意欲は高めてもコントロールせず、ただ祈る

私は子育てのことをつぶやくけど、子どもをこんなふうに育てよう、なんていう粘土細工みたいなことは考えていない。子どもが育ちたいように育つしかない、と諦めている。子どもには生まれ持っての個性があり、それを親がどうこうできるものではないと思うから。ある意味、植物に似てるかも。

植物が育つには光と水と肥料が必要なのは、どの植物も共通。けれど、程度は植物によって様々。
日陰で育つ植物に直射日光当てれば弱ってしまう。逆に強い日光で育てる稲を弱い蛍光灯で育てたら弱々しくなる。
サボテンに水を上げ過ぎたら腐ってしまう。蓮を砂漠に植えたら枯れてしまう。

肥料食いの作物に肥料ケチったら育たない。ランに肥料与えたら腐ってしまうだろう。
どの植物も光と水と肥料が必要なのは共通なのだけれど、その加減は個性によってバラバラ。個性に合わせて加減する必要がある。そして現在の科学では、子どもの個性を判別する技術はない。

個性を判別できないから、「この個性にはこの加減で」というレシピも確定していない。どんな個性を持っているか、試行錯誤の中で手探りし、接し方の加減もまた試行錯誤の中で見つけていくしかない。子育てにマニュアルはない。どの子にも適用できる子育てマニュアルは困難。

ただ、「トラブルシューティング」は可能だと思う。「水やりを少なめに上げて足りなさそうなら増やしてみよう」「強い光だと焼けるようなら少し日陰に入れてみよう」「少なめの肥料を与えて足りなさそうなら増やしてみよう」まずはこれを試してみて、試行錯誤から加減を探ることは可能。

私が「驚き屋」をお勧めするのは、子どもの意欲がとても高まるという点では共通するアプローチのようだから。ただし、高まった意欲で子どもがどう育つかはコントロールできない。あまりする必要もないと考える。学ぶことが楽しくて、意欲的に取り組めるなら、自分で道を切り開けると思うから。

植物は、適量の光と水と肥料があれば、自ら持てる潜在力をいかんなく発揮して育つ。育てる人ができることは環境を整えるところまでで、どう育つかまではコントロールできない。
昔、隣の畑の苗が大きく育ってるのを見て、自分の畑の苗を引っ張った男が。「伸びるのを助けてやったぜ」と。

ところが翌日、苗は根が切れてすべて枯れていた、というお話。「助長」という言葉の語源になった逸話。
ああ育て、こう育て、と、自分の思い通りに育てようとすると、意欲の根を切ってしまう。もはや育たなくなってしまう。先回りは、「助長」と同じ効果がある。

周囲の人間ができることは、苗の様子を観察し、水が足りなさそうなら水を足し、光が足りないなら日の当たるようにし、肥料をやりすぎないよう、育ちに合わせて加減する。そして、どう育つかは苗任せ。祈るしかない。
根が元気(意欲)であれば、大概の困難は克服できる。その環境を整えるだけ。

意欲があり、学ぶことを楽しめる子であれば、あとは子どもの力で伸びていく。親は祈るだけ。そう捉えた方がよいように思う。

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