野菜農家がコメ農家より儲かるようになったのはなぜ?

とある野菜研究者が語った言葉を、今も忘れられない。
「野菜を作る農家って、昔はみんな貧乏だったんだよ」
え?今やコメ農家は儲からず、トマトなど野菜農家の方が売上大きいのに?
「コメを作れない農家が仕方なしに作るのが野菜だったんだよ」

後で調べると、これは本当のようだった。野菜農家は貧しかった。水が手に入りにくい土地しか持たない農家は、やむなく野菜を作るしかなかった。野菜を町で売っては、そのお金で高価なコメを買う。だから野菜農家は貧しかった。

ところが今や様変わり。国内の野菜の売上はコメより大きい。つまり、野菜のほうが売れるし、儲かる。実際、同じ重量ならトマトはコメの5倍も高い値段。同じカロリーなら100倍も高い値段。トマトはコメと比べて、ものすごく高く売れるようになった。

ではなぜ、昔は野菜が安く、農家は儲からなかったのだろう?慢性的にコメ不足だったからだ。みんなコメのご飯、真っ白なご飯を食べたい。しかし戦前、米騒動が起きるまでは真っ白なご飯を食べられる人は必ずしも多くはなく、麦や雑穀を混ぜて食べるしかなかった。コメは高価な憧れの食べ物だった。

他方、野菜は腹が膨れない。それに、軒先の小さな庭で小さな畑を作って育ててもそこそこ野菜は育つ。野菜は自分でも育てられるものだから、わざわざ買うのはもったいなかったらしい。だから野菜への需要はそんなに強くなく、値段も安かった。野菜農家は儲からなかった。

しかし今や逆転。コメは余りまくり。コメはとうとう、消費量で小麦にも抜かれた。では小麦を作った方が儲かるかといえば、特定のものを除き、コメ以上に儲からない。米麦みたいな、腹を膨らませられる、飢えを凌ぐのに重要な、命を支える食料が、野菜より安いのは、どうしたことだろう?

決定的な理由は、化学肥料だろう。化学肥料をいくらでも使えるようになったことで、農業生産は飛躍的に伸びた。1960年代には、それまで不足気味だったコメが余るようになった。アメリカでは余るほど小麦を作った。化学肥料の登場が、必要以上の米麦を作ることを可能にした。

米麦が必要以上に作れるようになったことで、コメや小麦食品は大変安くなった。食費が浮いた分、人々は趣味や娯楽にお金を回せるようになった。それが趣味と娯楽の産業を育て、そこで働く人たちの給料を押し上げ、エンターテイメントが産業の主役に躍り出るようになった。

野菜は食事に彩りを添えるものとして、そしてカロリーのとりすぎを抑える効果のあるものとして購入されるようになった。美味しさ、甘さ、美しさを追究するようになった。エンターテイメント性の強い食品となり、価格はコメより高くなっていった。

化学肥料が安く大量に出回ることで米麦が大量に作られるようになり、余るからべらぼうに安くなった結果、命に関わらない野菜が高くなり、なければ命に関わる米麦が安くなる、という、歴史上極めてユニークな現象が起きた。

もう少し言えば、石油など化石燃料のおかげだと言える。化学肥料は化石燃料のおかげで安く大量に作れた。化石燃料は自動車などの交通手段を生み出し、日持ちのしない野菜を都会に大量に運べるようになった。

昔なら、日持ちしないことを逆手に取られて、持ち帰って腐らすくらいならる野菜を売り払った方がよいと、値引きすることが当たり前だったが、化学肥料が変えた。余って売れ残るなら捨てたらいい。化学肥料で大量に安く作って、また持ってくればいいのだから。やがて。

野菜はそこそこの価格で売る商品になった。しかし米麦は日持ちするから、少し余ったたけで在庫がダブついてると見透かされ、安値でしか売れなくなった。こうして、野菜が高く、コメが安い状況が出来上がったようだ。

しかしもし、化学肥料が思うように使えない時代が来たらどうなるだろう?言い換えれば、化学肥料を安く作るのに必要な化石燃料が高くなったら?
農産物の生産量は小さくなり、食料は不足気味となり、腹の膨れるコメの需要は大きく、腹の作れぬ野菜は見向きもされなくなるかも。

果たして、野菜が高く、コメが安い状況は続くのだろうか?石油など化石燃料が高くなれば化学肥料も高くなり、コメが安いという状況を維持できなくなるかもしれない。そのとき、野菜農家は生活を維持するのが困難になるかもしれない。

石油というエネルギーは、野菜農家を豊かにし、コメ農家を貧しくした。さて、石油の高騰が続けばどうなるのか。石油は、コメや野菜の社会的価値にも影響を与えることになるのだろう。

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