見出し画像

第一進化:音節

 今から6600万年前に生まれた哺乳類は、卵生から胎生に変わると、母親の胎内にいる時間が増え、脳が大きくなった。授乳により、母と子の絆が深まり、赤ちゃんの口唇の周りの筋肉が鍛えられ、鳴き声が出るようになった。また、リーダーが率いる群れをつくって生活する種も増えた。こうして、母子間あるいは群れの内部で音声コミュニケーションが生まれた。

 他の大型霊長類が生まれてすぐに歩けるのに対し、ヒトの赤ちゃんは、生後一年間ほぼ寝たままの状態で発育する。そうは言っても、母胎内で神経は髄鞘化しているため、聡明な目を輝かせる賢い可愛い赤ちゃん時代を過ごす。安全な洞窟内で住むことで、外敵から逃げる必要がなくなり、知恵を発達させることに余力を向けたのだ。乳幼児の世話と教育のために、祖父母が家族の一員となり、真社会性の性質を帯びてくる。ハチやアリ、シロアリなどの真社会性動物は、堅固な巣に住み、育児専門係りがいて、共同体への献身が重んじられる。同じ共同体の印は、同じ匂いだ。匂いが違うと、同じ種であっても殺し合う。それが真社会性の特徴である。

 一方、ヒトの同じ共同体であることの印は、匂いではなく音声である。ヒトの音声が共同体ごとにバラバラなのは、ルーツに真社会性動物があるからだろう。他の集団と差別化するために、共同体ごとに独自の鳴き声を発するよう、群れごとに違った声が出せるようになったと思われる。

 今から7万4000年前、インドネシアのトバ火山が噴火して大量の火山灰を噴き上げ、世界は6年間、火山灰の冬の期間を過ごした。このとき、外出の機会が減り、洞窟のなかで子どもをあやす時間が増えた。子ども相手に、さまざまな擬音語擬態語をつくって遊んでいるうちに、舌打ち音を口腔内で反響させるクリック子音が生まれ、クリック子音を使って、様々なものに名前をつける遊びが始まった。今から7万2000年前に、ブロンボス洞窟の付近でスティルベイ文化が興ったのは、クリック子音で森羅万象に名前をつけたことがきっかけだ。クリック子音は、最初の音素であり、無数の音韻構造の異なる言葉を生みだせた。


南アフリカの中期旧石器時代に突如2時期の新石器文化が登場。7万2000年前にブロンボス洞窟近くでスティルベイ文化、6万6000年前にクラシーズ河口洞窟を中心としてホイスンズプールト文化

 スティルベイ文化の代表洞窟であるブロンボス洞窟から東に350㎞のところにあるクラシーズ河口洞窟(ホイスンズプールト文化の代表洞窟)では、オトガイの発達した最古の現生人類化石が発掘された。オトガイは、下あごの骨が厚みを帯び、あごの尖端が下方につきでる構造をもつ。下あごが皮膚を下方に引っ張るおかげで、口腔底と皮膚の間に空隙が生まれ、肺気道の出口である喉頭が降下しても窒息しなくなった。こうして母音共鳴が生まれる声道を獲得した。オトガイの発達と喉頭降下が、現生人類の最大の身体的特徴である。

 クリックを発するために舌筋を多用したことで、下あご骨に刺激が与えられて、オトガイが肥大したと考えられる。肺気流をともなわないクリックは、遠くまで到達しない。そのため静かな夜間に焚火のそばで使われていた。声道から出る鳴き声を、クリックに代わる音素にするために、オトガイが肥大し下方に突き出して母音共鳴を生み出したのだ。現生人類(言語的人類)は、クラシーズ河口洞窟で母音とともに生まれた。


オトガイの発達により、母音共鳴を生む声道を格納する空間が生まれた。
千葉勉・梶山正登「母音」(岩波書店2003)掲載のレントゲン写真に筆者が書き込みした

 

音節が文法を生み出した

  音節とは、「ひとつの母音と前後の子音によって構成される音韻単位」であり、母音中心である。言語は音節とともに生まれたと僕は考える。というのは、音節のおかげで、言葉を文法的に修飾できるようになったからだ。音節のもつモーラ性、時間的離散成分が文法を可能にした。

 たとえば、「太郎が花子に」、「太郎に花子が」、「太郎を花子が」、「太郎が花子を」、「太郎と花子が」、「太郎も花子も」と耳に入ってくる時、無意識に太郎と花子の関係性を理解できる。 

 ヒトは3歳になると、母語を片耳だけで聴き取るようになる。そして、脳幹の聴覚神経核にある方向定位能力(音がどの方向からくるのかを計算する能力)を停止して、代わりに文法的音節の音韻ベクトルを処理する。

 デジタル第一進化は、母音のエネルギーによって遠くまで届く信号「音節」を獲得した信号の物理特性の進化と、文法的音節を処理できるよう脳神経組織を再構築した処理回路の論理進化の二つの進化で構成される。

 

トップ画像は、千葉勉博士と梶山正登博士が母音の研究をしておられるところ。(「母音」、岩波書店、2003より)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?