「箱根駅伝」の話

「他に見るものが無い」じゃなくて「これが一番面白い」。

毎年恒例ですよね

1月2日と3日は、出掛けるとか何かPCに向かう用事があるとか以外は大体「箱根駅伝」を流し見しています。
とは言っても「これが一番面白い」と思って見ているだけで、別にどこの大学が速いとか遅いとか、どのランナーの趣味がオタクっぽくてTL共感とか、そう言うのは(実際面白いけれども)終わると忘れている程度の興味しかないんですけども。
なので、今回書きたいのもそう言う話ではないです。

みんな速かった

今回見ていて思ったのは、とにかく全員が「速かった」と言う事。
箱根駅伝って言うと展開が悪いと往路から棄権だったり繰り上げスタートだったりが付き物な印象があり、見ている側は(主に日テレ系のバラエティ番組で恒例の『タイムリミット』を見慣れる事によって醸成されると筆者は推測する)ハラハラ感と共にTVに見入ったりもするんですが、
今回は往路での「それ」は無し。復路でも終盤まで繰り上げスタートは無かった。と言う事は、ほぼ全ての区間で首位通過から20分以内に殆どの大学がタスキをつなぎ終えていることになります。
4区だかの区間新は確か一時間切りとかだったはず。これは人間の走る速度なのか?

素人の目には、これらがとてもすごいことに感じました。
語彙力下がり過ぎですみません。

その「速さ」は、どこから?

で、どうしてもこの話を書きたかった理由がここからです。
あの速さを、しかも最高のパフォーマンスの状態が大会の日に来るように「持って行く」ためには当然相応の練習が必要なはず。でも同時に、この数年は「コロナ禍」と言う暗雲の下でそれをやらなければいけなかったのも皆同じはず。
いかにして、この二日間まで「走り切った」のか。

それを成し得た「精神」と言うものに、筆者は思いを馳せずにはいられません。

もちろんランナーの独力ではないのでしょう。色んな人の協力があって成り立っているはず。
それこそ外から見ているだけでは分かりませんが、もしかしたら陰で罹患し、完治させて走っている人もいるのかも知れない。或いはきっちり管理して、ここまでかからずにやり切ったのかも知れない。
彼らは物凄い事をやっていたんだと、それを見せられていたんだと言う可能性に、ちょっとゾクッとしたのです。

暗雲の下を、走れメロス

自分も、今年はやりたい事がたくさんあります。
でも2年前ほどではないにしろ「コロナ禍」の暗雲はまだ立ち込めたままで、いつ晴れるのかと言う不安を拭う事は出来ません。
また去年の11月のように、足を取られてペースダウンと言う憂き目に遭うかも知れない。

それでも、三が日は終わりました。
もう、走り出さないといけないんです。

そんな事を考えた時にふと駅伝の模様が脳裏をよぎって、
ただTVを見ていただけのはずなのに、何だか勇気をもらっているような気がしました。
だから、ちゃんと言わないといけない。

今年の駅伝は「面白かった」。


それにしても、次回で100回なんですってね。
ここのところ、「歴史的瞬間」が多いなぁ。


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