痛いと必ず泣くようになるわけではない

息子も娘も、痛みで泣くことはない(娘は悲しさで泣くことはあるけど)。予防注射で順番を待ってると子どもたちの泣き叫ぶ声が聞こえてくるけど、うちの子は平然。注射を打たれたその時は少し顔を歪めるけど、終わったらもう忘れてる感じ。転んだり頭をぶつけても泣くことはない。子どもの頃の私と大違い。

私はある仮説を持っていた。ちょっとの痛い目でも遭うと泣く子がいるのは、痛いから泣くのではなく、甘えるためではないか、と。
痛い目に遭うと痛みをついつい見つめてしまう。するとさらに痛く感じ、不安から泣いてしまう。泣くと「痛かったね」と親があやしてくれる。するともっと構ってほしくてもっと泣く。

それを繰り返すうち、痛い目に遭う→痛みを見つめる→痛みが増す→不安から泣く→泣くと親があやす→もっと甘えたくて泣く、というスキームができてしまって、痛ければともかく泣く、ということが習慣化してしまうのかも、と。
そこで私は、息子で実験してみることに。

初めての予防注射に同行。息子は何も知らず、注射針が腕に刺さるのを見つめてる。刺さってしばらくして顔をしかめた時には針が抜けた。今だ!
私は息子を抱きかかえグルンと向きを変え、「お!これは何だ?」と、息子の視線を変えた。息子はそちらに気を取られ、もう注射の痛みを忘れた。

注射に限らず、息子が(ケガしない程度に)痛い目に遭うとすぐさま「視線をそらす」「気を逸らす」ようにした。痛みを見つめる間を与えず「何?何か面白いことがあるの?」と気をそらすと、痛みは忘れてしまった。
そのうち、痛い思いをしたとしても、「泣く」ということとつながらなくなった。

あやすというのは優しい行為のようで、痛みをずっと意識させる、痛みをずっと見つめさせることになり、むしろさらに痛くなる。また、あやしてくれるのは心地よい。甘えられるから。だから、泣けば泣くほどあやしてもらえるという依存関係が構築されやすいのかも。

娘の時も同様に「視線をそらす」ようにしたら、娘も注射だとか転んだとかの痛みで泣く習慣はつかなかった。
まあ、2反復しかデータが取れてないので、証明されたとは言えない仮説。ただ、視線をそらすというのは、ただ痛いだけの、ケガしてるわけじゃない時なら、有効な方法だと思う。

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