誤解はイノベーションの母

知識は正確に伝達されなければならない、誤解があってはならない、と一般に考えられている。でも私は、誤解が起きるから新しいアイディアも生まれると考えている。
眼鏡屋に、コンタクトレンズを持ってるという外国人が現れた。かねて関心があったので見せてくれと頼んだが、見せてもらえなかった。

それで一念発起した眼鏡屋は、自分で開発を思い立った。それで生まれたのが、瞳のサイズのコンタクトレンズ。
もし外国人からコンタクトレンズを見せてくれもらっていたら、この瞳サイズのコンタクトは生まれていなかったかもしれない。当時のは、眼球全部を覆うものだったから。

見てしまうと、イメージが固まってしまう。見ていなかったからこそ、コンタクトレンズがいかなるものかイメージが固まらず、ひたすら眼球を観察して、瞳の形のコンタクトが作れると考えることができた。不十分な情報を基にし、誤解したからこそイノベーションは起きたのだと言える。

iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中教授は「知らなかったからできた」と言っていた。ヘタに万能細胞の知識を詰め込んでいたら、「この方法も無理かも」と、勇気が挫かれていたかもしれない。知らない部分、正確に把握し切れていなかったからこそ囚われず、新しいことに挑戦できたのかも。

プロバイオポニックス(有機養液栽培)を開発する前、なぜ有機養液栽培は実現できないのか、専門家から理論的に力説されたことがある。その難しさを専門家としてよくご存知だったから、私の無謀を止めようとしてくれて。ただ私は知識がないから「なんとかなるんじゃね?」と考えた。

有機養液栽培の研究は、失敗だらけの死屍累々で、下手にそれを知っていたら腰が引けていたと思う。しかし私は日本酒醸造と有機質肥料の分解が似てる(二段階で分解が進む)からなんとかなるだろ、と考えてやってみたらうまくいった。知識が正確に伝わらなかった「不運」が招いた「幸運」と言える。

「誤解は発明の母」というフレーズは、「妄想ニホン料理」という番組のオープニングで流れていた。この番組では、海外の料理人に不十分な情報を伝えてニホン料理を再現してもらうというもの。親子丼も「ご飯の上に親子を載せる」みたいな不十分極まりない情報だけ与えて。すると。

実に多彩な創作料理が生まれた。親子丼を知らない人達に、あえて誤解するゆとりを与えてやってもらうと、誤解の幅だけバラエティのある料理が生まれた。創作、創造は、ある種の誤解、誤認、不正確な知識が混じると生まれやすい。

上司は部下に、正確に自分の知識をコピペしようとしてしまいがち。しかしそれによって部下の思考を狭くし、硬直させ、不自由にしている恐れがある。誤解、誤認は、誰かを傷つけたり危険だったりするものは容認する訳に行かないが、そうでないならあえて容認することが、新しいものを生み出すのかも。

アリはエサを見つけると、エサまでの最短距離のコースを作る。なぜこれができるかというと、「道に迷う」アリがいるかららしい。
最初、エサを見つけたアリは、さんざんウロウロした上でエサを見つけてるから、通った道はジグザグ。フェロモン残して道しるべにしてるけど、ジグザグ道。

ところが道しるべフェロモンを上手にたどれないアホなアリが一定程度いて、道を見失う。ウロウロしてるうちにまたフェロモン見つける、ということを繰り返すことで、最初のアリが残した道しるべよりも近道を作れるようになるらしい。
もし正確に道をたどれるアリばかりなら、こういうことは起きない。

誤解や誤認、過ち、不正確という「ゆらぎ」があるから、より洗練されたものが生まれる。危険が少ない「ゆらぎ」なら、それを容認する。むしろ意識的に導入する。それが、創造性を意識的に取り込むコツの一つのように思う。

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