タテのダイバーシティ

昨日のウェブ飲み会のテーマは教育。「タテのダイバーシティ」に強い印象。ヨコのダイバーシティはよく議論されているけれど、経済格差で生み出されたダイバーシティにもっと目を向けた方がよい、と。たった三行の文字も読めない、読む習慣がない子ども達が増えている、と。東京や神奈川の話。

関東は分からないが、私も大阪や愛知でそうした子どもを見ている。家族で交わされる会話は言葉が単語。文章になってない。だから私が文章でしゃべるとそうした家の子は驚く。「なんでそんなに長い文章でしゃべれるの?」

普段の会話は単語で、友人も似たような子とつきあうから単語でのやりとりばかり。だから文章は学校の授業でしか習わない。これでは国語力は伸びない。そもそも文章を読む体験が欠落しているのだから。
では国語力は絶望的かというとそうでもない。きっかけさえあれば伸びる。

ただ、そうした家庭に「ゆとり」が失われている。いつもいっぱいいっぱいで、親は子どもに目を向けるゆとりがない。経済的ゆとりもない。ゆとりがないから必死に働くが、それゆえに疲れ果て、思考力が低下する。

思考力が低下するために、例えば格安スマホに乗り換える知識を得たりする余力がない。晩御飯を自炊する余力を失い、買い食いしたりする。そのために出費が増え、お金のゆとりを失う。時間もお金もゆとりのない家族が増えている。

「いつも「時間がない」あなたに」(センディル・ ムッライナタンら)で紹介されていた、アメリカの貧困層と同じ構造が日本でも現れている。貧しさ故にゆとりを失い、疲れから思考力を低下させ、そのために経済的ゆとりをさらに失うような選択をしてしまう構造。

派遣労働をはじめ、日本は、生活していくのがやっとの低賃金労働が増えている。それらの仕事はゆとりがなく、ゆとりがない故に経済的に賢い選択もできないほど余力を奪われている。そのしわ寄せが子ども達に向かい、単語だけの会話を増やし、学力を向上させるきっかけを奪っているのかもしれない。

「タテのダイバーシティ」問題は、揺るがせにゃできない問題。結局、日本全体の国力を低めることになりのだから、為政者は本気でこの問題に取り組むべきだと考える。

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