ケインズ、ソディ、ゲゼル・・・地球を壊さないために

私は経済学に関してはかなりヘンテコな考え方をしていて、非常に共感されにくいのだけど、ケインズ、ソディ、ゲゼルの3人を組み合わせた考え方がいいじゃないか、と考えている。ケインズは別として、ソディとゲゼルは聞いたことがない、という人が多いと思う。

ソディはノーベル化学賞を受賞した化学者。その後、ソディは経済学に興味を持ったのだけれど、当時としてはあまりに奇抜過ぎる理論だったので変人扱い。でも、さすが化学者らしく、エネルギーの視点から経済を見直すという興味深い着眼点。

この世に存在するものは全て壊れていく。エネルギーは使ってしまえばなくなってしまう。なのに、一つだけ壊れもせず、それどころかどんどん増殖するものがある。お金。お金は信用創造などでどんどん増殖してしまう。この世のものはすべて壊れ、失われていくのに。

お金を支払えばいろんな商品を購入することができ、エネルギーを消費することもできる素晴らしい道具。でもそのお金がどんどん増殖すれば、そのお金で買うことができる商品やエネルギーも一緒に増殖しなければならないはず。ところがどの商品もエネルギーも壊れ、失われていく。

地球が有限である以上、商品とエネルギーを無限に増やすことはできない。もしそんなことを無理に続けようとしたら、地球が壊れてしまう。なのに、商品とエネルギーを対価として求めるお金は、無限に増殖していく。ソディはこの矛盾を鋭く突いた。とても興味深い視点。

ゲゼルは「お金を腐らせればいい」と考えた。現在使用されているお金は、少なくとも額面上は減ることがない。1万円はいつまでたっても1万円。だけど、この世のものはすべて壊れたり腐ったりして劣化し、失われていく。お金は腐らないのに、対価である商品やエネルギーは失われていく。

そこでゲゼルはお金を腐らせればよい、と提案。ゲゼルはこのアイディアを、無人島で生き延びたロビンソン・クルーソーで例えて説明している。クルーソーは無人島で暮らすうち、食料や衣服を何とか自分で作れるようになり、ある程度蓄えもできるようになった。そんなとき、その無人島に別の漂流者が。

着るものも食べるものもない漂流者は、クルーソーに服と食べ物を貸してほしい、と頼んだ。クルーソーは「わかった、でも利子を付けて返せよ」といった。それに対し漂流者は「何を言っているんですか、利子を付けなくても、同じ量の服と食料を返すだけであなたは得をするんですよ」と答えた。

漂流者は次のように説明した。「あなたのため込んでいる服や食料は、私に貸さなくても、1年経てばカビたり腐ったりして使い物にならないものが多数あるでしょう。しかし私が1年後に同じ量と品質のものをお返しすれば、あなたは新品の服と食料が1年後も手に入るのですよ」

このロビンソン・クルーソーのたとえ話のように、万物は腐ったり壊れたりして、時間が経つと失われる。だから、一定時間後に同じ新品が手に入るのなら、十分お得になる。なのにお金は利子をつけて返せという。お金となった途端に私たちは利子が必要と思うが、万物が壊れることを考えると、さて。

で、ゲゼルはお金を腐らせることを提案したのだけれど、それを実践した事例がある。「ヴェルグルの奇跡」と呼ばれている。世界恐慌でヴェルグルという小さな町も大変な不況に見舞われた。そこで町長は、腐るお金を発行した。実際のお金を担保にすることで腐るお金の価値も保証したうえで。

でも、腐るお金(労働証明書)は一定時間が経つと腐ってしまう。具体的には、お金を少し払って印紙を買い、それを腐るお金に貼らないとお金の価値が失われるという仕組みにした。
こうすると、お金がヴェルグルの街の中で急速回転した。印紙代を払う羽目になる前にこのお金を使い切ってしまおうと。

このため、世界恐慌の中でも、ヴェルグルの街は好況に転じた。これが「ヴェルグルの奇跡」と呼ばれている。「腐るお金」は、腐る前にさっさと使いたいから手元に残したくない、という興味深い性質を備える。現在のお金は、なるべく手元に取っておきたくなるのと、逆の働きをするようになる。

腐るお金は貯められないから、お金をただ貯めるだけのお金持ちが発生しない。また、働かないとお金がなくなってしまう。働かないでいるとお金がどんどん腐り、なくなってしまうから。だからみんな腐るお金をもらうために働くことになる。それでいていつまでも持っていても仕方ないから使っちゃう。

高齢者には、1カ月暮らせるだけの金額を「腐るお金」で年金として渡せば、一カ月暮らせるけれど、貯めることはできない。それをもらった働く労働者は、またさっさと使ってしまう。

「お金崩壊」の著者、青木秀和氏は、「腐るお金」を石油などのエネルギーと連動させて発行すればよいのではないか、と提案している。1年間で消費するだけのエネルギーと同じだけの「腐るお金」を発行すれば、エネルギーを消費しつくした時点で「腐るお金」も消えてなくなる格好。

エネルギーの消費量と「腐るお金」の発行量を釣り合わせれば、ソディの指摘した「有限な地球の中で生きること」という問題をクリアできるのでは、と思う。なんか、そんな経済システムを真剣に考えたほうがよいのでは、と思う。

現在のお金は、ソディやゲゼルが問題視したように、腐るどころか増殖してしまう。増殖するから、「経済成長が必要」となってしまう。しかし経済成長するということは、どうしても資源やエネルギーの浪費を促すことにつながりやすい。お金の増殖が資源・エネルギーの浪費を促す格好。

ならば、お金の増殖を止め、むしろお金が腐るようにした方が面白いのでは、と思う。お金が腐るようになれば、「今年の分のエネルギーを使い切るころにお金が全部腐るように」設計することで、エネルギー消費量をコントロールすることにもつながるのではないか。

ただ、難しいのは「キーボード」の問題がある。私たちがパソコンで使っているキーボードの配列は、タイプライターの時代から変わっていない。タイプライターの配列は、当時、よく打つ字が絡まないようにという配慮から工夫されたもの。でももはやタイプが絡むことはないので、配列を変えてもよいはず。

でも、いわゆる標準化(デファクト・スタンダード)になってしまった配列は、みんなもうそれで慣れてしまっているから、変更しても誰もそれを採用しようとしない。「みんな慣れている、どんなものかわかっている」というデファクト・スタンダードは、お金の仕組みについても言える。

お金は腐らないし、貯めておけばいつでもその額面の価値で使える、という私たちの常識が崩れると、いったい何が起きるか不安になってしまう。だから、「腐るお金」が採用される可能性は低い。金融とかをどうデザインすればよいのかも難しい。

しかし、お金が腐らない、それどころか増殖を続けるという問題は、生物学を研究してきた私にとってあまりにいびつな設計。生物はすべて、材料やエネルギーが壊れ、失われていくことを前提に組み立てられている。それは地球というシステムもそう。

なのに、人類を突き動かすお金という存在は、増殖をやめようとしない。地球は増殖できないのに。限りがあるのに。この矛盾が、大気中の二酸化炭素を増やし、地球温暖化を進める原因になっていると言える。また、お金をため込んでしまうお金持ちが生まれ、格差が広がる問題も。

「21世紀の資本」の著者、トマ・ピケティは、国の経済成長よりもお金持ちの持つお金の方が早く増えている、ということを明らかにした(r>g)。国という巨大な存在ともなると、ソディが指摘したように、地球に限界があるという問題の影響もあって成長が頭打ちになる。しかし。

お金持ちのお金はそんな中でも増殖を続ける。よく投資家は「投資したお金がすべてパアになるリスクを背負っている、だから儲けられる時に儲けるのは何も悪くない」というのだけれど、ピケティ氏によれば、お金持ちのお金は着実に増殖する。国が経済成長する以上の速度で。これもお金の増殖が絡む問題。

ルソーは自分の著作「社会契約論」で、「社会状態が人々に有利であるのは、すべての人がいくらかのものをもち、しかも誰もがもちすぎない限りにおいてなのだ。」と指摘している。お金持ちのお金が世間一般よりも増殖しているというのは、ルソーの視点から見てもやはり問題。

生物たちや、地球と同じように、すべてのものは壊れ、劣化していくという性質を、お金に付与できるだろうか。ケインズは、ゲゼルの「腐るお金」のアイディアについて、「将来の人々はマルクスの精神よりもゲゼルの精神からより多くのものを学ぶであろうと私は信ずる」と述べている。

「自由論」で有名なジョン・スチュワート・ミルは、「経済原論」という経済学の書も残している。ミルは、経済成長のない「定常状態」というのを想定している。地球が壊れないようにするためには、ミルの言う「定常状態」をせめて達成する必要がある。

お金が増殖してしまうがために経済成長が必要になり、経済成長しなければならないために資源とエネルギーの浪費を促してしまい、そのために地球が壊れていく、というソディが警告した問題を、まだ人類は回避できていない。お金のデザインをもう一度考え直す必要があるのでは、と思う。

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