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生活を描くドラマ作品について、もう少し。

 この前投稿した【ボリュームを一つ上げる 〜SIX LOUNGE〜】で少し触れたんですが。僕は生活を描いてるドラマ作品が大好きで、中でも確信的に好きだと断言するきっかけになったのが坂元裕二さんという脚本家にハマった時だったんですよね。


本来は記事の中でもっともっと好きなドラマや坂元作品の素晴らしさについて語りたいと思ったのですが、書いているうちに文字数が5000字を超えてしまったのでこれでは流石に内容の本質を見失い兼ねないと思い、泣く泣くデリートキーを連打した次第です。(あと、普段から3000字以内にまとめるという自己目標を立てています)


せっかくそれだけ書いたのなら別記事で掘り下げても良いかもしれないなぁと思って今回の記事を書いてます。
普段書いてる音楽の記事とはだいぶ駆け離れた内容になります、というか音楽については一切触れない可能性すらあります。
そこだけはご了承くださいませ。




 まずは全ての根源である坂元作品にのめり込んだきっかけと、何故そんなに惹かれるのかという理由について話していこうと思います。


作品は沢山あるのですが、僕は「いつかこの恋を思い出して泣いてしまう」というドラマがきっかけでした。
大抵の人は「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「Woman」といったような誰もが一度は名前を聞いたことがある作品から入る人が多いと思うんですが僕は「いつ恋」で惚れ込み、後に有名作品を追うという流れを踏むことになりました。


そんな作品たちの何に惹かれたのかというと、良い意味ですごくドラマっぽく無いんですよ、どの作品も。
突飛な表現やBGMがとても少ない。ただ普通に生活があって、普通に人がいて、普通に人生の上り坂と下り坂が来て、普通に恋をして。出てくる人達が良い意味で普通の人なんです。


事件や物事を通過しながらも最後まで生活を貫く。でも、面白いドラマとしてしっかり成立しているということに只ならぬ美学を感じてのめり込みました。


ドラマをみていてそういう感性が産まれたことが僕にとって初めての体験だったのでそこも惹かれた一つの理由なんだろうなと思います。


なんでそういう風に見えるのかなーと考えてみたのですが、出てくる登場人物の中に1人は自分に似てる人が存在するからリアルに感じるんだという結論に至りました。ネチネチしてたり、引くくらいの過去があったり、ちょっとポエミーだったり、異常なほど倫理的だったり、感受性が爆発していたり。


「わかるなぁ」が必ず1人は居るという感覚は僕にとってとても新鮮でした。
普通、ドラマに出てくる登場人物を見ていて思う感情は「この人、凄いなぁ」とか「こんな人、現実にいたら良いなぁ」とかそういった非現実性を楽しむものじゃないですか。
昔は度が過ぎるキャラクターやストーリーを見てると現実味がなさすぎて興醒めしてしまい、次の話を録画機で再生するまでに時間がかかってしまうことがしばしばあったのですが、今は現実から遠いキャラクター性に夢を感じて楽しむものがドラマだという認識をしてます。


なので、「わかるなぁ」という気持ちはドラマというコンテンツでは案外遠い感情だったりするのかなーと思ってたんですけど、坂元作品に出会ってその考えは余計な固定概念だったんだなーと痛感しました。


人間って本質的なもので自分と似てる人に無意識に惹かれたり安心感を覚えるらしいんですよ。
僕は人よりもその傾向が強い気がします。逆を言うと「なんで分かってもらえないんだろうなぁ」という気持ちに対してかなりストレスを感じてしまうので、基本的に衝突を避けながらこれまで生きてきました。
ここだけは譲れないと思う時はしっかりと戦ってきたのですが、そうで無いなら基本的に僕は負けを選びます。
今この場で負けることによるストレス、勝つことによるストレス。どっちの方が僕にダメージがデカいだろうか?と、その場で天秤にかけて選択し、6割くらいの確率で負けることを選びます。
負けることによって結果的に自分を守ってるかなり臆病な人間なんです。(勝つことによって相手がストレスを感じてることにすらストレスを感じるので勝つストレスという表現をしてます。)


そんな性格でこれまで生きてきたので「こいつとは絶対気が合うだろうなぁ!」という気持ちをドラマを見て感じる事ができるのは僕にとってかなりの大きな感動だったんです。
そして、そういうドラマを見ているとかなりストレスが緩和されて癒やされることにその時気づき、今ではストレス発散としても坂元作品ドラマはとっても大切な存在になってます。


作品的な面白さに感動するだけじゃなく、僕の体調管理までしてくれる坂元さんのドラマはある意味で特効薬のような感覚です。






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あとは監督とか関係なしに熱量があるものが好きです。
作ってる人が伝えたいメッセージとか掛けている思いを肌でしっかり感じられるものが好きです。


これはドラマだけじゃなくていろんなものに通じて言えることで、そういうものを見てると心が再生していくんですよ。


僕は心も体も経験もまだまだ青二才なので無双モードで突っ走れる時もあれば些細なことでメンタルが落ち込んで自堕落な生活になってしまう時もあります。
そうなってくると自分の内に溜まっている膿のようなものが如実に見え始めて、それを見てまたはぁとため息をついて、そんなループが結構長い期間続いてしまうんです。生活の質も下がるのでずっとイケイケモードで行けるのであればありたいのですが。


そんなとき僕は堕ちた気持ちにお札を貼って封印する作業が必要になってくるのですが、そのお札は自分の内側で生成できるものじゃないということに最近気づいたんですよ。
考えてみた結果、そのために必要なのが熱量のあるコンテンツだったりするのかなーっていう結論に至りました。


生活ドラマは結構僕の中では大切なお札の一つだと言えます。誰かの生活を追体験してるような気持ちになれるのは自分のことを考える暇が無くなるのでかなりリフレッシュできるし、何より自分よりも壮絶な人生を生きてる人間がウヨウヨ出てくるので「自分なんて全然マジョリティだなぁ。」と思い切る事ができるんですね。
あ、そういえばこんな話もいつかしましたね。下に過去の記事載せておきます。




過去記事を紹介するnoteみたいになっちゃいましたね。



まぁでも何が言いたいかというと。
ドラマも音楽も、他にもたくさんのコンテンツがあるけれどたくさんの人間が関与して一生懸命作ってるものはすごく伝わるし、そういう存在に勇気をもらって生きてる人っていうのは少なからずいるよなぁって話です。


あんまり言いたくないけど、そういう熱量のあるコンテンツや人を批判する人って大抵が大した事ない輩なんですよね。
低空飛行してる輩が高く飛ぼうとしてる人を笑ってるのを見てると、かわいそうだなぁって思います。もう、本当にかわいそうです。それ以上の言葉が浮かびません。


僕は僕なので、これからもドラマは生活ドラマ一択です。
でもそれは他のジャンルを否定するということではありません。医療ドラマも、刑事ドラマも、恋愛ドラマも。それぞれの良さがあって、さまざまな人の心の中で輝いてる、という事で良いのではないでしょうかね。


ぬるっとした締めになってしまいましたがこれで終わります。
最後まで読んでくれてありがとうございました。





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