実践としての福祉と心理 第1章 心理職としての関わり方 1-1枠の重要性

福祉施設として、枠には大まかに2種類ある(囲いのようなイメージというものか、バリケードのようなイメージ)。

端的に言うのであれば、
枠とは守られた空間のことである。

1つは福祉施設全体を
一つの枠としてとらえることである。

これは事業所、グループホームにおいて共通する点である。

ホームであっても事業所であっても、
利用者様が施設という守られた空間の中で

生活や技能の取得が得られる場所を指す。

その大きな枠の中に

もう一つ心理師と利用者様の枠が存在するように思われる。

それは事業所で言えば相談室であり、
ホームで言うならば事務室である。

ともにカウンセリングや心理療法を行う上では重要な空間になってくる。

基本的なことであるが

それぞれの部屋や作業スペースで
相談することは秘密保持が守られていない。
ご法度である。

何より、利用者様が落ち着かず思っていることを話してくれない。

利用者様も心理師も肩に力が入ってしまい
実りある時間にはならないのだ。

個人的感想になってしまうが
人生何事も気合の入れ時はあるが、自身の話をする際は肩に力を入れてほしくはない。

筆者としても染みチョコの様に話を頭とこころに染み込ませたいのだ。

そのため、守秘義務はもちろんのこと
ではあるが、

お互いの力を抜く、改めて異なる人間同士で向かい合い
「話をする、聴く」場所は何よりも守られた空間でなければならない。

でなければ、共に考えること、助言を提供すること、その後、実行してもらうことなどできないと感じている。

福祉施設において意外にも場所の確保というものは難しいことだと理解していただけたらと思う。

筆者は個別支援計画、カンファレンスや他の職員と利用者様とで軋轢が生じた場合以外は基本的に1:1でカウンセリングを行う。

幾度もサービス管理責任者や職業指導員、
生活支援員とケースに入ったことはあるが

利用者様の不満・不安に対して
「何が原因でどうすればよいですか?」と要因と解決法を早期に尋ねられる。

これは、職員を批判しているわけではない。

心理師はすぐに解決策を提供できるという認識があるからである。

筆者は実力不足なため一方的に解決法を提示することはできない。

要因や解決というものは

本音を言うなれば「利用者様が心からどうにかしたい」と思った際、

共に考えることがベストだと筆者は思っている。

なぜなら、カウンセリング初期の段階では関係性の構築および、自身の膿をまず出して欲しいからである(利用者様が何を求めているかで変更するが)。

そして、何よりも筆者自身の間や感覚といったペースが乱れてしまうのである。

利用者様は構えていることが多い。守りの姿勢であったり、攻撃の姿勢のようなイメージである(こちらは後日、テーマとする)。

カウンセリングを行う中で心理師が最もリラックスしていることに越したことはない。

そのため、解決よりもまず出したい気持ちをじっくり聴く時間、そして1:1といった守られた枠が重要だと感じている。

心理師も利用者様も居心地の良い空間になるようにカウンセリングの際、筆者が取り入れていることがある。
それは以下である。

①「今日は良くいらしてくださりましたね~!」

②「自身のネガティブなことを話すのは後でどっと疲れたりするので、まずはこんな感じに深く椅子に腰かけて肩の力を抜きましょか~。そうそうそういう感じ。」

③「背筋まっすぐだと話す内容も固くなってしまうので、一緒にまずは姿勢から肩の力抜きましょか~」

④「今日話した内容について、ネガティブなことは最も軽いものを持ち帰り、ポジティブなことで試してみようかなと思えたことを持ち帰って見ませんか。それ以外はここ(部屋)に置いていく。そしてまた次回、新たに持ち帰りませんか?」


①は労いである。利用者様の目線からすると、「こんなこと話したらおかしいかな」
「どうせ話しても分かってもらえないだろうな」
「話したところで何か指導されるのではないか」など思う方も多い。

そのような気持ちもある中で、貴重な1時間を割いていただいているのだ。

なるべくなら無駄にはしたくない。
カウンセリング開始する前は、必ず心に落とし込んでいる。

そういった自身の気持ちを抱いて、
①を心から伝えているのである。機械的になってはならないのだ。

②③について

人は悩みを打ち明ける際、過去、現在、未来の話を行き来する。

特にカウンセリングでは自身、他者へ思いを馳せることがほとんどなのではないだろうかと感じている(ポジティブにしろ、ネガティブにしろ)。

先ほど膿を出すと記載したが、
出した後は適切に処置をしないといけない。

出し切っただけでは化膿したり、
乾燥し、傷口が裂けてしまう。

無理やり膿を出そうとすれば、
かえって悪化してしまうのだ。

そのよな事態に陥らないためには、序盤から「こころと身体」を弛緩してもらうことは大切なのである。

筆者にとって①「そう、そう、そう、そういう感じ」という声掛けは、自身の「身体とこころ」の硬直から弛緩へしていく過程を自身で認識してもらう声掛けでもある。

これは吉川吉見先生の臨床動作法から筆者が個人的に取り入れている技法である。

筆者の場合は、声掛けと同時に筆者自身も行っている。

④について
利用者さまの体調によるのだが、
④のようにお伝えしている。このような伝え方の意図としては、膿を出した後の処置である。

必要最小限の辛さと必要最小限の希望を持ち帰って欲しい思いがある。

ネガティブなことをいくつも持ち帰ると思考がまとまらず、かえって悪化してしまう可能性が高い。最も問題にしていることは直ぐには解決しないものである。

であるならばその問題に対して比較的、

自身が向き合える問題かつ主問題の近接領域の問題について意識を変容していただいている(もちろん利用者様へはお伝えし、承諾を得てからである)。

まずは共に外堀を埋めてみるのである。

このようにお伝えする背景には理由が他にもある。

1つは、自身のトラウマな部分を話すことが多い。

つまるところ、感情という蓋を全開のままにしたまま終了してしまうと疲弊してしまうのである。

カウンセリング終了の際には適度にネガティブなエネルギーを放出しつつ、きちんと蓋を閉めなければならない。

そのため「ここ(部屋)へ置いていく」という声掛けは必ず行うのである(それだけではないが、後日テーマとする)。

2つは、先ほど記述した外堀を埋めていくことに近接しているが、筆者はもう一つの効果があると感じている。

それは、今の現状から少しでも体調が良くなるためには「何をすぐに実行できるか」を自身で明確にして行動していただくことである。

意識の変容、問題の認識だけではなく、
「1つ」の問題解決を行ってほしいという意図があっての声掛けである。

解決志向の要素も含んでいるのである。

必ずしも正解とは限らないが、
筆者はケースバイケースで実施している。

筆者はカウンセリングとはひとつなぎの相互交流だと考えている(現在は)。

お互いを視ること、お互いの話を聴き、お互いの気持ちを融合させ、吟味する。

そして、利用者様が己の資源で発見していくことだと感じている。

だからこそ、一つの方法にとらわれすぎてしまうのは、盲目的と感じてしまう(筆者の場合は)。

言葉の中にそれぞれの心理療法や技法を組み込むことは大切になってくるのである。

利用者様が安心し改善、解決、解消の糸口を見つけて頂くためには、やはり枠は必要不可欠なのである。

もはや稚拙で感想のようではあるが

筆者の戯言にお付き合いいただき、
妄言只菅多謝である。

ありがとうございます。

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