若いお二人の門出に

教え子が結婚した。笑顔がよく似た、とてもよい夫婦。ご多幸を心より祈る。
私がYouMeさんと結婚する前、弟の個展に一緒に見に行った。ギャラリーの方が手招きし、「あの人と結婚するの?」と聞かれた。私がうなづくと、次のようなアドバイスを頂いた。

「ありがとう、を忘れずに。女はね、ありがとうと言われると、どこまでも頑張れる生き物なのよ」と言われた。
私は一人暮らしが長かったから、自分がやってきたことをYouMeさんが肩代わりしてくれるのがありがたかった。で、アドバイスもあったことから、「ありがとう」とその都度言った。そしたら。

YouMeさんはますます工夫し、私を助けてくれた。こんなことまでしてくれるの?ありがとう!と、心から感謝することばかりになった。今や、ありがとう、と思わない日は一日もない。常に感謝する毎日。「ありがとう」ってとても大切。

YouMeさんも私に「ありがとう」と言ってくれる。いやいやYouMeさんのしてくれることと比べたらこのくらいのこと、むしろ申し訳ない、とさえ思う。互いに「ありがとう」の毎日。やってくれて当たり前はあり得ない。やってくれるなんて、なんて有り難い。だからありがとう。

他人が自分のために動いてくれることの奇跡。自分を気遣ってくれることの奇跡。他人なのだから見捨てられても不思議ではない。歯牙にもかけられなくても不思議ではない。なのに気遣ってくれるばかりか、自分のために動いてくれることがあるなんて、これは奇跡。そんな人と一緒に暮らせることの奇跡。

夫婦というのは、その奇跡の連続なのだと思う。「夫婦なんだから当たり前だろ」はない。他人なのだから。だけど他人なのに自分を気遣ってくれ、自分のために動こうとしてくれ、夫婦でいようとしてくれる奇跡。とても「有り難い」ことだと思う。

どうかお二人も、「ありがとう」が毎日交差する夫婦であることを。
今日、式が始まる前に夫婦に大切なことは?というので、4つの選択肢があった。私はそのうち、「話し合う」を選んだ。
よく夫婦は以心伝心というが、それができるのは普段からのコミュニケーションがあればのように思う。

YouMeさんとはよく意見のズレがある。しかしYouMeさんはそのズレを面白がり、私がなぜそう思うのかを聞いてくれる。私もYouMeさんの意見をなるべく聞こうと心がけたいと思っている。不十分なことも多々あって、申し訳ないのだけど。

そうしたやり取りを日々重ねるから、自分の中にYouMeさんができ、たぶんYouMeさんの中に私ができている。だから「次にこれで困るはずだ」と先回りし、私を助けてくれる。私がYouMeさんを助けられているかは心もとないが。

常に相手を理解しようとすること、そのために話し合いをすること。いや、話し合いというより「聞き合い」の方が適切かもしれない。聞こうという姿勢のない人に自分の思ったままを口にすることはためらわれるから。

これがなかなか難しい。今でもついつい自分の言いたいことを言い、相手の話を聞く姿勢を失ってしまう。つい先日も私は聞く姿勢を失い、「申し訳ないことをした」と思ったばかり。失敗ばかり。相手の話を聞くというのは、常に心がけ、気をつける必要がある。YouMeさんはやってくれるのに、まだまだ。

話し合い、いや、聞き合いは、自分の意見を押し通すことでも、相手を変えることでもない。自分というデコボコ、相手のデコボコをどう組み合わせると面白くなるか、その妙味を二人で探り合う作業と言った方がよいかもしれない。

相手を変えることでも自分を変えることでもない。ムリは続かない。相手の強み、自分の強みを互いに把握し、それらをどう組み合わせるか、という戦略会議みたいなものかもしれない。相手が疲れたら「よし、今度は私が」とバトンタッチ。タッグを組んだ感じ。

一つでは出なかった性質が、2つだと出てくる性質があることを「創発性」という。一人ではなし得なかったことが、二人だとできることが数多ある。そんな創発性が生まれる関係であらんことを。
若いご夫婦に、幸あれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?