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個人的な問いと普遍的な問い

今法話で何を話すか日々考えている。
生徒たちが持っているであろう宗教へ対する違和感を手掛かりに考えようかなと思っている。

おそらく生徒たちは、全校生徒に一気に一つの宗教が教えられることへの嫌悪感を持っていると思う。それは個性尊重、多様性の時代と言いながら、どうしてそれぞれの「オーダーメイド」の救済ではなく、十把一絡に一つの教えを押し付けるのかという違和感だ。私のお世話になっている学校は大きな寺院の宗門が立てている学校なので、必然的に宗祖の開いた浄土真宗の教えを授業でも伝えることになる。そのことに対する違和感は若い人ほどあると思う。
私はたったひとりの私である。それを無視されているように感じることもあると思うのだ。これは学校という環境で宗教を教える際に発生するジレンマであり、ある種こうした感性は非常に健全で、正しい反応とも言えるだろう。
しかし、それでも私は、何かオーダーメイドの宗教を教えることがいいとは思わない。むしろ反発も含めて、これまで大事にされてきた仏教なりキリスト教なりを一つ深く伝えていくことに意味があるなと感じている。また特に、浄土真宗に対する信頼は一体どこから来ているのだろうか?そのことを考えてみたい。

安田理深先生の言葉だったか、金子大栄先生の言葉だったか忘れてしまったのだが、「本当に個人的な問題を深く考えていくと、それは必ず普遍的な問題へとつながっている」(筆者:うろ覚え)という言葉がある。この言葉が一つの手がかりになると思うのだ。

それから、昨日、龍谷大学で行われた千葉雅也先生の話にも出てきたのであるが、人間は無根拠な生を生きており、その生は偶然性によっていつ失われるか分からない。その偶然は全く倫理を超えている。悪いことをした人が早く死ぬわけでもない。何もしていなくても、明日死んでしまう人もいる。そこに生きることの恐ろしさと残酷さがある。そうした無根拠に対処するということと宗教がつながっているという話があった。千葉さんの話はよく考えなければならい大切なテーマが詰まっていた。

やはり老病死という苦悩の問題が釈尊が出家した最初の動機でもある。苦悩はもちろんそれぞれ違うのだが、老病死という苦悩は自分の問題でもあるとみんなが理解できるものだと思う。

金沢にある崇信学舎という学部道場がある。そこが毎月発行している『崇信』という冊子を読んでいるのだけれど、今年の9月号、10月号が非常に充実した内容になっている。10月号の巻頭言に非常に心が動かされ何度も読んだ。ここに引用させて頂きたい。

「巻頭言 この人といっしょにおらなダメなげん」(著:森谷登喜江)
「もしかして、Sさんじゃないですか?」
国民宿舎の日帰り温泉のロッカー前である。
「どなたさん?」
私はマスクを外して、「郵便局にいた森谷です」と告げた。失礼とは思いながら、現在の年齢をたすねると、昭和18年生まれとのこと。
 今から役40年ほど前、当時建設会社に勤めていたご主人の乗っていた車が、仕事仲間と工事現場に向かう途中、凍結でスリップした。事故直後、車外に出て他の人を助けている間に、これまたスリップしてきた後続の車にはねられ、死亡してしまった。まだ、息子さんは高校1年生、娘さんは看護学生だったという。
 それから10数年経ち、ようやく悲しみが日常に溶けこんだ頃、再び、事故が起きてしまう。お義父さんを乗せて、隣町の公立病院への道を走行中、運転を誤り、道路脇の電柱に衝突してしまった。ハンドルを握っていたSさんは助かり、お義父さんは死亡。立っているのもやっとの絶望的な心地で、現場検証や警察署での事情聴取を受けたに違いない。
 お義母さんにとっても大切な息子(Sさんの夫)に次いで、今度はご主人を無くしてしまったのである。大正7年生まれのお義母さんは、窓口での印象では、寡黙な人だった気がする。
「私の車に乗っとって、電柱にぶつかり、田んぼに落ちてしもうた。ふつうの人なら、そいあい(配偶者)を殺され、嫁である私のことを恨んで、やんちゃなことを言うやろうし、言われても仕方なかった。ほんやけど、ばあちゃんは『おらぁ、あの人(Sさん)といっしょにおらなダメなげ』ときっぱり話してくれていたことを、後に、警察の人が教えてくれた。ばあちゃんはやさしかった。人生いろいろやったけど、ずっと、ばあちゃんは、本当にやさしかった。それで、私もこうして生きてこられたげんわ。」と話すSさんの目は潤んでいた。
 一度ならず二度も遭った突然の交通事故死。悲しむゆとりもない混乱の中、あとでやってくるであろう深い悲しみや不安の人勢を、Sさんと共に引き受け、共にあ歩もうとする真っ直ぐな人の思いが、年月を経た今、私にまで伝わってくれたことである。

森谷登喜江「巻頭言」,崇信学舎発行、『崇信』二〇二三年十月号,1頁

この文章を読んで涙が出てきた。こういう世界があるのだなと思った。誰かを責めてもどうにもならないことが、世界にはある。何でそうなるのか分からないことが人間の世界にはある。その偶然性の残酷さと哀しさ。しかしそれはまた誰もが避けがたいことである。なぜ、彼女が自分(私)ではなかったのか…なんてわからない。なぜ死んだ人が自分ではなかったのか。しかしいくら原因を考えたり、「誰かのせい」だと責めても仕方のないことがある。その悲しみは人間の身そのものが抱えているものである。そういう地平を見たブッダが人間を悲しんでいるのであろう。悲しみを観た眼から語られる言葉が上の文章なのだと思う。このお義母さんはすごいと思う。倫理を超えているのである。善悪を超えているのである。普通の感性だったら、「なんて嫁だ」と、責めてしまうと思う。しかしこの問題は倫理を超えているとこのお義母さんは分かっているのだと思う。ここに個人の悲しみが誰かの悲しみになるという地平がある。これが冒頭にあげた、金子先生(安田先生)の言葉の意味であろう。なぜ私達にはこの話に感じる心があるのか。オーダーメイドで私だけに遇った救済が欲しいなどと言っている次元とは違う何かがここにあると思う。ここをもっと言葉にしないといけないのだが。(オーダーメイドで選び取るという所には、どこか近代の消費者の思考があるのだと思う。もちろんそれを無下には出来ない。)

今日たまたまネットニュースで、こうした悲しみに繋がる話が載っていた。

少し内容を引用する。

大学ラグビーの試合中、激しいタックルを受けて車いす生活になった選手がいる。一方、タックルをした選手は試合の約2週間後、肺がんが見つかり、のちに「運命のタックル」と呼ばれた。懸命なリハビリや治療に向き合いながら再び選手として復活を目指す、ともに26歳の〝因縁〟の2人は6月、近畿大の特別講義で講師として登壇。「絶対にあきらめないで」と、学生たちに熱いメッセージを送った。

記事を読んでなんというか、圧倒された。タックルを受けて車いす生活になってしまった21歳の若者。本人も、タックルをした選手もやりきれない。ところがそのタックルをした選手にも、今度は癌が見つかって、死と向き合った。何という偶然かと思う。しかし同時にここに「人生のリアル」があるなと思った。正直、記事のまとめ方に少しだけ違和感がある。彼等は確かに、病と闘い、一見、病を乗り越えたように見えるし、すごいことだと思う。だけど「彼等が病に打ち勝ったからすごい」という話ではないと思う。彼らがこうやって病と共に生きているそのこと自体がすごいと思った。すごいというか、私に先だって、人生が何たるかを示してくれていると感じる。この2人のエピソードにどうして私たちは感じるものがあるのか。それは、2人を自分の中にやっぱり見るからだと思う。これが偶然の残酷さと、そうした人間を見捨てない視点がここにあるからであろう。もう眠くなってしまったので、今日はここまでにしたい。


(註釈)産経新聞はヘイトスピーチまがいの記事を何度も載せているので、正直読むことも、引用することもためらいがあることを申し添えておきたい。



(追記)仏教の救済というのは、決して悩みがなくなるわけではない。お前は迷っているのだということが教えられるだけだ。苦しんでいる私を知らされること、人生の苦悩を知らされることが深い救いになる。上手くいって救われるようになって助かるのではない、助からないままに助かるのである。もちろん、社会人としては、様々な権利が保障されたり、社会問題が解決されていくことも大事なのである。


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