生きてきた証としての田畑

とある農家さんからうかがったお話。農地をタダでもらってほしいという高齢者の女性。買ってほしいではなく、タダで。女性によると子供や孫に農地を譲っても、田畑として維持することができない。どこの誰とも分からない人に田畑を売ったら、どんな使い方をされるのかわからない。

それでは夫と一緒に何十年も耕し続けてきた意味は何だったのか、分からなくなってしまう。生きてきた証を残すため、田畑を田畑として維持してもらえる人にお譲りしたい。だからタダであっても、ぜひ引き受けてもらえたらありがたい。そう、女性は語ったという。

タダでもらうわけにはいかないため、その農家さんは価格を提示したところ、では間を取ってその半分の価格で、ということで、交渉が成立したそう。
そしたら別の高齢の農家から、うちの田畑も貰ってほしいという相談が舞い込むようになってきたという。

生きていた証。なるほど、と思う。これから担い手農家のもとに、農地がどんどん集まっていく予感。でも、水回りがよくないなどの不利な田畑は放棄されることになる。今後、農地の集約と荒廃がどんどん進んでいくことになる。

荒廃した田畑は、森林に飲み込まれることになる。すると、獣害が起きやすくなる。獣害を抑えるにはコストと人手が必要だが、農村に人がいなくなっており、手が回らない。果たして集約した田畑も、維持管理が難しい地域もでてくることが予想される。

農業は大規模化すれば効率がよいかというと、必ずしもそうではない。北海道のように、だだっ広い平地が広がる場合は大規模化は効率を上げられる。しかし日本は、北海道を除けば山がちで、傾斜があり、一枚の大きな田畑に仕切り直すのが難しい。効率化に限界。

あまり大きくない田畑をたくさんの抱えても、一気に耕せなければ効率化は難しい。数字上の田畑面積が大きくなっても、一枚一枚の田畑が小さければ手間暇かかる。
日本は大規模化に限界がある、という点は、頭に入れておく必要がある。

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