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テレ東ドラマシナリオ『月がきれいですね』

大麦こむぎさんの ①月がきれいですね

●人物
小野文恵(おのふみえ) 鍼灸師 25歳
伊能瑠偉慈(いのうるいじ) サラリーマン 30歳 妻子あり
田中 定年退職 70歳
母親 53歳 専業主婦

あらすじ

好きと言う言葉が消え、徐々に好きの感情も消えゆく世界。
そこは合理的で平和な世界となっていた。
必要最低限の生活だけを営む人類。
そんな中でも絶滅寸前の職業についている女性がいた。
小野文恵、彼女は鍼灸師

シナリオ

◯小野文恵の鍼灸院(昼)

小野文恵の鍼灸院で治療を受ける田中

田中「文恵先生は、なんで未だに鍼灸なぞやってるんじゃ?」
ベッドにうつ伏せになりながら話す初老の男性
文恵「治療受けながら、そんな事聞くんですか? じゃ、なんで田中さんは当院に来るのかしら」
田中の背中にトントンと鍼を打つ文恵
田中「あいてて、文恵先生、今のワザとか?」
イタズラな笑みを浮かべる文恵
田中「普通の病院行っても今じゃ、機械相手に話して自動販売機から薬受け取るだけだろ? 味気無くてなぁ」
文恵「医療保険制度が破綻寸前だったのが、今は全保障医療制度のお陰で田中さんの治療代も全て保険でまかなってるんですよ? 西洋医学を悪く言わない」
ため息を漏らす田中
田中「でもよぉ、ほとんどのジジババが安楽死ばっかりじゃねーか。……ウチの家内も去年なぁ」
困った顔で鍼皿に鍼菅を置く文恵
田中「ああ、湿っぽい話はやめよ、やめよ」
文恵「奥さまとはどれくらいご一緒だったんですか?」
田中「うーん、50年は一緒じゃったかな。昔は器量も気立てもよかった。一緒に居ても飽きることは無かったのぉ。だが三年前……」
文恵は田中の背中に赤外線ライトを当てる。
文恵「あの感情が無くなった日ですね」
田中「……もうどういったモノかも思い出せんわ。ただ、三年前が無ければ、家内は未だにガンに苦しんでおったかもしれんし、儂も生きていたいと思わなんだ」
文恵、カーテンを開きながら
文恵「過去に囚われてはダメですよ。静をもって生を養う。養生してくださいね」
田中、カーテン越しの文恵に
田中「まぁ、儂も今じゃ家内の顔もよく思い出せんしな。ところで文恵先生はずいぶん明るくなったなぁ。他の先生方もいないのに、頑張ってて感心する」
カーテンに映る文恵の影がゆれる
文恵「前向きに生きられるようになったんですよ。三年前のあの日から」


◯文恵自宅、一人暮らしのマンションの一室(夜)

文恵は自宅でくつろぎながら本を読んでいる、流し聞きなのかテレビがついている

テレビにスーツ姿の男性。国営放送ニュース。
『……三年前の今日、世界中の人達に大きい異変が起きました。当初は失ったものが何か気づきませんでしたが今の私達はその分もっと大きなモノが手に入ったのです』
パジャマ姿の文恵、本を読んでいる
『世界から争いが消え、全保障医療法の制定も整いました。政治の腐敗や忖度も無く、多くの人々が平等に均等に豊かな生活がおくれる、楽園と』
スマートフォンからのコール、手を伸ばす文恵。
文恵「もしもし、お母さんどうしたの?」
母親「文恵、来週の事だけど、今、大丈夫?」
テレビのリモコンに手を伸ばす
文恵「うん、本を読んでただけだから」
母親「ウチに帰ってくる時なんだけどね、ホームセンターで買い物してきてくれる? またその日に何買うか言うから」
文恵「そうなんだ、いいよ、買って帰るから」
リモコンで音量を下げる
文恵「……ねぇ、お母さん私、実家に帰るの久しぶりなんだけど覚えてる?」
母親「そうだっけ? いつも電話してたから、そんな風に感じないわね」
『私たちは、感情に左右されない新たな生き方を手に入れたのです』
文恵はリモコンでテレビを消す
文恵「お父さんは何か言ってた?」
母親「文恵への伝言ってこと? うーん、別に何も無いわよ」
文恵「そっか、わかった。明日も早いからそろそろ切るね」
母親「お昼用意しておくからね」
電話を切るとスマホを放る。
本に目を落とすが逸らし、ベランダから夜空を見上げる
文恵「私が望んだ理想の世界」


◯治療院受付(昼)

治療準備を治療室でしている文恵、そこに伊能瑠偉慈がやってくる

扉のベルの音
文恵「こんにちは、初めての方で……伊能さん」
治療室から受付へと顔を出す文恵
伊能「文ちゃん、久しぶり」
柔和な笑みをたたえる細身の男性、伊能
伊能「今少し、大丈夫?」
一瞬、顔を曇らせるが微笑みながら伊能を招き入れる
文恵「30分くらいなら大丈夫ですよ」

暗転

◯同・治療室(昼)

治療室の問診スペースで椅子に座る伊能、文恵はお茶を用意している

椅子に座る伊能の前方のテーブルにお茶を置く文恵
伊能「ありがとう。はぁ、温まるね」
文恵「八角のお茶です、健康にも良いですよ」
向かいの椅子に座る文恵
文恵「それで、今日はどんな御用向きですか?」
伊能「今日はたまたまこの辺に用事があったから、久しぶりに文恵ちゃんの顔が見たくなってね」
お茶を飲みながら二人は無言
伊能「……ごめんウソだ。今日は文恵ちゃんに謝ろうと思って来た」
気まずそうに口火を切る伊能
文恵「私じゃなく、ご家族に謝ったらどうですか?」
感情の無い顔をする文恵
伊能「うん、そうだよね。だから、家族にも謝ったんだ」
文恵「三年前ですか?」
伏し目がちになる伊能
伊能「君と会うのをやめた日からね」
感情が読めない顔で無言の文恵
伊能「よいしょっと、今日は一人だけなの? 他の先生たちはお休み?」
椅子から立ちあがり治療室を見回す伊能
文恵「みなさん、もうとっくにここを去って行きました」
伊能「独立されたとか?」
文恵「いえ、多分、みなさん、廃業したと思います」
伊能「……なるほどね」
椅子に座る伊能
文恵「私が鍼灸師になった理由、話しました?」
伊能「聞いたと思うけど」
文恵「……私は、何かになりたいとか、どうにかなりたいとか無いんです」
文恵は立ちあがり治療道具のそばにいく
文恵「誰かのためにも、何かの役にもとか、そういうんじゃないんです。でも、私には無いものに憧れる気持ちはあるから、ここに居た先生たちのようなキラキラした瞳に引き寄せられたんです」
伊能「そうかもしれないね、他の先生方はいつも熱心な感じだったよね」
伊能を見つめながら微笑む
文恵「はい、伊能さんがご家族と一緒にいる時のような幸せな雰囲気です」
伊能の表情が曇る。
文恵「お疲れみたいですね。もし、良かったら身体も冷えてそうだし、お灸していきませんか?」
伊能「……お願いしようかな」
伊能をベッドに促し座らせる。
文恵「治療着に着替えたら、声かけてくださいね」

暗転

治療着に着替えた伊能はベッドに腰掛けている。文恵はその後ろでお灸の用意をしている

肩に米粒ほどのお灸を据える
文恵「私の父もそうでした、母の他にも女性がいたんです。でも母は知らんぷり。私の家族は冷めていたんです」
伊能「あっつ! ……僕は君を温めることできた?」
小指先ほどの艾に火を灯す
文恵「伊能さんや先生方は温かい方達だろうなと思います。でも、私はそもそもお母さんのお腹の中に、その温かさを知る感情を置いてきたみたいでして」
火のついたお灸を指で押し消す
文恵「三年前のあの日、みんなが変わってしまった日に私だけは変わらなかったんです」
伊能「……それは、どういう? あの、なんだろうか思い出せないけど君と一緒にいた、あの時間?」
お灸を取り除き、肩に厚手の毛布をかける文恵
文恵「ふふふ、そもそも私はそれが何なのか分からないんです。あなたと一緒にいた時間だって、そういう風じゃないんです」
伊能は振り向き、心底分からないような顔をする
文恵「ーーキライなんですよ。全部。ずっと昔から。この臭いだって、父さんの媚びる顔だって、母さんの全てを諦めてる溜め息だって、ここに居た人達のイタイ話だって、そして何より、あなたの偽善者のココロが」
冷静に淡々と言葉を放つ文恵
伊能「……それは随分、酷い目にあったね。僕も君を傷付けてしまったみたいだ。本当にごめんなさい」
伊能は悲しそうな顔をしながら立ち上がり、深々と頭を下げる。
文恵「大丈夫ですよ。それも三年前までのことですから」
伊能に背を向けベッドに腰掛ける
文恵「時々、優しくされるから、心が鍼で刺されるように痛むんです。でも、今のこの世界はみんな優しい人達ばかり。だってキライって感情も忘れてるんですから」
伊能「……きらい?」
文恵「分からなくていいんです、もう、誰も分からなくて良い」
伊能「ごめんね、なんか。分かってあげられなくて」
伊能は立ち上がると私服に着替える。
文恵「こちらこそ、中途半端なことになってしまって」
伊能「いや、会えて良かった。また、今度来るよ。今度は家族も連れてくるからさ」
優しく微笑みながら伊能はお金を置いて去っていく。
一人になった文恵は、壁に貼られた陰陽のポスターの前に立つ
ポスターには『陰極まれば陽となり陽極まれば陰となる』と書かれている。
ポスターに頭をもたれ掛かる文恵
文恵「世界が変わっても私は、わたしのままだ」

#テレ東ドラマシナリオ


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