具体的なエピソードから仮説を紡ぐこと

私の文章の特徴。書かせて頂いた四冊の本も、ツイッターも、具体的なエピソードを紹介し、そこから広く応用が利きそうなテクニックや教訓を引き出す、というもの。この文章のスタイルは恐らく、モンテーニュ「随想録」と、古代中国の「諫言」から学んだのだと思う。

「随想録」にあった印象深いエピソード。西洋人が異国の王様と会ったとき、王様が手鼻をかんだ。つまり、手のひらに鼻水を出した。それを西洋人が「なんて下品な」。ではお前たちはどう鼻をかむんだ、と王様が尋ねた。西洋人は自信満々「絹のハンカチを使って上品に」。すると王様は。

「鼻水ごときに高級な絹を使うお前たちの方がどうかしてる」と答えた。
もう一つ。西洋人が、死んだ人を食べる食人の風習をもつ人々と出会った。西洋人は「なんて野蛮な」と批判。ではお前たちは死んだ人をどう葬るのだ、と尋ねられ、西洋人は自信満々に。

棺桶に入れ、丁重に土に埋める、と説明。すると食人の人たちは「大切な人達の肉を、ウジ虫に食べさせる方がどうかしてる」と返された。
この二つのエピソードは、自分の文化、価値観こそ絶対だという思い込みがあるけど、実は相対的に考える必要があることを教えてくれる。

これらエピソードを一切語らず、いきなり「すべては相対的である」と結論だけ述べれば、文章も短くて済む。けど、つまんない。印象に残らない。説得力もない。記憶にさえ残らない。
どうしたわけか、人間は具体的なエピソードの方が強く印象に残り、そこから普遍的な何かを学び取る力が強いらしい。

古代中国では「諫言」(支配者に考えや行いを改めることを求めるアドバイス)のテクニックが磨かれた。古代の王は絶対的な力を持っていたから、機嫌を悪くすれば簡単に殺される。そうしたリスクがあってもアドバイスするための声かけの技術が磨きに磨き上げられた。

淳于髠(じゅんうこん)は、大国の趙に使者として援軍を頼んでこい、と王様に言われた。持って行く土産のリストを見て、大笑いした。王様は「なんで笑う?」と聞いた。淳于髠は「今日、途中で見かけた農家を思い出しまして。ちょっとの肉をお供えして『大豊作を』と、厚かましい願いで、思い出し笑いを」。

王様はそれを聞いて察し、土産を10倍に増やした。淳于髠はそれを持参して見事使命を果たし、大援軍を引き出すことに成功した、という話。
もし淳于髠が「土産が少なすぎる、10倍に増やすべきだ」と王様に直接言ったら、機嫌を損ねて殺されただろう。「お前は王より偉いのか」と。

そこで淳于髠は「あくまで別の話です」という建前で、たとえ話をした。たとえ話から何を王様が察し、どう判断し、何を汲み取って、どう行動を改めるかは王様次第。それだと、王様が自分の判断で変えたのであり、部下から言われたから変えた、という体裁をとらずに済む。比較的行動を改めやすい。

人間って、抽象的な言葉にはなんの感動も覚えず、思考も深まらないけど、具体的なエピソードを聞いたとき、自分の中の似た体験を思い出し、広く応用できる教訓を引き出すということに長けている生き物であるらしい。古代中国の諫言は、その性質をうまくついたものだったように思う。

たった一例でしかないエピソードを拡大解釈することは科学的でない、という批判もあるかもしれない。確かに「一斑を見て全豹を卜す」という言葉もある。ヒョウの黒い斑点だけの毛皮を見たら「ヒョウとは真っ黒な生き物である」と誤解する恐れがある。ただ。

「一斑を見て全豹を卜す」は、やり方を気をつけさえすれば科学的にもできる。その代表的なのが、地学。
石ころ一つ取り上げて、「これはサンゴの化石だから、ここはかつて暖かい海の底だった」と、実に大胆な仮説を紡ぎ出す。たった一つの石ころから。

たった一つの石ころから大胆に仮説を紡いだだけなら、「一斑を見て全豹を卜す」と同じで、乱暴過ぎる仮説。でも別の石ころを取り上げ、その石ころからも仮説を紡いだら。
ヒョウの毛皮の断片をいくつも検証してるうち、「ヒョウは黄色と黒の混在した模様では?」と、実像に近い姿を推測できるように。

一つのエピソードから一つの仮説を紡いだら、別のエピソードからも仮説を紡ぐ。仮説と仮説を戦わせ、両方の仮説を包み込める新たな仮説を紡ぐ、という作業を繰り返すと、「かつて大きな隕石が恐竜を絶滅させた」という仮説が小さな石ころから紡がれ、やがて皆が信じる仮説に育ったように。

信憑性の高い、精度の高い仮説を紡ぐことができる。私はこうした、たった一つだけど印象的な出来事から仮説を紡ぎ、別の出来事から仮説を紡ぎ、両者を包摂できる新たな仮説を紡ぎ直す、という方法を「観察科学」と呼んでる。事象をよく観察し、そこから応用の利く何かを引き出そうとする科学。

人間に関することは、この「観察科学」が適してるように思う。できるだけ皆さんが「あ、それ、自分にも覚えがある」と、思考を刺激するエピソードを紹介し、自身の体験と照らし合わせて、何か応用の利く教訓をそれぞれ引き出せるように。
そんな方法を、モンテーニュと諫言から私は学んだ。

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