かの誘いを断った、ということだけははっきり分かった。そしてそれが、計のためだろうということも。平日は毎日、家を出る時も帰ってくる時も、潮がいる。地下で仕事をしている場合もあるが、本当の「不在」じゃない。
 そういえば、引っ越して一年ほどになるけれど、潮の部屋に誰かが来て、カモフラージュ用の本棚が活用されたようすもない。別々に暮らしていた時は、打ち合わせや顔合わせをしていたし、それこそかつての国江田さんみたいに、時には撮影クルーがお邪魔したり。誰かが来てたな、という気配を、ちょいちょい感じた。手土産っぽいお菓子が冷蔵庫にあったり、真新しい名刺がパソコンのモニターに留めてあったり、いつも使わないソーサーつきのカップが流しに置いてあったり。そういう、いわば「外向き」の潮が全然見えない、とその夜計はベッドに戻ってから思い至ったのだった。もちろん、生活の用事以外でも外出はするのだろうが、電話のとおり、確実に計が働いている時間帯にすませているらしい。
「お前、そんな引きこもり体質じゃなかっただろ」
 それなりに顔が広く、いろんな知り合いがいるタイプのはずだった。
「いや、外には出てるけど。エレベーターないとこに仕事相手呼ぶのも気が引けるし」
「じゃあ旅行とかは?」
「北海道行っただろ」
「仕事じゃねーか」
「あ、静岡も」
「帰省じゃねーか」
「んー……そう言われてもな」
 潮は困ったように目線を上に逃がした。
「てか逆に、俺にどっか行ってほしいわけ?」
「別に……」
「たまにはひとりで羽伸ばしたい? これ以上伸びきらないほどゆるゆるだけど」
「うっさい」
 そんなの、いつもいるほうがいいに決まっている。でも、何かしら潮の中で我慢や義務感が生じているのなら、それはいただけない、というかたなくなるんじゃないかと危惧きぐしているだけだ。計は否応いやおうなく外にも行かされるし泊まりもやむを得ない仕事だからいっそう思う。不公平じゃね。潮の羽こそが丸まって固まってやしないかと、心配なのだ。素直に言えないだけで。
「行ってほしくないんならそれでいいじゃん」
「いいけど!」
 その時、枕元にあった潮の携帯が通知音を鳴らした。
「あ、皆川からLINEだ」
 そう聞くなり、携帯を奪い取って先に覗き込む。計に宛てたのと似たような文面のお誘いに、潮は「ごめんパス。誕生日おめでとう」と返していて、竜起からはさらに「そっかー、パイセン来てくんないんだから都築つづきさんも来ませんよねー」と届いていた。
「何じゃこりゃあ!」と計はいきどおる。
「なにこの、お前の自由意志がない感じ! さも俺が束縛そくばくしてる的な!」
「んなふかく考えてねーって。寝よーぜ、もう遅いんだから」
 計をシーツに押しつけてぽんぽん肩を叩く。
「おいっ」
「何だよ」
「い、いつまでも、お前が雲隠れすんじゃねーかとか、俺が心配してると思ったら大間違いなんだからな! こっちはもうとっくに克服してんだよ!」
「あーそうか、よかったよかった」
「でも泊まるホテルと戻り時間と乗る電車まで報告しろよ!」
「追跡アプリでも何でも入れてくれ」
 潮はめんどくさそうに計を抱き寄せる。めんどくさそうではあるが、ぎゅうぎゅう力強い。おい、眠れねーだろが。
「……よかった」
 計の髪を撫でて、もう一度つぶやいた。

 翌日、そろそろ出勤準備を始めようかという時、母親から電話があった。
『テーマパークのチケットもらったけど、使う?』
「パルパルじゃねーだろうな」
『違うわよ』
「どっちにしてもいらねーに決まってるけど」
『たまには都築くんとどっか行ってくれば?』
「行くにしてもテーマパークはねえわ。つか出かけてるし、うちとか」
『うちに来たって、観光案内してあげるでもなく、食っちゃ寝してるだけのくせに』
「本人がいいっつってんだからいいんだよ」
『計につき合わされてインドアなんて、かわいそうじゃない』
「余計なお世話だ」
『そのうち愛想あいそ尽かされないように、親切で言ってあげてんのよ。お母さん、こう見えて実は結構計のこと好きだからね』
 ありがとうよ。
 計は電話を切ると、風呂場で洗濯物を干していた潮に「おい」と呼びかけた。
「やっぱり、早急にどっか行って正枝まさえに土産買ってこい。ペナントとか温度計とか木刀ぼくとうとか、なるべくいらないやつがいい」
「は? 何でわざわざ好感度下げなきゃいけないんだよ」
「俺が悪者になってるから。お前をかごの中のかぶとむしにしてると思われてるから」
「鳥でなく?」
「かわいい表現にしたくなかったんだよ!」
「どっかって、たとえば?」
「……パルパル?」
「どこだよ」
 洗濯物を干し終えると、潮は「今仕事入ってるし」と言う。
「終わったら……そーだな、じゃあ七月末ぐらいに、アウトドアでもしよっかな。久々に」
「おう、しろしろ」
 アウトドア、素晴らしい。何がって、計は絶対にしたくないあたりが。放牧感満載だ。でもちゃんと帰ってこいよ。
「あー、楽しみになってきた。道具買っちゃおうかな。お前、当日になって文句言うなよ」
「言わねーけど、言っとくけど、俺は行かないからな?」
「はいはい」
 念押しを聞き流し、彼氏はご機嫌で鼻歌など歌い始めた。

「晴れてよかったな。じゃ、行ってくる」
「……おう」
 予告どおり、七月最後の土曜、潮はでかいバックパックとクーラーボックスを持って家を出た。予告どおりではあったのだが、お出かけを要請した計のほうではそんなことはすっかり忘れていた。昼寝して起きたら潮が何やら荷造りをしているのを見て一瞬「また引っ越しすんだっけ?」と寝ぼけた頭で考えたくらいには、勢い任せの適当な発言だったということだ。しかしさすがに自分でも今さら「別にもういいぞ」とは言えないのでぼんやりと見送った後、キッチンに立ってコーヒーを飲む。自分でれるのは久しぶりだった。
 窓辺に立ってブラインドを上げると、外はもう夕方の景色だった。グレーの雲のふちが残照ざんしょうで光り、まぶしい。もうじき、すみれ色の夜がやってくる。こんなゆっくり出かけて、着く頃は真っ暗じゃねーの。まあ、アウトドアたって、そんなガチじゃないのかも……まだえきっていなかった頭が、そこではっと目覚めきる。
 行き先、聞いてねーし。いつ帰ってくるのかも。今から出かけて一泊じゃあまりに慌ただしいから、ひょっとすると月曜の朝に帰ってくるつもりだったりして。書き置きも携帯へのメッセージもなかったので、計はいらっとして電話をかける。報告しろっつったのに。しかし、呼び出し音は隣の部屋から聞こえてきた。放置かい。ひょっとしてわざとか? あの野郎、鍵取り換えて締め出すぞ。
 そもそもマイルドに締め出したのはこっちなのだが、そんなことを考えて悶々もんもんとしていると、玄関の鍵が開いて飛び上がりそうに驚いた。何だ、テレパシーでばれたか? なわけない、きっと忘れものに気づいたのだろう。馬鹿め。計は親切にも潮の携帯を取ってきてやる。
「忘れもんしてんじゃねーよ、あと、」
 と、行き先も何も告げていない件をとがめようとすると、潮は「行くぞ」と言った。
「あ、携帯はいいや、置いといて。お前も置いとけよ」
「は?」
「準備できたから」
 準備ってまさか、車の? いやいや行かねーよ、そういう話だっただろ。
「アホか、アウトドアなんかするわけねーだろ」
「半分インみたいなもんだから」
「は?」
 流行はやりのグランピングとかに連れ出すつもりだろうか。至れり尽くせりの何ちゃってアウトドア、それでもいやなものはいやだ。
「来れば分かるから」
「おい!」
 強引に計の手を摑んでドアの外に引っ張り出し、階段へ向かう――しかし下へ続く内階段ではなく、外の螺旋らせん階段だ。それをかんかん上り、ビルの屋上に出ると、真ん中にテントが設置されていた。
「おうちアウトドア」
 潮が得意げに笑う。
「え……まさかここで泊まる気じゃねーだろうな」
「便利だろ。いつもよりちょっと上がっただけで、眺め新鮮だし」
「バカじゃねーの!?」
「バカでいいよ、絶対楽しいし」
 ほらほら、とせっつかれてテントの中に入るとちょうど大人ふたり用のサイズで、マットが敷いてあり、LEDランタンがぶら下がり、ポータブルの扇風機せんぷうきまで回っていた。
「快適だろ?」
 確かに隠れ家っぽくてくすぐられはするが、問題はちっとも隠れていないこと。
「周りから丸見えなんだけど!」
「中入っちゃえば見えねーし、このへん低層ていそうの雑居ビルばっかじゃん。土日はそんなに人もいないって。そもそも屋上でテント張ってるのなんか、洗濯物がひらめいてんのと大して変わんねーよ」
「全然違うわ」
 落ち着かない、帰る、と言い張ってもよかったのだが、潮の「今からめしつくるけど」というひと言で心がぴくっと動いた。家に戻っても、何かしら食べるものくらいはある、けれど。
「外で食うとうまいぞー」
「一緒だ」
「んなことねーって。できたら呼ぶから、気になるんなら中入って閉め切ってれば?」
 そしてなおも計がためらっていると「せっかく準備したのにひとりめし寂しいなー、いろいろ楽しみにしてたのに」などと嘘くさい口調で情に訴えてきて、こんなにも嘘くさいのに計は突っぱねられない。
「……これじゃいつもどおりで、意味ねーじゃん」
「遊ぶのに意味なんかねーだろ。結局、国江田さんと遊んでるのがいちばん楽しい、それだけだよ」
 笑う潮の後ろで、澄んだ夕闇がじわじわ下りてくる。暮れなずんでいた空のスクリーンが夜の部に入れ替わろうとしていた。
「……めしだけだぞ、食ったら帰る」
「はいはい」
 テントの中で腹ばいに寝そべり、入り口のジッパーをすこしだけ開けてようすを窺っていると、潮は折りたたみのチェアに座り、折りたたみのテーブルを広げてその上でコッヘルをバーナーにかける。トマトジュースとあさりの水煮缶で袋ラーメンを煮込むと、パセリと粉チーズを振ってできあがり。
「そこ、マグカップあるから取って。フォークと、お前のぶんの椅子も」
 空が暗くなり始めていたので、最初よりは抵抗なくテントから這い出る。
 つくる、というほどの工程でもなく、しごく単純な夕食なのに、それはとても魅力的に見えて実際うまかった。さえぎられず、自然の風に流れて溶けていく湯気、天井のないところで、アルミのカップに取ってずるずるすするラーメン。山でも海でもないのに、こうしてひらけた場所で、全身が夜におおわれていく感覚はすこしおっかなく、そして何ともいえず自由だった。
「この道具一式、まさか買ったんじゃねーだろうな」
「レンタルとか、あと友達に借りたり」
 ちゃんと交友が続いているらしいことにほっとした。会いたいとも話したいとも思わないし、話題に出してほしくない自分も確かにいるのだけれど。
「つか、ちゃんと遊びに行ってるって証拠をかーちゃんに見せねーと……」
「携帯持ってきて写真撮るか?」
「こんなとこでテント張ってる写真なんかいっそう哀れまれるわ」
「いや、背景はいくらでも合成してやるよ。富士山でもワイキキでも」
 Tシャツにジャージ姿なのにか。
「シュールすぎるわ」
「ま、デザートでも食えよ」
 クーラーボックスからチョコモナカジャンボが出てくる。ほんとはこいつ、ドラえもんなのかな? チャック開けたら青い二頭身が入ってんのかな? しかし国江田さんがのびであるわけはないので、その妄想をすぐに捨てて半分こしたアイスをぱりぱり食べた。でも、本当にロボットの友達を、駄目さや弱さを許してくれるただひとりの相手を必要としているのは、駄目さや弱さを表に出せない人間だろうとは思う。
 いつもは飲まないウイスキーも、野外で、スキレットからいでもらうとおいしい。テーブルの上にはランタンが、足下では取り線香がともっている。街明かりのせいでちらちら貧相ひんそうな東京の星も、定点から見上げていればそれなりに見えてくる。
「屋上の鍵って、お前しか持ってねーの」
「たぶん。あと管理会社と?」
「えこひいきだな」
「そう」
 お坊ちゃまだから、と潮は冗談めかして笑った。
「ここに上がるの、好きだったんだと思う。ばあちゃんからもらった鍵の中でこれがいちばん古いから、ずっと換えてないままなんだろうな」
 誰が、とは言わない。
「夢なのか記憶なのか、自分でつくった記憶なのか分かんねえけど、ここで遊んでたような気がするんだ」
 ずっと昔の景色をもどかしく探すように遠い目をして言う。
「台風が来てるみたいなくもり空で、風が強くて、敷いてたレジャーシートが……あの、赤とか青のストライプの、ありふれたやつな、あれがふわって巻き上げられて、どっか飛んでいった。母親は、じっと立ったまま、それを見てた。髪の毛がびゅうびゅう風に吹かれてた」
 これから起こる変化のきざしだったのか、それとももう起こってしまっていて、何らかの葛󠄀藤かっとうや覚悟をもって、遠ざかるものを見送っていたのか。現実の光景なのかどうかも分からないのだから、考えたって仕方ないけれど。
「……おし、そろそろテント入るか」
「帰る」
「ここにいたら、あしたの朝はラーメンスープの残りでリゾットだぞ」
「どこまでも卑怯な手を……!」
「こんな単純な胃袋、今まで誰にも摑まれてなかったのが奇跡だな」
 というわけで椅子とテーブルを撤去てっきょしてテントに戻ると、潮はランタンを消し、代わりに別のライトをつけた。
「あ」
 すそが広がったかまぼこ型をしたテントの内部を、ちいさな光の粒が巡る。昔に景品でもらったバスライトだった。風呂じゃない場所で一度使って、それっきりどこにしまい込んだかすら忘れていた程度のしろものだが、潮はちゃんとお引っ越し荷物に混ぜていたらしい。
「よく持ってたな」
「懐かしいだろ」
 携帯が手元にないと、仕事の緊急連絡がきてやしないかとどうしてもそわそわしてしまうのだが、ラジオをつけているので、速報級のネタが飛び込んできたらさすがに分かるだろうと自分を落ち着かせる。夜風がポリエステルのテントをはためかせるたび、頼りないものに遮られて家の屋上にいるという現実をふしぎに思った。
 キャンプ、したな、小学校ん時。林間学校か、校外学習だかの名目で。微妙にしんの残ったはんごうのごはん、しゃぶしゃぶした黄色いカレー、全然おいしくなかった。夜になったらキャンプファイヤーで歌わされる意味が分からなかった。火囲んで喜ぶとか、原始人かよ。こんなもよおしを楽しく感じる機会は一生ないと思っていて、今もまあ、そうなんだけど。
「……あっ」
 つま先に違和感を感じて声を上げる。
「どした?」
「かゆい」
 裸足の親指を、蚊に刺されたらしい。暗くて見えにくいが、ライトの光がやってくるのを狙って足をかざすと、ぷくっと赤くれていた。また、うっとうしいとこから吸いやがって。
「蚊取り線香いてんのにな。蚊も珍味に惹かれんのかな?」
「どーゆー意味だ」
「待ってろ、薬持ってるから」
 ほんとに何でも持ってんな。潮はバックパックを探り、塩の小袋を取り出した。ゆで卵とかについてるやつ。
「薬じゃねーじゃん」
「塩ったらすぐ治るんだよ」
 指先で、計の足指にざりざり塩をすり込む。すると、すうっとかゆみが引いていくのが分かった。
「効いただろ?」
「……まあまあ」
 顔を上げた潮と、目が合う。ついさっきまでと違う光が、そこに宿っているのを感じる。塩の残った指が唇の間に差し込まれ、計はそれをめ取り、軽く嚙む。

 ライトはいつの間にか消されていた。でも真っ暗闇かといえばそうではなく、テントの天井が開いている。正確には、内側から屋根を一枚めくると、目の細かい黒いメッシュ地になって空が眺められる仕様だった。都会の星明かりも捨てたもんじゃない、でもそれを遮るのは、計の上で動く潮の頭や肩だったりする。
「て、天井、閉めろ……っ」
「せっかくだからロケーション満喫しろよ」
「やだっ、て――あ、あっ……」
 近くに光源はないし、特殊部隊で使うようなカメラででも覗かなければ、天幕の内側で行われている不埒ふらちなどばれようもない。でも当然心配、だからこそ興奮させられてしまう。空が見える、星が見える、肌を包む空気には、生々しい夜のにおいがして、世界が間近だ。ああ、こんなの絶対おかしい、のに。
だまされた……っ、お前、単にアオカンしたかっただけじゃねーか……!」
「国江田さんの口からそんな単語出ると燃えるな、もっと言って」
「あ、や、ばかっ……」
 もう、絶対、絶対、お前と外で遊んでなんかやらないからな。

 無体を働かれたうえ、早朝に起こされた。
「ラジオ体操の時間だよー」
「うるさい……」
 今さらそんな健全な誘いしてくんじゃねえよ、白々しらじらしい。毛布をかぶって無視していると、潮は外に椅子とテーブルを運び出し、何やら支度を始める。ごりごり音がしたかと思うと、やがていい香りがテントの中に漂ってきた。
「……だから! 卑怯なんだよ!」
 わざわざ豆いてコーヒーなんか淹れやがって、何だその、打って変わったさわやかさは。でもひと口飲んだら「ふう」なんて息をついてしまう。
「運動したから腹減っただろ、めしつくるな」
「やかましい」
 ちいさなおうちのてっぺんでの、ちいさな旅はこれにて放送終了。

『OFF AIR3』一穂ミチ:著 竹美家らら:イラスト(新書館)より

この続きをぜひお楽しみください!

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