「自分ごときが」の呪いの解除

この記事、意外と受けた。たぶん、国語が得意な人はなぜ得意になったのかはっきりせず、国語の苦手な人はどう攻略したら国語ができるようになるのか手掛かりがつかめず、といったところで、みなさんお悩みだったからだろう。

国語力(中学)の伸ばし方|shinshinohara #note https://t.co/vzWehLXgCX

私は中学2年生の終わりまで、国語は50~60点台。学年平均をウロウロしていた。絵のない本は読めず、マンガしか読まなかったから、当然と言えば当然。問題を読んでも、何を聞かれているのかよくわからない。だから、そもそも問題が理解できない、という子どもの気持ちはよくわかる。

数学の文章問題は壊滅的。問題文の3行目を読むころには、1行目に何が書いてあるのか忘れている。で、1行目から読み直す。そして3行目を読むころには忘れている。吉本新喜劇の、何度話を聞いても覚えないおばあさんのコントそっくり状態。ようするに、理解できないから読めなかった。

数学の文章問題が解けるようになったのは、国語の先生が授業で言っていたことがヒントになった。「文章問題にある数字を丸で囲ってごらん」。なんで国語の授業で数学の問題を解くコツをしゃべっていたのか不思議だけど、だまされたと思ってやってみた。

ものごっつい解きやすい!それまで、3行目読む頃には1行目の内容を忘れ、何度読んでも頭に入らないので、フランクフルトでやさぐれていたハイジと同じ気分になった。「わたしはおばかさんなんだわ」。なぜ花子さんは太郎君を自転車に乗せてあげなかったのか?そんなことばかり気になった。

ところが、数字を丸で囲んでみると、花子さんが太郎君を自転車に乗せてあげなかった気になるドラマ展開は背景に引っ込み、数字と数字の関係だけが浮かび上がり、なんと!式を作れるようになった。連立方程式までできるように!

私はそれまで、文章に書いてあることは一言一句、すべて大切なものだと考えていた。言葉に軽重をつけてはならず、全部同じ重みで理解しなければならない、と考えていた。言葉を抜き出して(抽出して)、それだけクローズアップするなんて失礼なことをしてはいけない、と。

だから、時速4キロと時速2キロという数字と同じくらいの重みで、太郎君と花子さんの名前は大切で、次郎君や愛子ちゃんでないことにも深い意味があると考えた。太郎君が歩いて駅まで行くにも何か深い理由があり、花子さんが自転車に乗せてあげなかったことにも、何か理由があるに違いない、と。

数字を丸してみたら、数字と数字の関係を聞いているだけだ、ということがよく分かった。情報の重みづけを、私ごときおばかさんがやっていいだなんて!恐れ多い!と思っていたけど、どうやらいいみたい!えー!不思議ー!

いわゆる勉強のできない子、のかなりの部分が、「難しく考えすぎる」ことが原因で、読解力を発揮できずにいる、と私は考えている。時速の数字と同じくらいの重みづけで、登場人物や移動の手段を云々してしまい、それらの情報を捨てたり軽視したりしてはいけない、「自分ごときが」と考えてしまう。

一つには、それまでに「どうしてお前はそう物分かりが悪いのか」と叱られたりなじられたりした経験のせいで自信がなく、「自分ごときが情報の重みづけや抽出をやってよいはずがない」と考え、情報を等しく、すべてを重く受け止めなければ、と考え、抱え過ぎた情報でオーバーフローしてしまうのだろう。

「難しく考えすぎてしまう」クセから脱却するには、「どうするとよいと思う?」と訊くのではなく、「どうするとよさそうな気がする?」と訊くようにしてみるとよい。前者は重い。自分の判断なんか信じられないのに、「思う」ところを述べるなんて、重すぎる。でも後者だと、ちょっと気が楽。

そして、「こんな気がする」と答えたら、どんな頓珍漢な答えだとしても否定せず、「なるほど、そんな見方もあったかあ!」と前向きに受け止め、面白がる。その子の「そんな気がする」を否定せず、「そんな気がする」を口にする勇気が習慣づくようにする。

時々、「ここがこうなっているということは、どうなんだろう?」と、着眼点を示す形でヒントを提供しながら、どんな気がするのか、答えてもらう。すると、そのうち、答えに近づく。そしたら「お!それによく気がついたね!」と、あなたの判断でよいのだよ、という体験を一つ積む。

そうした体験を繰り返すことで、「自分ごときが情報に軽重をつけたり、自分の考えや気づきを述べたりしてはいけない」という「呪い」を解除する。呪いさえ解ければ、情報に軽重をつけ、抽出してみる、ということが可能になる。

数学の文章問題というのは、論理を抽象化するという訓練になかなか良い方法。太郎君や花子さん、歩行や自転車という情報は捨象され、xやyという文字に抽象化され、数字の関係だけを組み立てたものに変換される。情報の抽出の訓練になる。情報を捨てて構わない、という重大な体験が可能。

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