私達は聖人ではない、凡人の発言でも一得ある

広武君曰く、「臣聞く、『智者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に一得あり』と。故に曰く、『狂人の言も、聖人焉(これ)を択(と)る』と。
淮陰侯列伝
田中謙二・一海知義「史記」(四)p.40、朝日文庫

この言葉を、片言隻句の誤りをもって全発言を否定しようとする人に届けたい。

私は昔の人の発言を引用することがある。すると「そいつはこんなヤツで」と人格否定に走り、引用した言葉には何の価値もない、という誘導をしようとする人に出会うことがある。私はそれ、意味のない行為のように思う。すべての言動に誤りのない人間などいないのだから。

私はこれまで何度も炎上している。確かに私の発言に問題があったからなのだけど、それをもって私を否定しようとする人が出てくることがある。バズってるときに「この人はこういう発言をしたことがあるヤツで」と、私をおとしめようとする人が出てくる。でも。

私はそもそも完璧な人間などではない。参考にして頂ける発言ができることもあれば、問題発言することもある、どこにでもいる人間。なのに少しでも欠点があれば全否定しようと頑張る人がいる。勝手に「完全な人間でなければ全否定」という論理で責めてくる。

私はこれからも、完璧な人間などではない、というスタイルでいきたいと思う。過ちがあればそれを認め、修正していくつもり。ただ、修正はするのだけど、非常に攻撃的な発言で謝罪や平身低頭を求める急進的な態度にはムッと来る、当たり前の人間であることも自分に認めようと思っている。

過ちを認める際に、聖人君子のように振る舞えという強硬な態度は、それもまた偏狭だし、感情を逆なでしておきながら殊勝な態度をとれ、というのも無茶な話。そういう、この世にあり得ない聖人君子的態度を求める人には首を傾げざるを得ない。

私を含め、誰もが凡人であり、凡人でできる範囲のことをする、ということをコンセンサス(同意)としたい。そうすると、私達は知恵を共有できるようになるように思う。

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