ガンコになることと居場所感

トシをとれば必ず丸くなるかというと、そんなことはないらしい。むしろトシをとればとるほどガンコになったりする。私もいずれは老人になろうというトシになってきて、どんな風な心がけをすると自分が好ましいと思える老人になれるのか、ということを考えるようになった。

高齢者によるクルマの運転で、男性と女性とでかなり反応差があるのだという。高齢者の女性は雨、夜の運転に自信がもてなくなり、狭い道路も無理があると考え、運転に慎重になるという。ところが男性高齢者は。

運転歴何十年のベテランだ、と、自信だけは肥大化し、しかし技術や注意力は落ちており、単に運転の失敗を「気にしない」あるいは気づかないことで、自分の運転技術に疑問を持たない人が少なくないのだという。だから「平気平気」と言って狭い路地でこすったりぶつけたり。

自分に自信がある。しかし周囲がそう認めないというギャップがあるとき、腹を立ててガンコになりやすいらしい。夜目が利きにくくなった、こすることが増えた、など、自分の実力の低下を素直に認められるかどうかが、ガンコに陥らずに済む大切な条件なのかもしれない。

それにしてもなぜ、高齢者の女性はあっさり自分の衰えを認められるのだろう?仮説としては、技術の高さを誇らなくてもつきあえる友人がいることなのかも、という気がしている。たとえできないことが増えても、それをネタに友人と談笑できるなら、あまり見栄を張らなくてもよいのかもしれない。

ところが高齢者男性は、技能の高さを誇る文化の中で生きてきた。技能が低くなるということは、自分の存在価値の低下のように感じてしまい、断固として認めがたくなるのかもしれない。

会社組織というのは、能力や実績を見せたら賞賛されるという組織だ。そんな中で自分の存在価値を確認してきた高齢者男性は、技能の低下ということを認めることは、心の心張り棒を外すようなとんでもない行為になるのかもしれない。

今は女性も会社組織の中で生きてきて、今の高齢者男性のように見栄を張るようになるのだろうか?しかし女性はコミュニティの中に入ろうとする文化的伝統もあり、会社の身分を超えた交流も意識してやってる人が目につくように思う。

他方、男性は少々人当たりが悪くても仕事さえできれば誰も何も言わない、という文化的伝統に支えられて、技術や実績作りを頑張り、コミュニティに入ることを怠る傾向が強かったのかもしれない。

20年ほど前、ボランティア団体の人から聞いた話。定年退職した男性がボランティアを始めると、肩書きを欲しがるのだという。ボランティア団体に役職も何もないですよ、と言っても聞かないので、適当な役職名を名乗っても構わない、と伝えると、そういう名刺を作るという。

定年退職しても何年かは、辞めた会社の話ばかりする男性も多い。それは恐らく、高齢者男性にとってかけがえのないコミュニティだったからではないか、と思う。もし、会社以外にコミュニティがあったら、そこまで会社のことを引きずらなくても済むのでは、と感じる。

自分の等身大を認めるには、コミュニティへの所属感が必要なのかもしれない。居場所。
女性は、働いていても結婚ですべてのキャリアが断ち切られるという理不尽が起きることを覚悟させられてきたためか、コミュニティを会社以外にも持つことの重要性を知ってる人が多いけど、男性は少ないかもしれない。

私は大学生を10年続けて、それまで培ったコミュニティから離れることの不安がとても大きかったことを覚えている。さらにそれまで慣れ親しんでいた専門分野をかなぐり捨て、全然違う分野に飛び込んだ時も、コミュニティから切り離される不安を覚えたのを覚えている。

定年退職の時に、コミュニティへの所属がガラリと変わる。それでも心の平衡を保つにはどうしたらよいのか。今は男性も、同じ会社に一生勤め上げるという感覚が薄れてきたから違ってくると思うが、老人になってガンコにならずに済ませることができるかは、なかなか難しい問題のように思う。

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