小学校の内容は高校までの学習の基礎、生活実感で理解すること

私の塾には公立中学で最下位クラスの生徒も来た。そして4人が4人とも、中学で習う内容はマスターできた。私の感覚では、先天的な理由で中学校の内容を習得できない子は、50人中1,2人の割合だと考えている。最下位クラスの子も含め、塾に来た子で私より頭が悪いと思った子はいなかった。

ただし、成績が伸びない子は小学校の内容でつまづいている子が多い。私が指導した地域の公立中学で言うと、偏差値55以下の子は、小学校の内容のどこかでつまづいている可能性がある。どこかあいまいにしたまま部分が残っている。

偏差値50未満の子は、分数の計算がすでに怪しい。分数の割り算はかけ算に変わるんだろ?という「テクニック」として暗記しているけれど、なぜ分数の割り算がかけ算になるのか、リクツを理解しないままにしているケースが多い。このままでは、中学内容は理解できない。

偏差値50~55の子でも、速度の計算が怪しかったり、平行四辺形や台形の面積の求め方、立体の体積の求め方が怪しかったりする。小学校で習ったこうした内容をそのままにして中学校の内容に取り組んでも、穴の開いたバケツに水を汲むようなもの。

私の塾では、偏差値56以上は10人に1人くらいのレアな存在だった。偏差値55以下の子どもの場合、小学校の内容から振り返ることが是非とも必要だった。それも、テクニックの暗記ではなく「実感」に基づいた理解をしておくことが必要だった。

たとえば1÷1/3という問題。これ、意外と「理解」して解いている子は少ない。理解できているのは半分以下のような気がする。解けているように見える子でも、「分数の割り算は、ひっくり返してかけ算にするんだろ?」というテクニック論に堕している。

これを、「まるまる1枚のピザは、3分の1にカットしたピザの何枚分だ?」というように、式のことをいったん忘れ、現実に目にするものを材料にし、実感として感じられるようにする必要がある。「3分の1カットの、3枚分だね」ということを実感させる。

「じゃあ、まるまる1枚のピザは、5分の1カットのピザの何枚分?」「じゃあ、6分の1は?」「10分の1は?」そうして質問を重ねていくと、子どもはふと、あるパターンに気がつく。「あれ?何分の1、の何の数字に答えがなるね?」そう!それによく気がついたな!

まるまる1枚のピザを2分の1カットのピザ何枚分か?3分の1は?4分の1は?…そうしたクイズを式に表すと、1÷1/2、1÷1/3、1÷1/4…となる。さっき、君はどう答えたっけ?「ええと、最初のは2枚、次のは3枚、次に4枚…あれ?割り算なのにかけ算になってる?」そう!よく自分で気がついたな!

「分数の割り算は分母と分子をひっくり返してかけ算にする」というテクニックを先に覚えてはいけない。分数がかけ算に変わる不思議な現象を、まず、ピザやケーキなど、実態のあるもので実感させ、答えを本人に正確に導かせ、そして式との対応を自ら発見させる必要がある。

なお、分数の苦手な子に「分母」「分子」という言葉は、当面使わない方がよい。そうでなくても、教える側がよく逆に言い間違えることがある。分母と言おうとして分子と言ったり、その逆を口にしたり。聞く側の子どもは大混乱する。それに、分母も分子も音読み熟語。勉強の苦手な子はアレルギーを示す。

「棒の下の数字の数だけ割る、っちゅうことや。1/3だったら、「1を3つに割る」ってこと」と、棒の上、下、と言った方が、子どもも混乱しにくいし、教える側も言い間違えにくい。分数が怪しい子の場合、分母分子といった音読み熟語の使用は控え、棒の下、上、と表現する方が望ましい。

でも、分数を分数のまま教えるのは得策ではない。ピザやケーキでひたすらクイズを出し、実感に基づく理解を十分に深めた方がよい。できるだけ簡単なクイズをたくさん出して、本人がパターンや法則性に気がつき、「もしかしてこういうこと?」と「発見」したら、「ビンゴ!」と答えるやり方。

小学校で習うことは意外に高度で、生活実感が十分積みあがっていないと、理解することが難しい。ケーキを6つに切ったり、おやつを何分の1かに分け合う体験を積み重ねている子は、分数を理解しやすい。しかしそうした体験が乏しいと、理解が難しい。そしてそのつまづきのまま中学生になるケース多い。

でも面白いことに、中学生くらいになると生活実感、生活体験がそれなりに積まれているので、改めて分数とは何か、からやり直すと「あ!こういうことだったのか!」とすんなり理解できる。なぜ分数の割り算は逆数にできるのか、その不思議な法則が成立するメカニズムも理解できる。

距離、時間、速度という音読み熟語で言われるとよくわからなかった子どもも、「むっちゃ足の速いやつと遅いやつ、同じ距離を競争したらどっちが早くゴールする?」という聞き方をすると、速いやつ、とすぐ答えられる。速さと時間と距離の関係を、実感から考えさせると理解がしっかりする。

そうした、小学校の内容からしっかり行い、穴ぼこのないようにしてやれば、中学校の内容も比較的スムーズに理解できる。因数分解みたいな抽象的な操作も、なぜそうなるのか、苦労はするけれどリクツから理解し、解けるようになる。

中学校の内容は、50人に1,2人くらいの先天的な理由がなければ、理解・習得が可能。そして高校の内容も、中学の内容が発展したものだから、習得は可能。あとはそこまでしたくなるかどうかだけの話。

私の考えでは、高校の内容までなら、習得するのに「才能」を云々する必要はないと考えている。地道にやれば、みんな習得できるようになると考えている。ただ、人間には好みがあるのと、そこまでの動機を子どもが持てるかどうかの話。

高校までの内容は私も習得ができた。ただ、大学の内容になると、向き不向きがはっきり出ると思う。大学の数学や物理は、私には手も足も出なかった。無理。まあ、高校の時点で、「点数採れるようにはなるけれど、こりゃ向いていないな」と思っていたが。

高校までの学習内容は、多くの人が習得可能だが、大学で学ぶ内容には向き不向きがあると思う。その気配はすでに高校の内容で感じるはずだと思う。いくら点数をとれていても、大学で専門でできるほどではないな、ということは分かる。大学の専門の内容になると、さすがに才能が必要になってくる。

まあ、私が進んだ生命科学、実験科学は、比較的数学などの才能がなくてもできることが多い。ただ、面白いことに、数学や物理などの理論系の人は、実験科学に向いていないな、と思うことも。好みとか、向き不向きはあるのだろう。

さて、高校までの学習は、ほとんどの人が習得可能だとは考えつつも、そこまでやる動機を持てるかどうかは、その人の個性、考え方、環境によるところがある。何より、学ぶことを楽しめているかどうかが大きい。多くの子どもが、学ぶことを楽しんでくれたらなあ、と思う。

小学3年生で分数が理解できなかったからと言って、焦る必要はない。まだ、分数を理解するのに必要な生活実感が不足しているだけ。生活実感の中から、分数的な現象をまだ見つけていないだけ。体験できていないだけ。それをまず積み上げることが大切。

そのためには、料理を一緒に楽しんだり、大工仕事を一緒に楽しんだり、生活の中で体験をたくさん積み上げること。体験を増やすのに大切なのは、楽しむこと。子どもが楽しめるようにすれば、放っておいても子どもはそれらにのめり込み、体験を積み上げる。

体験を積み上げれば、小学校の内容は理解できる。小学校の内容が理解できれば、中学校の内容も理解できる。中学校の内容が習得できれば、高校の内容もマスターできる。まずは体験!体験を積むには、まず子ども自身が楽しむこと!子どもが楽しむには、親は教えず、手を出さず、驚くこと!

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