先生は一斉授業をやめ、「驚き屋」になる

小学校の内容からやり直すと、公立中学で最下位水準だった子どもでも中学、高校の内容にもついていけた、ということをつぶやいたところ、「ついていけない子は留年させればよいのに」というご意見が複数。私は少し考え、留年よりももっと良い方法があるように思う。
https://note.com/shinshinohara/n/n9f38fdb5d931
それは、「先生は授業をやめ、『驚き屋』に徹する」こと。そうすれば子どもは留年させるということもなく、同じ年齢層の子どもと交流しながら成長することができるのでは、と思う。このアイディアについて、もう少し説明を試みる。
私は直接見たことがないのだけれど、知人によるとスタディアプリというのがあるらしい。どの学年のどの内容にも応じた授業の動画がそろっているらしく、それを見れば、学校で授業を受けているのと同じように、これから習う内容について、説明を受けることができる、という。
ならば、先生も一度、授業の様子を1年かけて動画に撮影し、それをデータベース化して、生徒が動画を選んで授業を見ることができるようにする。
今はどの児童もパソコンやタブレットが配布されているから、子どもは、自分の進度に合った授業の動画を選択、それを見るようにする。
授業の視聴が終わった生徒には、「驚き屋」となった先生がプリントを配布、理解できたかどうかを確認できるようにする。理解できていることが確認できたら先生は「できたねえ!」と驚き、次の内容に進むよう、生徒に促す。
授業の動画を見てもわからない生徒には、一つ戻った授業の動画を見るように先生はアドバイスする。こうして、理解が確実なところから、着実に生徒が学習していけるようにする。
同じクラスにいるけれど、生徒によって進捗がバラバラで構わない。場合によっては、小学生でも中学生の授業を聞いて進めてもかまわない。
イメージは、そろばん塾。段位や級が違う子どもたちが同じ教室にいるけれど、それぞれが自分の進度に合わせた教材をこなし、次のステップへと進む、あれと同じ。
それぞれの子が、どの学習内容に達しているかは、それぞれの子が把握できるようにする。先生はそれぞれの進度に合わせて、一つ進めば驚き、喜ぶ「驚き屋」となり、生徒の意欲が低くならないように見守ることに専念する。教室の中に学力がバラバラの子どもたちがいるわけだが、一向にかまわない。
(新型コロナさえ収まれば)、生徒同士の教え合いの機会も設ける。「教える」という行為は、理解を深める絶好のチャンス。教えてもかまわない、という生徒が、教えてほしい、という生徒と交流し、ともに成長することも促す。
先生は授業を一切やめ、コーディネーターに徹する。生徒が一つ階段を昇ったら、「やったなあ!」と生徒とハイタッチし、成長に驚き、喜ぶ、「驚き屋」となって、生徒の意欲を高めることに専念する。動画授業では不足する部分は、別のアプリをやってみることを子どもに助言したりする。
このようにすれば、子どもによっては、小学3年生では理解できなかった分数をほったらかしにして学習内容が進む、という「地獄」がなくなるように思う。分数がうまくできなかった子供には、分数理解に特化したアプリを進め、その子の進度で分数を理解することができるようにする。
IT化は、「先生が一斉に授業し、生徒は分かろうが分かるまいが同じ授業を受けることを強いられる」というこれまでの常識を覆すことができる。同じ教室にいながら、全員違う授業の動画を閲覧し、自分に合った進度で学習を進めることが可能。
今回の仮説では、教師は「教える」必要がなくなる。ただし、子どもの発達に敏感で、一人一人がいまどの学習進度かを把握し、適切にアドバイスする力が求められる。そして一歩でも前に進めば「驚き屋」として驚き、子どもと成長の喜びを共有し、意欲を湧き立てることが求められる。
私は少なくともこうすれば、毎年留年を強いるというような、児童にショックを与えるようなことをせずに済むし、習熟度別クラスに分けて劣等感を与えるということもせずに済むように思う。
そろばん塾では、そろばん、暗算、フラッシュ暗算の3つをそれぞれ独立に学び、それぞれの習熟度に合わせて昇級試験を受けるシステムになっている。だから、そろばんが5級だけど暗算は4級、というズレも起きる。でもそれで何の差支えもない。それと同じように。
ある子どもは、社会は進捗が早いけれど、算数はちょっと遅れ気味、ということもあるかもしれないし、その逆もあるかもしれない。それで構わない。それぞれの子どもが、それぞれの教科で、それぞれの進度で適した動画授業を見、習得すればよいと思う。
小学校でこうした方法をとった方が良いのは、算数だけかな、と思う。そのほかの教科は、他の生徒と一緒に教科書を読み上げるというのも、悪くない(発達障害の児童によってはつらい場合があるので、それには配慮すること)。学習の得意不得意を決定づけるのはほぼ、小学生に関しては算数が決定的。
たぶん、小学6年生の内容まで、全部終わらせてしまう子どもが出てくると思う。彼らの協力も得て、一緒に卒業できるよう、同級生の学力向上の手助けをしてほしい、というのもアリだと思う。
なお、「一斉授業」はこの方法だとなくなるわけだから、一つの教室に同じ年齢層の子どもがいる、という必要はない。なんなら、1つの教室に1年生から6年生まで混在する、というクラスでも構わないかもしれない。運営が難しいなら、2学年分くらい混ぜてもいいかも。
「一斉授業」という、これまで必須と思われたものを外してみるだけで、生徒の学習進度に合わせた学級運営は、もっともっと自由度が出るように思う。教師は「教える」ことをやめる代わり、子どもたちの様子をよく観察し、成長したら一緒に驚き、喜ぶ「驚き屋」への転換が求められる。
というような妄想というか、学校のシステム改革案を考えてみたのだが、いかがだろうか。

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