落ち着き始めた被災地に必要なのは「無料の供給」ではなく「お金を伴う需要(消費)」?

阪神淡路大震災の時、散髪屋さんがボランティアで無料散髪。被災者にとても喜ばれ、定期的に開催した。
被災地が少し落ち着いてきたある日、地元の散髪屋という人から声をかけられた。
「あんたは善意やろうけど、それやられると、ワシら生活でけへんねん」
それできっぱり、無料散髪をやめた。

サービスを受ける消費者からすると、タダで散髪してもらえたらその分生活費が浮き、助かる。しかし散髪屋は全く客が来なくなり、収入がゼロになり、生活できなくなる。その人は「消費者」でさえいられなくなる。すると、社会から一人、消費者が消える。結果的に消費が減り、誰かの収入が減る。

無料というのは、究極のダンピング(不当な安売り)。消費者は生活費が浮いて助かると考え、ついそのサービスを受けてしまうが、そうすると、そのサービスを有料で提供することで生活している労働者であり消費者の生活を破綻させる。無料、あるいは不当に安いサービス・商品は、誰かの生活を破壊する。

ダンピングは、消費者が個人的に止める力を持たない。「こんな安い豆腐を買っては、マジメに豆腐を作ってる会社の人の生活が成り立たない」と考え、高値の豆腐を買うようにしたとしても、安い豆腐に手を出す人がどうしても出る。生活防衛のために。すると、マジメな豆腐屋はやはり潰れてしまう。

マジメな豆腐屋が潰れれば路頭に迷う人が出る。安い豆腐屋が成長し、雇用を増やしたとしても、豆腐を安値で維持するために、賃金は抑えることになる。すると、そこに勤める人は消費を減らすことになる。こんなことが巡り巡って全産業に起き、給料が減り、消費が減るデフレ経済が加速する。

被災地支援は、救援物資を送ることだ、と私たちは考えている。生活手段を失い、食事もままならない緊急時には、それは正しい。しかし生活再建を始めようという時に必要なのは、むしろ需要(消費)なのかもしれない。

たとえば地元の散髪屋で散髪してもらえるクーポン券を、ボランティアが発行し、被災者に配る。散髪屋は、そのクーポン券をボランティア団体あるいは提携先の銀行・行政に持ち込んだら、現金をもらえるようにする。そして、そのお金の原資は。

クラウドファンディングで、全国に「現地の散髪屋再建支援」ということで、寄付を募る。こうすると、寄付金を現金としてただ配るのとは違い、散髪するという機能が地元で復活し、散髪屋の雇用も守られることになる。散髪屋は地元で消費するので、地元経済にも貢献する。

こうした、地元での雇用・仕事を生み出し(あるいは再興し)、現地で消費する人達を増やすことで、被災地の経済システムの再構築を促すようなことはできないだろうか。被災地が経済的に再建するには、「需要」(消費)が地元に生まれる必要がある。それを促すような支援策を、そろそろ考えたい。

それでも、無料配布や安く提供というダンピングは収まらない。そこは政府のような組織が、妥当な価格で商品・サービスを提供するように、と規制する必要がある。そうでないと、ダンピングから始まるデフレは止まらない。妥当な価格というのは難しいが、働く人達の生活が破壊されるような価格はダメ。

経済の軸足を「生産性」から「消費(需要)」にシフトさせる必要がある。いくら生産性を上げても、安値でしか買ってもらえないのなら、労働がきつくなる割に給料は増えない、という悲惨なことになりかねない。そんな状況がもう二十年以上も続いたのが日本。

安値競争ではなく、品質や、環境への配慮をした商品作りで競争してもらう。価格が同じなら、少しでも品質や環境重視の商品に手を伸ばすように。企業は、消費者から妥当な金額で買ってもらい、それを余力として、商品開発に努める。そんな循環を促す政策にシフトしてほしい。

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