グレタさんとセヴァン・スズキさん 時代を超えて叱られた大人

グレタさんに対しては賛否が分かれていることが多い。一つには「恥を知りなさい」という強い言葉を大人に向けてぶつけたことにムッと来た人が多かったためかな、と思う。確かに「言い方」という面はあるかもしれない。しかし私はどちらかというと「済みませんでした」と思った方。

その理由は恐らく、セヴァン・スズキさんの演説のことを想起したから。1992年6月、リオで開催された地球サミットで、一人の少女が演説する機会を得ることになった。この演説はのちに「伝説のスピーチ」と呼ばれることになる。
https://youtu.be/C2g473JWAEg

私はスズキさんのこの演説を時折聞き返す。そして、できることはないだろうか、と常に振り返る。そんな私にとって、グレタさんの「恥を知りなさい」という言葉は、「何を言い訳ばかりしてグズグズしているの?」と叱られた気分だった。だから「すみません」と思った。

グレタさんは自身が自閉症スペクトラムであることを明かしている。その点を踏まえたら、空気を読まずに少し激しい言葉を使ったからといって目くじら立てるのは大人げない、と私は考えた。だからその言葉の激しさに私は何とも思わなかった。

スズキさんのスピーチの5分56秒あたりで、次のようなセリフが飛び出てくる。
「親たちはよく『大丈夫、すべてうまくいくよ』といって子供たちをなぐさめるものです。」
「あるいは『できるだけのことをしてるから』とか、『この世の終わりじゃあるまいし』とか」

この指摘は、トランプ大統領がグレタさんに対して「落ち着け」とツイートしたのを思い起こす。つまり、セヴァン・スズキさんがスピーチをしてから27年たって、大人は子どもたちに対して同じことを言っているということになる。これは「恥ずべきこと」ではないだろうか。

スズキさんは次のようにも述べている。大人たちは子どもたちにこう諭す、と。
・争いをしないこと
・話し合いで解決すること
・他人を尊重すること
・ちらかしたら自分で片付けること
・ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
・分かち合うこと
・そして欲張らないこと
そして次の言葉が出てくる。

「ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか」
この問いかけに、すでに大人であり、次世代に責任のある人間として、私たちは言葉に詰まってしまわないだろうか。恥を知るなら、ここで深く内省すべきではないだろうか。

セヴァン・スズキさんとグレタさんはまったく違う人間。けれど、当時12歳だった少女と、16歳の少女の言葉は、時代を超えて不思議と響き合う。そして、当時の大人と現代の大人である私たちに、本当に違いがあるだろうか?と考え込まずにはいられない。

グレタさんには反発を覚える人が多い。しかし、31年前のセヴァン・スズキさんからの問いかけに「大人」はいまだに応えきれていないということを、まず顧みる必要はないのだろうか。グレタさんに反発する前に大人としてやることやろうか、と思うのだが、いかがだろうか。

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