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パブロフ博士の犬供養(10, 終)

(10) 廣瀬武夫神社(大分県竹田市)

 

 2018年5月下旬、サンクトペテルブルグのパブロフの墓に、廣瀬武夫が訪ねてきた。

「パブロフ博士、私の生まれ故郷の竹田で、私の生誕150年のお祝い会があるので、ご一緒しませんか。」


サンクトペテルブルクの英雄墓地にあるパブロフ博士のお墓(2017年7月著者撮影)

 廣瀬の生まれた竹田は、阿蘇という活火山の外輪に近い。9万年前の大噴火のときに噴出した大陸洪水玄武岩(CFB)の台地は、雨水の浸食によって山脈化して、山また山の珍しい地形である。そこに築かれた難攻不落だった岡城の城址に近い、小高い丘の上に廣瀬武夫神社はあった。日本の伝統にもとづいて、廣瀬は神となって祀られていた。

 新緑が輝く青天のもと、廣瀬武夫の生誕150年祭には、大勢の人々が集っていた。近くの自衛隊の駐屯地から軍楽隊もお祝いにかけつけ、廣瀬を讃えるための曲を演奏した。神社に隣接する記念館には、パブロフ一家と一緒に撮影した写真と、廣瀬の帰国に際してパブロフが贈った七宝焼きのスプーンが展示されていた。


廣瀬武夫神社にある廣瀬武夫記念館

 パブロフは廣瀬と出会えたことをあらためて神に感謝した。廣瀬を知ったおかげで、自分は今なお世界の人々が読む価値のある著作を書き遺すことができ、人類の高次神経活動の研究の一翼を担っていることを誇りに思った。
 21世紀の今日、誰もパブロフの行ったような生体実験を実施できなくなった。しかし、パブロフが書き残した記録を、仮想現実的に読み解けば、実験と実験結果の分析ができる。今、インターネット上で無料でダウンロードできるパブロフの講演は、人類共有知ゲノムとなり人類の知的発展に使われるのをまっている。(終)

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