「教える」「ほめる」は本当によいこと?

子育てでは「教える」と「ほめる」の二つは、伝統的に確かな教育効果があるものと信じられてきたけれど。私はどちらも再考の余地があると考えている。「教える」も「ほめる」も、気をつけないと学習意欲を大きく損ねるからだ。

少なくとも、すべて「教える」のはよくない。「教えない」部分を意識しないと、学習意欲を大きく損なう恐れがある。なぜなら、「驚かす」喜びと「能動感」の嬉しさが得られなくなってしまうから。

「教える」と、子どもは、大人がその方面でたくさんの知識を持っていることに気がつくばかりでなく、大人が驚かないことに気づいてしまう。その分野で知識が増えたとしても「それ、前に教えたよね」と言われるのが目に見える。もはやその分野で知識を身につけても、驚かないことを知ってしまう。

それどころか、一つ知識が増えても「じゃあ次に進もうか」と、先回りされるだろうことも予想つく。常に教えられる立場、受け身の立場であることを思い知らされ、能動的に学び取ったという能動感は失われ、受動感ばかりとなる。面白くない。すべては教えた親の功績。親のおかげ。自分の達成感なし。

だから、「教えない」ことが大切。どうやら親はすでにそのことを知っていることに子どもが気がついていたとしても、教えられもしないのに何かを学べたとしたら、親は驚きやすい。「教えもしないのに、よくそのことに気がついたねえ!」すると、子どもはとても得意げになる。親を驚かすことができて。

もちろん、何もかも教えないのでは、どこから手を着けたらよいのか分からないので、教えても構わない。ただし、ここは教えなくても、少し背伸びすればできるかも、という「教えない」部分を残しておく。すると子どもは、そこを能動的に突破できる。大人は驚く。子どもは驚かせて楽しい。

だから、「教える」こと以上に「教えない」ことをデザインすることが大切。本人の力で学べそうなら、なるべく教えずに残しておく。残しておいた分だけ、子どもは能動感を味わえる場面が増え、大人を驚かすネタが増えることになる。

うちの子らは、赤ちゃんの頃からそうして育てたためか、ほぼ何も教えない。むしろ、教えられることが嫌い。自分で学びたいから。自分が能動感を味わえ、大人を驚かす場所が損なわれるのを嫌がるから。だから小三の息子は代数の計算を編み出したり、年長の娘はわり算したりする。教えないのに。

私は、赤ちゃんに対する母親の接し方が理想的だと考えている。言葉も通じない赤ちゃんには、何も教えようがない。歩くことも、言葉さえも。ただ、祈り、本人が成し遂げるのを待つだけ。そして初めて立ったとき、言葉を発したとき、手放しで驚き、喜ぶ。たぶんそれは子どもにとって、原体験となる。

教えられもせずに自分の力で成し遂げたという能動感、達成したときに親が驚いてくれたときの興奮。だから子どもは、何かできることが一つできたときに「ねえ、見て見て!」と言うのだろう。驚いてほしくて。能動的に学び取り、成長した自分に驚いてほしくて。

ところがつい、言葉が通じるようになると、「教えたらもっと成長が加速するのでは」と思い違いし、教えてしまう。もちろん、ある程度は効果がある。ところが、肝腎なものが消えてしまう。学習意欲。能動的に学び取ることで大人を驚かすことができた喜びを味わえなくする。

学習意欲が湧くには、どうやら、自ら能動的に学び取りにいった、という能動感が必要。そしてできれば、おしえられもせずにできるようになった、と、親や大人を驚かしたい、という欲求がある。ならば、「教えない」空虚をデザインし、子どもが能動感を味わえ、「驚かす」ことができる余地の確保が必要。

そして大人は、「教える」という能動的な行為をなるべくへらし、むしろ子どもから「教えられる」という受け身的存在に身をおくことを意識した方がよい。そして、「お父さんはこんなことも知ってるんだぞ」と、驚かす喜びを自分が味わうのではなく、子どもにその喜びを譲る必要がある。

私は子育てする中で、「教える」のは子ども、「驚かす」のも子ども、とした方が、異様なまでの学習意欲の刺激になることに気がついた。自分が能動的存在であることをやめ、徹底して子どもが能動的存在、親は受け身(空虚)の存在になった方がよい、と。

「ほめる」も、教育効果があると信じられているし、確かにあるのだけど、「ほめる」という言葉には、大人の願望、期待が混じりやすいという欠点がある。それについては前にまとめたので、繰り返さない。
https://t.co/5K1M4lHtm4

「教えない」ことで、能動的に学び取る場所を確保すること、「ほめる」のではなく「驚く」ことで、子どもが能動的に学び取った時に驚かしてもらうようにすること。
すると、子どもの学習意欲は最大化するように思う。

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