「ほめる」「伸ばす」をやらない理由
えらくバズってるツイートに対し、何人かの方から、この才能を伸ばすべく、「ほめてあげて」「伸ばしてあげて」というコメント。もちろん善意から言ってくださってると思う。ただ、ほめるのも伸ばすのも子どもの意欲を潰し、かえって伸びなくなると私達夫婦は考えている。ちょっと変わった考え方かもしれない。
ほめるとそこで止まってしまうことが多い。「あのときのあれ、すごいでしょ!」と、過去の栄光にすがりつき、過去の栄光ですごいと言ってもらおうとしてしまうことがある。そこから先に進まなくなる。だから私達夫婦はほめないことにしている。
伸ばそうとすると、子どもの意欲の根を切ってしまう。伸ばそうとするということは、親や大人がそれの分野を知ってるということ。その先を知ってるということ。知ってるなら大人がもう驚かないということを、子どもは察知する。そしてやる気を失ってしまう。「もうこの分野では大人は驚かない」と。
だから私達夫婦はほめることも伸ばそうとすることもしないように気をつけている。先回りしないように心がけている。親の知らぬ間に先に進んだことに後から驚き、面白がる「後回り」を心がけている。すると、子どもはまた大人を驚かそうと企む生き物らしい。
驚くのも「結果」に驚かないようにしている。工夫・発見・挑戦に驚くようにしている。「この工夫、面白いね!」「この発見、よく気がついたね!」「これ、よく挑戦しようなんて思ったね!」すると子どもは常に挑戦しようとし、工夫を重ね、発見しようと鵜の目鷹の目で観察するようになるらしい。
「こんな工夫やってみた」「こんなことに気がついた(発見した)」「思い切ってやってみた(挑戦)」と教えてくれる。私達夫婦はそれに驚き、面白がる。すると子どもは「驚かしたった」と満足そうに、次なる工夫・発見・挑戦に進む。大人を驚かすのがことのほか楽しいらしい。
工夫・発見・挑戦に取り組むと、子どもは同じところにとどまらない。以前もやったことだと大人は驚かないことを知っているから。大人が結果に驚かないから失敗を恐れない。むしろ失敗は工夫・発見・挑戦をしている証であり、失敗を重ねている時こそ大人が驚いてる最中だから気にしない。むしろ楽しむ。
失敗を楽しむと観察する。失敗を恐れていると目をそむけているから気づかないが、失敗を楽しんでると観察するから気づきが多い。その気づきから新たな発見があり、工夫の余地を見つけ、挑戦する課題を見出す。だからどんどん工夫・発見・挑戦の課題が湧いてくるらしい。
工夫・発見・挑戦に大人が驚き、面白がっているだけで、子どもは次なる工夫・発見・挑戦に取り組む。熱中して取り組むから学びが深く広い。教えなくてもありとあらゆるところからヒントを拾ってくる。「この発想はこっちに応用できるのでは?」失敗が続いているからなんとかしたいという熱意も強い。
子どもが失敗してるからといって、大人が成功に導かない。先回りしない。子どもは失敗を別に悲しんでいない。そこから次なる工夫・発見・挑戦のネタを見つけようとしている。失敗は楽しい。ワクワクする。成功はむしろその楽しみの終焉でつまらない。だから次なる失敗に挑む。なぜうまくいかないのか?
うまくいかないものほど楽しい。それは工夫・発見・挑戦の余地がある課題だから。うまくいくのはつまらない。そこには工夫・発見・挑戦の余地が小さいから。
大人が工夫・発見・挑戦に驚き、面白がると、子どもはそうした行動原理になっていくようだ。
だからほめないし伸ばそうとしない。工夫・発見・挑戦に驚く。そうすると本当に驚くことに、子どもは驚くようなところから学んでいく。どんどん工夫・発見・挑戦を続け、成長していくらしい。私は学生やスタッフの指導でもそうさせて頂いている。大人でも、工夫・発見・挑戦は楽しい作業。
楽しいから意欲が高い。意欲が高まるからますますのめり込む。こうした行動原理になると、子どもも大人も楽しく学べるらしい。ほめるのをやめ、伸ばそうとするのをやめ、工夫・発見・挑戦に驚き、面白がることをおすすめしたい。