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デジタル信号処理の脳室内免疫ネットワーク仮説 ー 音素の誕生と音節の三段階進化 (第3回)

3. デジタル信号「音節」の起源と発展

3.1 デジタル化のはじまり

  哺乳類のコミュニケーションは,鳴き声の波形が意味(喜怒哀楽)を,声の大きさがその大小を表す.群れで共有できる記号数は最大でも数十にとどまる.例えば,怒り,求愛,服従,敵,餌といった記号だ.

 一方,ヒトの言葉は数万あり,必要なら無限に作り出せる.ヒトの語彙数が多いのは,音素の順列で言葉をつくるからだ.アサ,アシ,アス,アセ,アソのように,音素を組合わせることで,語彙を増やせる.このように無数の記号を生み出せることが,デジタルの特徴のひとつである.

 音素はいつ、どこで、どのようにして生まれたのか.

3.2 共同体内で鳴き声を共有

 現生人類の祖先は,13万年前にアフリカ大陸最南の海岸線に住むようになった.そこは1億4500万年前にゴンドワナ大陸が分裂した跡で,厚さ9kmもある砂岩層の断崖が東西1000kmにわたってつづいていて,巨大洞窟が点在する.(得丸2009)(図4)


図4 南アフリカの中期旧石器時代の居住跡のある洞窟

 捕食者からも敵からも安全な堅固な洞窟環境で,ヒトの赤ちゃんはほぼ寝たきりで生後1年間歩かなくなり,母胎内にいるときと同じ比率(脳重量と体重増加が1対1)で脳が成長するようになり,ヒトの脳容量はチンパンジーの4倍になった.

 晩成化した赤ん坊の世話をするために,祖父母が家族の一員となった.こうしてヒトは育児専門階級を獲得して,共同体がひとつの生命体のように機能する動物になった.おばあさんが家族の一員となって孫の世話をすることが,人類の進化に大きな影響を与えたとする「おばあさん仮説」がある.それは今から13万年ほど前に洞窟で生まれたと考えられる.

 南アフリカの洞窟でヒトは,朝な夕なにみんなで声を出して歌っていた.それは共同体に独特の鳴き声で,声を聞けば仲間であるとわかった.(得丸2020a)

3.3 鳴き声が離散化して音素に発展

 南アフリカの中期旧石器時代には2時期の新石器文化,スティルベイ文化(7万2-1千年前)とホイスンズプールト文化(6万6千-5万8千年前)が現れる.この2時期の新石器文化が,クリック子音と音節という音素の二段階進化に対応する.地球上で他に音素誕生を示唆する遺跡や出土品はない.

 世界でもっとも古い新石器文化であるスティルベイ文化が始まる少し前,世界はインドネシアのトバ火山噴火によって6年間の火山灰の冬の時期にあった.(Ambrose 1998) 寒さのために洞窟内で過ごす時間が増え,絆はより密接になった.

 外で遊べないから,おばあさんは洞窟の中で子供たちと熱心に遊んだ.口唇,頬,舌を使って,タタタタ,チュッチュ,トントンと音を出した.赤ちゃんはそれらの音をことのほか喜んだ.そのうちに他の子どもたちも同じ音を出して遊ぶようになり,数十のそれぞれ違った音を誰もが自由に出せるようになって音素が誕生した.

 それから音素を組合わせて,草や木や鳥や動物や天候や海や大地など神羅万象にふさわしい名前をつけ始めた.それがクリック子音に発達し,共同体成員はさらに密接な関係を築くようになる.

 アフリカ大陸南端は,侵略者に狙われる可能性が低い.そこでトバ火山灰の冬期に音素が生まれた.この時と場所以上に音素獲得の奇跡が起こりえる場所は地球上にない.現生人類のアフリカ単一起原説は,21世紀人類学の通説であるが,アフリカというとジャングルを連想する人が多い.しかし,音素誕生の奇跡は,常に危険と隣り合わせのジャングルより,安全で静かな巨大洞窟のほうが起こりえる.

「音素」を,「ある共同体の全員が脳内記憶に共有する,相互に離散的な一式の音韻単位」と定義する.相互に離散的とは,他の音節と明らかに違う周波数特性と認識することで,そのためには言語共同体の成員が音素記憶を共有している必要がある.はじめに鳴き声の共有(3.1)があり,それが離散化して音素セットに発展した(3.2)と考えるべきだ.

3.4 母音アクセントが音節を生んだ

 クリック子音は,世界の言語のなかで一番古いとされるコイサン語だけがもつ音素である.舌打ち音を口腔内で反響させるため肺気流を使わない.声は遠くに届かないが,静かな洞窟内や岩陰で炉を囲んで話すことはできた.クリック子音には文法語がないので,二語文・三語文で会話されていた,

 世界が温暖化し栄養も改善されると,クリックのために舌を頻繁に使った刺激で頤(オトガイ)が発達した.頤は現生人類だけがもつ身体的特徴で,下あごの骨が広がり,尖端が下に突き出している.デグリング(Deagling 2012)は「高頻度で弱い負荷をともなう会話のおかげで,骨の厚みが薄くなりつつ広がった頤のパラドックスを説明する仮説」を得たという.リーバーマン(Lieberman 2002)も「現生人類のSVT(Supralaryngeal Vocal Tract,喉頭より上の声道)の進化の前に,会話を発するための運動パターンを生み出す神経基盤があったに違いない」という.はじめにクリックが生まれ,それを発声するために舌筋を多用して頤が発達し,母音が生まれた.

 下あごが突き出すと,口腔底と喉の皮膚との間に空間が生まれ,気道出口がそこまで下がっても窒息しなくなった.他の霊長類やヒトの赤ちゃんの気道出口は,喉より上にあるので,ものを食べながら息を吸うことができる.1歳以降のヒトはそれができない.ものを食べるとき,肺に食べ物や唾液が入らないよう気道出口を喉頭蓋で蔽うため,息ができない.その代わりに,水平部分と垂直部分が同じ長さで直交する声道を獲得して,母音共鳴が生まれた.

 メッセンジャーRNAやbit列のように,一次元状に信号をつないで送信できことがデジタル信号の要件である.母音アクセントのおかげで文法が生まれ,文節構造を連ねて文を紡いでメッセージを送り出せるようになり,言語のデジタル進化が始まった.

3.5 消えない音節「文字」の発明と文明

 6万6千年前にアフリカ大陸南端で音節は生まれたが,文字が生まれたのは5千年前のメソポタミア平原だ.人類は6万年以上,無文字社会を続けた.

 なぜ文字はメソポタミアで生まれたのか.そこはゴンドワナ大陸がユーラシア大陸に衝突した際,海だったところに大河が土砂を運びこんで生まれた大平原である.東西1000km,南北400kmにわたって丘一つなく広がる大平原は,水利もよくて肥沃だったため農業が栄え,富が蓄積された.そこを王朝が支配するようになると,納税や土地所有を管理するための記録装置が必要となった.文字は,王朝が支配のために作らせたもので,読み書きの教育を受けたごく一部の役人だけがそれを使った.この仮説は,四大文明がすべて二つの大陸の狭間の海を土砂が埋めたてて生まれた平原(メソポタミア,インダス平原)か,大陸衝突の衝撃で生まれた大河(ナイル河,黄河)のつくった三角州であることからも証明される.(図5)


図5 古代文明が生まれた場所はすべて広大無辺で丘ひとつない大平原であった

 音節列を読み書きの規則にしたがって二次元線画に置き換えると文字列になる.読み書き能力をもつ人にとって文字は「消えない音節」であり,文字列から,時空を超えた人の声を聞き取るようになった.やがて当初の開発意図を超えて,多くの人が文字を使うようになり,歴史や文学が生まれて時空を超えて伝えられた.技術知識は世代を超えて連続的で自己増殖的な発展を始めた.これが文明である.

3.6 対話する音節「bit」が切り開く未来

 1945年にインターネットのもとになるアイデアを著したヴァニヴァー・ブッシュは,原爆開発のためのマンハッタン計画の技術責任者だった.インターネットの開発が予算化するのは,ソ連が大陸間弾道弾ミサイルと人工衛星の打ち上げに成功し,アメリカがスプートニクショックの衝撃を受けた1957年だった.インターネットは軍事予算で生まれたのだった.

 インターネットの開発を指揮したダグラス・エンゲルバートは,1945年8月に出征し,フィリピンで何もやることがない平和な1年を過ごし,ブッシュのアイデアに出会った.帰国後,エンゲルバートは、結婚を機に人類のために役立つことをしようと考え、スタンフォード研究所(SRI)に入る.そして1962年に拡張研究所(Augmentation Research Center, ARC)で研究開発を指揮する提案書を書くと,それが予算に結びつき,研究者を集めて研究が始まった.(得丸2020b)

 今日,我々にとって日常風景となったパソコン,ネットワーキング,e-mail,GUI (Graphic User Interface), マウス,コピペ,Word,Excel,PDFがすべてパロアルトにある一つの研究所にいた人々が生み出したことには感動する.それらが明確な指導理念のもとで行われた,人類にとっての大きなブレイクスルーだったことがわかる.

 音節列は正書法にもとづいて文字列に変換され,文字列は文字コード表にもとづいてbit列に変換されるので,bit列は音節と互換性をもつ.Bitは演算可能なので,「対話する音節」として機能する.検索エンジンを使ってキーワード検索すると,その言葉と関係する古今東西の言語情報のリストを入手できる.これはすごいことだ.


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