リーダーに「率先垂範」は必要?

「率先垂範」という言葉がある。リーダーが部下に模範となるような行動をとる、というふうに理解されているけれど、私は、微妙に間違っているように思う。ビジネス記事でも率先垂範と言えば、部下の見本になるような、仕事のできる姿、てきぱきと指示を出すかっこいい姿を描き出すのが多いのだけれど。

そんな立派な見本を見せられたら、まだ経験の浅い部下は「わー、すごいですね、とても私にはマネできるとは思えません」となって、やる気を失う。能力の高い部下は上司以下の能力しか示さなくなる。上司の下手ゴルフにつきあうように、「私にはとてもとても」と、わざと低パフォーマンスにする。

率先垂範とは、「皆が嫌がる仕事に嬉々として取り組む」姿を見せるときにだけ、当てはまるんじゃないかな、と思う。孔明のライバル、司馬懿は、将軍であるにもかかわらず自らも穴を掘り、土を運ぶことで部下のやる気を引き出し、突貫工事をあっという間に完成させた。

どうも、率先垂範を「部下にかっこいい姿を見せつける」という意味に解釈している人が少なくないし、ビジネス記事の多くは、そうした部下指導法を推奨したりしている。もちろん、そんな部下指導をしたら、うまくいかない。上司が自分のかっこよさに酔っているだけだから。

なんでそんなビジネス記事ばかりなのかというと、上に立つ人の自尊心をくすぐるから。そして、幼児的欲求を満たしてくれるから。「そうか、おれは部下にかっこいいところを見せればよいのか」って、かつてのアニメのヒーローになった気分を味わわせてくれる。

部下に毅然とした、凛とした姿でふるまうことを勧めるビジネス記事を読んだら、自分が仮面ライダーかウルトラマンになった気分になって、自分に酔いしれることができる。だからそんなビジネス記事が横行するし、人気なのだと思う。全然役に立たないどころか有害なのだけれど。

出張で農家の方のところにスーツで行ったとき、農家の方は「わ、スーツで来た、現場で動く気なしだな」と感じたみたい。現場のトラブルを見た時、私が上着脱いで袖をまくって手を突っ込むと、「こいつは話ができる」と思ってくれたみたいで、その後、話が弾んだ。

あ、率先垂範とはこれだな、と思った。上に立つ人間だから、自ら手を汚さず、皆が嫌がる仕事は全部部下に任せ、自分はかっこいいこと、きれいごとしかしない、という上司は、部下の意欲を高められない。皆が嫌がりそうなことを嬉々として取り組むのが率先垂範なのだろう。

項羽のライバルだった劉邦は、とてもじゃないけれど人の模範になるような人間ではなかった。粗野だし下品だし。しかし、部下の意見によく耳を傾け、「お前、すごいなあ!」と驚き、面白がった。だから「俺がこいつを支えてやらなきゃ」と人が集まった。

劉邦は率先垂範の要素がほぼ見当たらない。それでも人の上に立ち、ついに皇帝にまで登りつめた。率先垂範は、リーダーに不可欠な要素ではない。むしろ、みなの模範になろうとすると、部下は能力を発揮しなくなる不思議なところがある。

劉邦のライバルだった項羽は、自分の武力を部下に誇るところがあった。自慢するところがあった。このため、自分の意見と違う部下は追い出してしまうことが続いた。人が離れた。自分が万人の模範だ、と誤解すると、部下は「ああさいですか、ご立派ですね」と吐き捨てて出て行ってしまう。

劉邦はむしろ、誰の模範にもなれない、欠点の多い人間であることを隠さなかった。そして自分の欠点を補ってくれる人間の登場をことのほか喜んだ。その結果、多くの人間が「俺がこの人を支えなくっちゃ」と、人が離れなかった。

項羽のように知力も武力も万人を超える超人のような能力の持ち主なら、あるいは「かっこいいリーダー」になることができるかもしれない。しかしそれでも結局は人が離れ、人が集まる劉邦には勝てなかった。劉邦は知力も武力も項羽の足元にも及ばない。

しかし、劉邦は自らの欠点を補ってくれる部下の登場に驚き、喜ぶという才能があった。他人を「容れる」才能。のちにリーダーとなる力を「器」と呼ぶようになったのは偶然ではない。部下の力を「容れる」空っぽの容器になることができるのを器と言い、特にでかいと「大器」と言う。

そう考えていくと、項羽のようなスーパーマンの才能を持ち合わせていない人は、まだしも劉邦的な方がマネしやすい。自分が模範になろうとするのではなく、むしろ不格好、格好悪い姿をみせ、ボケてみせ、部下にツッコミという形で補ってもらう。それに驚き、喜ぶ人になる。

率先垂範は、皆がためらうような事柄で「え?なに?」とすっとぼけて、喜んで取り組むときにだけ使う言葉、というのが良いように思う。だから、全然模範になるというわけではない。むしろリーダーは、格好悪いところを見せたほうが良いように思う。そして、部下に補ってもらう。

司馬懿が穴を掘り、土を運ぶのは、兵士たちと比べてずっとみっともなかったと思う。日夜戦う兵士と比べれば体力もなかっただろうし、不慣れだから兵士たちよりも働きが悪かっただろう。兵士たちからも、もしかしたらへっぴり腰だと笑われていたかもしれない。

それでも自ら嬉々として穴を掘り、土を運びつつ、自分よりも穴を掘るのが早い部下がいたらそれに驚き、たくさんの土を一度にかつぐ部下に驚けば、部下は発奮するだろう。老人の将軍がこれだけ頑張っているのに、体力のある俺たちがもっと頑張らなくてどうする!と。

率先垂範とは、みんなが嫌がることを嬉々として取り組む一方、部下のパフォーマンスの高さ、能力の高さ、力強さに驚くことなのだと思う。すると、部下は発奮するのではないか。率先垂範が使える場面は、私の考える限り、そうした場面でだけ使える言葉のように思う。

項羽のような、超人的能力があるわけではないと自覚している人は、劉邦のように、「カッコ悪いリーダー、みっともないリーダー、情けないリーダー」を演じ、部下が補ってくれることに驚き、喜ぶというやり方の方が、マネしやすいように思う。そしてそうした集団は、きっと笑いが絶えないように思う。

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