日記 2021/06/14

坂口恭平さんの文章を読んでいると勇気が湧いてくる。特に今坂口さんがnoteで連載している『生き延びるための事務』がめちゃくちゃいい。これタダでいいの?っていうくらい、読んでいて目から鱗のことが書いてある。

この坂口さんのノートに書いてあるのは、夢とかやりたいこととか漠然にしていたらダメで不安になってくる。そうではなくて、1日をどういう時間で過ごしているかを紙に書けということ。そして将来どういう時間割で生きていきたいのかを計画して紙に書いて、そうなるように計画して物事を進めていくことと書いてある。

例えば私の場合で言うと、「いい僧侶」になりたいと思っていたとする。でもこれではあまりに曖昧すぎて、そうなれなかったら落ち込むんだけど、ではどんな時間割で生きていたいかというのをかけば、具体定にやることが定まると言うのだ。

例えば、朝5時に起きて4時間執筆して、そこから、休憩して、次にやりたいことは漫画を書くことだな。人の相談を聞いたり話したり1時間したいな。授業したり法話するのも好きだから3時間くらい授業したり法話したいな。歌作ったり、絵も描きたいな。そのあと2時間くらい読書したいな。世の中のことを知ったり、社会運動している人たちと話したりもしたいな。

こう言うのが理想の生活である。そしたら10年後にそう言う生活をすることができるように、今から毎日稽古していけと言うのだ。

そしたら、書く練習は毎日しないといけないし、漫画も毎日描かなきゃいけない。ところで、人の相談聞くカウンセラーやインタビュアーみたいなこともやりたいと思っていることに気づく。そうしたら、その訓練をどっかでしていかないといけないし、授業するためには、やっぱりもう一回大学で学ぼうかなとか思えてくる。そして、それを一個一個練習するしかない。

坂口はこうして、事務的にあらゆる物事をノートに書いていけという。さらに、彼は、書けることを書けという。

だから、自分も、体裁を整えてnoteに書いていたけど、もうあまり体裁を考えずに思いついたこと、頭に浮かんだものをそのままnoteに書こうと思っている。noteを書く訓練の場所とするのだ。

そう言えば私はいつも、受けるように文章を書いていた。読みやすいように文章を書いていたが、別に私は商業作家になるわけではないのだから、すごく読みやすい文章とか、読まれやすい文章とかを書く必要はないのだ。

だから、これからは思いついたままにつらつら書いていこうと思う。

今日自分が考えていたのは、喜びの領域を増やしたらもっと生きるのが楽しくなるのではないかと言うことだ。

自分は「自分が喜ぶことを自分に許してこなかった」面がある。

だから、どう言う時に嬉しいのか、何が喜びかよくわからなくなっている。しかしちょっとしたことで喜べたり楽しめたら、すごいことが起こらなくても毎日楽しめるのではないかと思った。こんなのは当たり前かもしれないけれども、自分はあんまりそう言うことを考えてこなかった。

喜びの領域を増やしたり、探したりしていきたいなと思ったのだ。

今まで自分の喜びってすごくワンパターンで増やそうともしなかった。別に増やさなくてもいいんだけど。

例えば

・褒められる、目立つ、モテる、美味しいものを食べる

くらいしかなかったのではないか?とすら思う。そしてこうしたことの反復を喜びとしてきたし、反復できないと不幸と言う感じで来てしまった。

しかし、どう言うことに自分は喜びを感じるのか掘っていくことを全然トライしてこなかったので、そういうことをやってみたい。

なるべく健康な喜びがいい。誰かを傷つけるようなものはダメだ。

いくつかこれを掘ってみたいと言う喜びをあげていく

小説を読む、絵が上達する、楽器が弾ける、小説を書く、歌を作る、人と会話する、集中する、物語を1から作る、歴史を知る、歴史的施設を巡る、芸術鑑賞、親鸞の本を読む、経典を読む、作文する、論文を書く、エッセイを書く、運動をする、武術をする、ヨガをする、瞑想する

どれか一つに片寄る必要はなくて色々試してみたい




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