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疫病下の備忘録

ただ自分自身のための備忘録として、とりとめもなく雑感を記しておく。

今年の元日から数えて、明日4月10日で100日になる。
COVID-19が南極大陸を除くすべての大陸に蔓延し、この国と世界が今のような状況になっていることを、100日前の誰が想像していただろう。

SF映画で、地球に落下してくる巨大隕石やら、都市を覆うような異星人の宇宙船と人類が格闘する話はあったが、今この地球上を襲っているのは、電子顕微鏡でなければ見えない微細なウイルスである。
皮肉にもこんなちっぽけな敵を前に、人類はたとえ核兵器を何万発持っていても、何の役にも立たない。
核保有国の首相も集中治療室にいる。

7日夕刻、安倍首相が「緊急事態宣言」を発令した。
いささか不思議な気持ちでいるのは、思ったより多くの国民が緊急事態宣言を早く出せという論調になっていたことだった。
宣言を出したところで、政府や行政、地方自治体が人々の移動を強制的に止められるわけではなく、ただ知事からの要請が〝法に基づいたもの〟になるだけである。

それでも、人々の意識が変わるはずだから早く出せという意見が日増しに高まり、実際、発令されてみると、私の見えている範囲でも人々が移動を強くためらい自粛するようになった。

諸外国が兵士まで市街地に出し、強権的な「都市封鎖(ロックダウン)」で対応したことを、日本は人々の同調圧力で乗り切ろうとしている。

これでなお感染拡大防止が思うほど効果を上げなければ、中国やヨーロッパのように「都市封鎖」も視野に入れるべしという論調も、すでに多く出てきている。

現下の緊急事態宣言が人々の移動制限に強制力を持たないのは、日本国憲法の第22条に

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

と定められているからだ。
「移動の自由」は基本的人権の1つである。
今のところ、帰国者等に一定の制限を設けているのは、例外的に「公共の福祉」を優先させるというロジックに過ぎない。

外国のようにさらに強制力を持った「都市封鎖」をするというのは、日本では憲法の制約上できない。
それにもかかわらず、ついこの前まで今の政権が独裁的であるとか、戦前回帰だとか、立憲主義が蔑ろにされていると訴えていた人々のなかにさえ、一足飛びに「都市封鎖もやむなし」という声が出てきていることに、不思議な気持ちでいる。

言わんとしていることはわからないではない。
ただ、不思議な気持ちがしているのである。

緊急事態宣言の発令にあたっても、政府は与党への説明や国会への説明など、思った以上にかなり慎重な手続きを踏んだ。
国民の側が政府に強制力のある命令を求め、むしろ首相官邸サイドが憲法の制約から強権の発動に否定的になっているという構図が、非常に興味深い。

1931年9月18日に関東軍が満州事変を起こした際、真っ先にこれを擁護したのは新聞だった。

この日の朝刊が――当時は朝日新聞と東京日日新聞(現在の毎日新聞)がダントツの部数でした――ともに俄然、関東軍擁護にまわったのですよ。繰り返しますが、それまで朝日も日日も時事も報知も、軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのですが、二十日の朝刊からあっという間にひっくり返った。(『昭和史』半藤一利)

1941年12月8日、真珠湾攻撃の直後に出された「開戦の詔勅」は、対米英戦争に踏み切る理由を、こう記している。

帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。

その後の戦争遂行の大きな力となったのは、新聞報道と人々の同調圧力だった。

ちょうど700年前の1320年あたりにアジアで広がりはじめたペストは、モンゴル帝国が築いた東西交易路に乗って、1347年にはヨーロッパにも蔓延した。
フィレンツェでは人口の半数、シエナでは9割が死亡し、ヨーロッパ全体の死者数は総人口の4分の1とも3分の1とも言われている。

この「黒死病」は人々に強烈に「死」を意識させ、同時にそれまで絶対的だったキリスト教会の権威を失墜させた。
潜在していたさまざまな〝社会構造の限界〟を顕在化させる引き金となった。
それは中世を終わらせ、ルネサンスという新しい扉を開いていく。

はたして、現下のCOVID-19禍は今後どのように推移していくのか。
100日前を思うと、今から100日後さえ想像がつかない。
私自身が生きているかどうかさえ、わからない。

とはいえ、この日増しに強くなる重苦しさのなかで、人類が歴史的な災厄を通して再び偉大な、それこそ後世の歴史に大書されるような新しい扉を間違いなく開くであろう確信を、これも日増しに強くしているのである。
最大の危機にあって、最大の力を出す。
闇が深まっていくにつれ、次第に何か赤々とした火が見える気がするのも、やはり不思議といえば不思議なことである。

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