暮らしを再び大いなる繋がりとリズムの中に還すような「もの」

「ひいらぎいわし」

先日、デイケアのおばあちゃん達に、柊の枝に鰯の頭が刺さった(ギョッとする姿!の)「ひいらぎいわし」なるものについて色々教えてもらいました。

柊鰯は、2月3日の節分に玄関に飾るもので、「節分の鬼が嫌いな葉っぱである、尖ったトゲのあるひいらぎと、鬼が嫌がる臭いのいわしを組み合わせて飾ることで『鬼が家に入って来ないように』という魔除けの意味合いが含まれて」いるのだそうです。

隠岐の方では、柊の代わりに「トベラ」という葉が使われていて、トベラを七輪の火にくべ➡️そのバンバンパチパチ燃える音(トベラはよく爆ぜるそう)で鬼を退治し、その火で豆を煎り➡️鬼を射り、それから私たちが節分の行事としてよく知る、豆まきをしたり自分の年の分+1つを食べたりしていたとのこと。

なんで隠岐ではトベラが使われていたのだろう?と思い、少しトベラについて調べてみると、日本では東北地方岩手県・日本海側の新潟県以南に分布&海岸近くに生えているそうで、地形的に隠岐には柊よりもトベラの方が身近にあったからなのかもしれません(真相やいかに?今度観察に行きたい!)。ただ、トベラは、出雲や伊勢でも使われていたようで、出雲ならまだ隠岐と同じ理由で理解できるけど、太平洋側の伊勢でトベラが使われていたのはどういうことなのでしょう?(出雲と伊勢といえば大社。そこには何か神話的な意味もあったり?)

ところで「なんで節分に豆を食べるんでしょうね」、と尋ねてみたら「まめなように」と返ってきて、おおお!と膝をうちました。(海士では「まめ」というのは「元気」という意味を持つ言葉なのです。)一見うまい言葉遊びとも思いましたが、その場にいた看護師さんが、昔は食べる物も少なかったから豆が貴重なタンパク質になってたんじゃないかな?と言っていて、あながち間違ってはいない…むしろ「まめ(=元気)」という言葉の成り立ちに「豆」の存在があったのでは?!などと思いました。

それと鰯について。以前春〜初夏にかけて定置網漁で働いてたさい鰯が大量に獲れた時期が初夏だったので「節分の時期に鰯??」と疑問に思い調べてみると、マイワシ・カタクチイワシの旬が6月〜10月・西日本側に主な産地が集中してるウルメイワシの旬が10月〜2月とのことで、なるほど〜!(冬にも鰯が大量に獲れるのか!やっぱ通年で漁してみたかった…!というのはおいといて)ということは、柊鰯に使われる鰯はウルメイワシであり、だからなるほど…柊鰯は西日本に見られる風習なんだ!!と合点が行きました。


私が作りたい「もの」

そんな、風土や、歴史、他の生命との繋がり・サイクルの中で、暮らす営みの中で、生まれ作られていた柊鰯ですが、ここ最近ではあまり見られなくなりました。そしてその代わりに、テレビで大きく言われるようになって、ここ10年で浸透してきたのが「恵方巻き」だそうです。

私(埼玉出身)も節分には恵方巻きを食べてきていて、節分=恵方巻きぐらいのイメージがあったので、それも元を辿れば関西圏の一つの食文化・風習がスーパーやコンビニで扱われ始めたことで全国に広がったものだということを知り驚きました。

柊鰯に限らず、海士に来て自然や人々との繋がりの中で暮らし、自分がどれほどそのような繋がりから隔たれ □(四角)のような閉じた生活の中で、何処からきたのか誰が作ったのか分からない「できもの」に囲まれこれまで暮らしてきたのか、を何度も痛感させられました。

おばあちゃん達の話を聞いていつも思うのは、昔の”もの”は色んな繋がりのなかで生まれてきた”もの”=世界の中に編み込まれている”もの”であるということ、暮らし自体がその大いなる生命の繋がり・リズムの中に編み込まれた状態で存在していたこと、”もの”(道具や風習etc.)はそこから生み出された形であったということです。

繋がりの中で生まれたものは、そのものを通して、その根源にある繋がりに再び触れさせてくれるのではないか。私は「□ 暮らし」の中の「できもの」ではなく、暮らしを再び大いなる繋がりのリズムの中に還すような、そんな「もの」を作ってゆきたいなと思いました。







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