逃げてもいい、という選択肢
逃げちゃダメだと思っていた。
大学二年の秋、私は追い込まれていた。
所属していた演劇サークルで舞台美術を担当していた私は、一年のときは「舞台美術補佐」だったが、二年になると「補佐」が取れ、部門の責任者になった。その年の年末の本公演は、お世話になった大好きな先輩が演出を務めるもので、私は張り切っていた。
しかし、鼻っ柱を折るような出来事に襲われた。最初の会議で演出から出された舞台美術案は、「舞台を円形にしてカーブしたスロープをつける」「天井からカーテンを吊るして動かせるように