紆余曲折欠乏症

私の塾では、小学校の内容からやり直すことにしていた。当時のその地域だと、偏差値60未満の子は、小学校の内容のどこかで躓いてる可能性が高い。偏差値60以上でも、速度や濃度の問題はちと怪しい。しようがつこうの内容をやり直さずに済むのは偏差値64以上というところか。
https://twitter.com/Kageyama_hideo/status/1635020883369824256?t=-pz1GytMPErYhBQmHgZolQ&s=19

偏差値55未満だと、分数で躓いてる可能性が結構ある。分母をそろえて足し引きしたりするところがアヤフヤ。偏差値50未満はほぼ分数で躓いてる。偏差値40以下は割り算で躓き、九九もちと怪しかったり。

でも、そこで手を抜かずに、小学校からやり直すと、学年最下位クラスの子でも真ん中あたりまで成績が上がった。
小学校で躓くのは算数。算数と、漢字の読み書きさえどうにかなれば小学校の内容はオーケー。
この小学校の内容が、意外とそれなりに好成績の子でも抜け落ちてる子が多い。

私の頃は国家公務員一種試験は難しいとされてたけど、中学までの内容で十分合格できた。言い換えれば、中学までの内容って、案外難しい。そして小学校で習う内容がとても重要。三角形や台形、平行四辺形の面積の求め方も小学校で習う。それができてないと中学数学はムリ。

私は中学生の間に、小学校の内容を数回やり直してる。高校入学後もやり直してる。小学校の内容、侮れない。成績がよい子でも抜け落ちがあるのに、偏差値64に達してない子なら、ほぼ確実に小学校の内容のどこかに抜け穴がある。それを放置していては成績は伸びない。

子どもは小学校の内容を復習するのを嫌がる。理由は2つほど。中学生なのに小学校からやり直すというのが恥ずかしいこと。もう一つは、「6年もかけて習ったものは難しくて、とても理解できない」と諦めてしまっていること。
前者については、私自身が何度も復習したことを伝えて心軽くした。

後者については、ともかくできるところまで降り、そこから登るよう心がけた。
すると、アヤフヤだったところが「そうだったのか」とハッキリして、快感。達成感。嬉しくなる。また、習った当時は難しくて理解できなかったのに、中学生の今ならすんなり理解できることに嬉しくなる。

小学校の算数をやり直すと、途端に中学数学も理解できるようになる。偏差値60未満の子は、速度の問題は「運」だと考えてるフシがある。距離を時間で割るのか、その逆だったかハッキリと覚えておらず、正解したとしても次も同じ方式で解くとは限らない。次は逆に割り算する可能性大。

偏差値60未満の子は、「1時間あたりで進む距離の長いほうが速い」という当たり前のことが、計算と結びつけていなかったりする。だから時間を距離で割ったりを平気でやらかしてしまう。
「1キロの距離を1時間かけるのと、2時間かけるの、どっちが遅い?」と質問すると、成績の悪い子でも答えられる。

「そや!なのになんで2時間かかってる方が速度が大きくなるねん!」と指摘すると、「・・・あ!」となる。
1時間あたりでどのくらいの距離を進むか、それが速度なのだ、ということが、計算しているのに実感が伴っていない。だから平気で逆の割り算をしてしまう。

小学校の内容が怪しい子は、実感、体感と計算を結びつける作業をしていない。計算方法を暗記してるだけだから、なぜ距離を時間で割るのかもピンと来てない。「あ!そうだったのか!」と思う感覚を味わわせることが、指導者の腕の見せどころ。

「距離を時間で割るのが速度」と教えるのは、教えたことにならない。距離を時間で割るのでないと、速度が速くなってるはずなのに数字が小さくなる、という「体感によるチェック」ができるように仕向けることが大切。そのためには、「問う」ことが大切。

「1時間で2キロ進むのと4キロ進むのと、どっちが速い?」
「4キロ」
「そや。自動車の速度メーターって、速いと増えるんか?減るんか?」
「増える」
「そや。ほんなら速度は時間を距離で割るんか?」
そう問いかけて、しばらくほっとく。わざと間違える問いかけをしたほうが効果的。

わざと間違いを誘導する問いかけをすると、「だましたな、もうだまされるもんか」という気持ちが芽生えるから、検算する方法をマスターしておこう、という意識が身につく。だから私はわざと間違え、正解にたどり着くまでに紆余曲折する経験をさせる。アヤフヤならなおさら。

紆余曲折に一度付き合うと、忘れなくなる。教えるというのは、正解の導き方を伝えることではない。どういう心構えなら正解を導き出せるのか、それが子どもの中で出来上がるのを助けること。だから逆説的だけど、それを達成するには「教えない」で、わざと間違う様子に付き合うことが有効だったりする。

生徒が「速度は距離割る時間やね!」と聞いてきたら、「ええ〜?そうやったかなあ?」とニタニタ笑う。するとアヤフヤな子どもは戸惑う。「いや、時間割る距離やったかな・・・」さあ、どうやろなあ、とニタニタ笑うと「ええ〜!ちょっと待って!ねえ、どっち?教えて!」と来る。

それでも答えず、問いかける。「1キロの距離を1時間かかるのと2時間かかるの、どっちが速い?」前者だと子どもは答えられる。
「時間割る距離で計算したらどないなる?」
「速度は速い方が大きなるんか、小さなるんか?」
問いかけ、考えさせる。

そうして、自分で計算方法を吟味した経験のある子は、もう順番を間違うことはなくなる。迷った時間が、理解を深める契機となるから。だから紆余曲折は大切。

成績の悪い子は「紆余曲折欠乏症」だと言える。成績のよい子は、時間を距離で割ったら、速くなってるはずなのに数字が小さくなってしまうという矛盾を、紆余曲折の中で味わう経験をしてる。わざと間違った計算をすることで「違うな」という検算を知らぬ間にやっている。

だから、計算を間違えると体感とズレが生じるという紆余曲折の体験を積ませた方がよい。この紆余曲折の体験に付き合うと、子どもは「また1時間以上も紆余曲折させられたらたまらん!」となって、私の問いかけで動揺させられる前に体感で検定するクセがつくようになる。

そうなれば、なぜそんな計算方法をとるのか深く考えずにやる、ということがなくなる。アヤフヤがなくなる。理解がアヤフヤなのは紆余曲折欠乏症だと捉え、体感で検定する紆余曲折に指導者が意図的に引き込むことが大切だと思う。

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