三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 №17 第七章 大宝天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)
復刻版 №17
徹底的に日本歴史の誤謬を糺す 其の五
神皇正統 第百代 第五十三世 大宝天皇顕彰
第七章 大宝天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)
目 次
第1分冊
大宝天皇御製・串呂図
第一節 大宝天皇が牧平大門に蒙塵し給いし経緯
第二節 大宝天皇最後の御座所を立証する串呂
第三節 大宝天皇の号「宗心」と後称「三浦藤太夫」を立証する串呂
第四節 大宝天皇御名「美良」の諺文「吉良見」と主要各方面との串呂
第2分冊
第五節 茨城県の「大宝」と主要各方面との串呂
第六節 愛知県の「大宝」と主要各方面との串呂
第七節 大宝天皇の御家を顕わす「幸房」と主要各方面との串呂
第八節 大宝天皇御名「美良布」と主要各方面との串呂
第九節 島根県の「大宝」と主要各方面との串呂
第十節 大宝天皇御宸筆の大般若経と御製の串呂
第十一節 大宝天皇皇后「三浦佐久姫」の串呂
あとがき
大宝天皇御製二首
大宝天皇御製の串呂図
凡 例
🟢旧漢字は固有名詞等の一部を除き新漢字に変換し、旧仮名遣いは新仮名遣いに変換しました(國→国、ふ→う)。「寺野ちゝ薬師」以外の「ゝ、ゞ」は普通の文字で表記し、卅→三十、廿→二十、拾→十、皈→帰、壽→寿、竝→並などと表記しました。横書き用記述に合わせて「串呂地文連記」の東西・南北の方向を反転した場合もあります。本文中の引用箇所は、「 」『 』【 】で明確にしました。
🟢改行で一行空けるようにし、さらに適宜改行を補い、難読漢字にはルビを付し、句読点や括弧等を補い、見出しを付け、原著にはない串呂図や系図、写真・画像、WEB地図、記号(⛩)、絵文字(🟠)等を挿入し、資料先のサイトをリンクしました。頁数は復刻版独自の頁数で原著とは関連していません。
🟢明らかに誤字・脱字・誤記と判明している箇所は訂正し、個人情報保護の為に固有名詞などの関係個所を一部削除したり簡略化しました。
🟢金ヶ崎神宮→金崎神宮と表記し興国天皇践祚の日を延元二年二月五日と改めました。
🟢三浦芳聖師は、遠祖の人生を追体験する為に一人で何役(尊良天皇、興国天皇)も務めたようですが、誤解を避ける為「神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体」で統一しました。また「五皇一体」と簡略表記した箇所もあります。
🟢串呂図の地名・住所は最新のものを表記し、本文中の住所も文意を損なわない限り最新住所を記載しました。府県名を省略した場合もあります。
🟢編集上の注記として挿入した箇所は〔編集者注記〕、消滅したり変更された地名は〔現在不明・廃村消滅か〕、地名を特定する為に「高松町〔田原市〕」のように記載し、和暦皇暦の後に西暦を挿入しました。例〔1370年〕。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
第七章 大宝天皇顕彰の神風串呂(第1分冊)
第一節 大宝天皇が牧平大門に蒙塵し給いし経緯
1、大宝天皇(御名美良)後称三浦藤太夫
三浦皇統家第五代目の、神皇正統第百代第五十三世「大宝天皇」(御名美良、後称三浦藤太夫)は、巻頭略系譜に掲げました如くに、御父は神皇正統第九十九代第五十二世「松良天皇」、御母は「長慶院法皇(寛成親王)の王女「綾子姫命」の第一皇子であります。
紀元二千五十四甲戌年〔1394年〕、遠州京丸の行在所にて御降誕、紀元二千七十庚寅年〔応永17年/1410年〕三州萩に於て、御父「松良天皇」より譲を受けて皇位を継承され、
豊川市赤坂町の宮路山及び新城市作手等転々御移住の末、紀元二千九十八戊午年〔永享10年/1438年〕岡崎市切越町に遷座、
愛知県岡崎市切越町の地図
爾来満十六年間、後世直系皇孫に神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体の八幡大明神芳聖御降誕あらせられて、必ず天下を平定し給わん事を祈念して、大般若六百巻を念書し、三種の神宝を埋蔵し奉って、神皇正統第百代を以て天の岩戸籠りとし、皇后富士大宮司家の「三浦佐久姫」の姓を名乗りて、「三浦藤太夫」と称して、
紀元二千百十四甲戌年〔1454年〕、牧平大門に移住し百姓となり、紀元二千百四十一辛丑年〔1481年〕三月十五日崩八十八歳、牧平小金山陵に葬るとあります。
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神皇正統家極秘伝「神風串呂」の集大成である三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』のデジタル復刻版。難読漢字に読み仮名を付けました。日本…
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