言霊は裏メッセージに宿り、祈りに寄り添う

「言霊」考。
日本には言霊信仰がある。言葉にすればそれが実現する、あるいは実現しやすくなるという考え方。だから親は子どもに「勉強しろ」と命じ、上司は「もっと働け」と尻を叩く。どこかで言霊を言い訳にできると期待したくなる心理が潜んでいるのかも。しかししばしば、その期待は裏切られる。

勉強しろと言われた子どもはますますやる気をなくす。もっと働けと言われた部下はますますやる気を失う。これは日常でよく観察される現象。言霊が正しいなら、言葉通りに実現するはずなのになぜ逆の結果を招いてしまうのだろう?それは恐らく、「裏メッセージにこそ言霊は宿る」からだろう。

勉強しろ、というメッセージは「お前は勉強が足りない、やってると思ったら大間違いだ、お前は努力の足りない怠け者だ」という裏のメッセージを伝えてしまう。
もっと働けというメッセージは「お前はサボっている、手を抜いてる」という裏メッセージが伝わってしまう。

だから「勉強しろ」と言われた子どもはふてくされ、「ええ、どうせ私は勉強できませんよ、怠け者で悪うございましたね」と内心腹を立て、よけいに勉強を拒否する。
「働け」と言われた部下は「えーえーご立派ですね、とてもあなたのような働き者になどなれませんよ」とふてくされ、やる気を失う。

逆にした方がよいように思う。たとえば子どもが日中遊び呆け、夜になってから「宿題やらなきゃ」と言い出したとき。多くの親がこう言ってしまう。「だから早く宿題をやりなさいと言っていたのに、こんな時間からじゃ寝るのが遅くなるでしょう?なんでもっと早くやらないの!」せっかく湧いたやる気もしぼむ。

でももし、「そうか、自分でやる気を起こしたのは偉いな。でもあまり遅くならないようにね」といたわれば、なるべく早く済ませようと張り切る。終わった時に「お疲れ様。でも、寝るのが遅くなると体に良くないよ。体は大切にしてね」と声をかけると、明日は早めにしよう、と素直に思える。

部下には、たまたま根をつめて働かねばならなくなったときに「無理をしないでね。体を壊さないように」と声をかけると。その裏メッセージは「あなたはもう十分頑張っている」というものになり、認めてくれたと嬉しくなる。すると、働くことが楽しくなる。上司を心配させるという「楽しみ」ができて。

漫画「家栽の人」の主人公を評して「桑田判事は子どものためなら平気でウソをつく。けれどそのウソがマコトになるんだ」という言葉が出てくる。その子が勉強する子だというのはウソかもしれない。その部下が働き者だというのはウソかもしれない。しかしそのウソはマコトになる。

前横浜市長だった林氏は、BMWで働いていたとき、働きの悪い部下にこんな言葉をかけていたという。「あなたはこんなものではないはず!だから悔しい!本当に悔しい!」自分をそこまで見込んでくれているのか、と感じ、働き出す。すると林氏が「さすが!」と驚く。ますます働くのが楽しくなる。

ウソがマコトになる。これこそ言霊と呼ぶにふさわしいように思う。「あなたはこんなものではないはず」という言葉に何の根拠もない。働いてこの方、ずっと怠けていた人なら、「こんなものではない」証拠は何一つない。けれど、林氏の相手を思う心が、ウソをマコトに変えてしまうのだろう。

裏メッセージにこそ言霊は宿る。そう考えた方が、言霊は宿りやすいように思う。
「勉強しろ」「働け」という命令形は、表のメッセージとは裏腹に、裏メッセージの方に言霊が宿りやすい。
言霊はどうやら「命令」や「期待」が大嫌いで、「祈り」が大好きであるらしい。

親や上司がああしてほしい、こうしてほしいと期待したり、その期待を実現しようと命令すると、期待や命令とは逆の結果になりやすい。
しかし期待せず、相手次第であると諦め、でも相手がどうか自らつかみとりますように、と「祈る」と、比較的実現しやすいように思う。

赤ちゃんがいつ言葉を話すか、立つようになるかはコントロールできない。期待もできず、命令もできない。ただ親は祈ることしかできない。
ある日、言葉を話したり立ったりすると「今、言葉を話したよね?」「立った!立った!」と驚き、喜ぶ。

「祈り」の特徴は、もしそれが実現したとき、「驚く」「喜ぶ」が付随する。それが子どもはたまらなく嬉しいらしい。自分の成長や工夫で驚かすのはとても嬉しいから。だからもっと成長しようとする。努力する。

期待、命令は「俺の思った通りだ」「俺が指導したおかげだ」と、見通しの良さを誇ったり、自分の功績にしたり。子どもや部下の頑張りは、自分の有能さを証明する証拠の一つに成り下る。それが子どもや部下にも察せられるから、やる気を奪うのだろう。

言霊が嬉しいことを実現してくれるようにするには、裏メッセージにこそ言霊は宿る、ということを弁えておく必要がある。そして「期待」や「命令」に頼るのではなく、ひたすら相手の自発性が起きることを「祈る」。そしてもし、子どもや部下が自発的に動いたときに驚き、喜ぶ。

それこそが「ウソをマコトにする」言霊の正体ではないか、と思う。
あなたは頑張り屋である。工夫を怠らない人である。そうした前提を置いた言葉のデザインをし、そう声をかける。あとは祈る。そして祈ったことが実現したら驚き、喜ぶ。これがウソをマコトにするコツなのかな、と思う。

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