関係性から見るゼンメルワイスとリスター

ゼンメルワイスとリスターの話も、「関係性から考えるものの見方(社会構成主義)」で考えられる事例かもしれない。
ゼンメルワイスは、妊婦の死亡率が病棟によって違う原因を調べるうち、産褥熱で死んだ遺体の解剖をしたその手のまま医師が出産に立ち会う場合、死亡率が高くなることに気がついた。

そこで、当時、生ゴミなどの腐敗臭を抑える効果があると知られていた石炭酸で手洗いするように医師に勧めた。すると死亡率が劇的に下がった。手の消毒をしないで出産に立ち会うことが死亡率を高めている原因だと突き止めた。
ところがここからゼンメルワイスの不幸が始まる。

ゼンメルワイスは攻撃的な発言が目立ったため、最初は彼の功績を高く評価していた人も彼をかばいきれなくなり、理解者がいなくなってしまった。精神を病んだ彼は精神病院送りとなり、そこで死んでしまった。

リスターは戦場でケガをした兵士の治療をするのに、消毒すると死亡率が大きく下がることに気がついた。彼は無名だったため、当時の有名な学者からケチョンケチョンに批判されたりしたが、リスターは地道に論文を書いてデータを示し、技術改良も地道に続けた。結果的に消毒法は時間をかけて普及した。

正しいけれど受け入れられない、拒否してしまう反応を「ゼンメルワイス反射」と呼ばれる。こうした「反射」を招く原因となったのに、彼のやや攻撃的な表現があった可能性がある。事実、「我々医師が患者を殺していたのだ」と言ったため、自殺した医師もいたという。他方。

自分が患者を死に追いやっていたのだということを認めたくない医師は、ゼンメルワイスの意見を無視した。それに対してゼンメルワイスは口汚く罵ったため、よけいに理解者を増やすことができなかった。

リスターも、最初、反応は冷ややかであったらしい。しかし彼はそれに激昂することなく、地道にデータを重ね、公表し、技術改良を続けた結果、追随者を増やし、最終的に国葬までされる程になった。

ゼンメルワイスとリスターの功績は似ている。しかし関係性の作り方に大きな違いがあった。ゼンメルワイスは攻撃的な言動が目立ってしまったために理解者を広げることができなかった。リスターは理解されないことに苛立ちを募らせるより、地道にデータを積み重ね、公表したことが功を奏した。

私達は、自分が正しいとなると、誤った考え方をしている人間を悪とみなし、いくらでも攻撃して構わない、と自分に許してしまうところがある。正義の味方みたいな気分になるのだろう。そして理解しない連中を悪の組織、敵とみなして。

他方、リスターは恐らく、立場が違えば自分も受け入れがたいかも知れない、と、同じ人間として考え、理解されないことも無理もない、と考えたのかもしれない。自分を変に英雄視しなかったのかも。だから、理解されないとしても「やむを得ない」と考えられたのかも。

自分は偉大な人間である、だから他の人を見下しても構わない、ああしろこうしろと命令しても構わない、口汚く罵っても構わない、と、自分に許す「関係性」を作ってしまうと人は離れ、理解者がいなくなってしまう。

自分は素晴らしい発見をしたが、素晴らしいのは発見であって自分ではない、自分も他人も同じ人間で、これまで通りの遣り方を否定されたらムッとするのは仕方のないことだと考え、データ自体に発見の素晴らしさを伝えさせる、という「関係性」を作ると、理解者が徐々に増えていく。

発見を自分のものと捉え、それを理由に自分を上位に置き、他の人達を下位に置く「関係性」をデザインしてしまうとうまくいかなくなるのかもしれない。自分も他者も同じ地平に置き、素晴らしい発見を共に眺める形をとると、共感者を増やしやすいのかも。「関係性」のデザイン、重要。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?