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中2の担任から徹底的に虐められた話

亡き親友Nちゃんと仲良くなった中学2年生のとき。

担任になったのはまだ若めの女性、諦めずに何回も何回も挑戦して5,6回留年して美大に行ったらしい。
美術の先生。

私は複雑な家庭環境で闇を抱えていたものの、Nちゃんがいてくれて、それなりの学校生活を送っていたのだが、ある日担任からピンポイントでいじめられることになる。

原宿カルチャーに心酔されて奇抜だったかもしれないが、学校は制服。
生意気な態度はとった覚えがない、というか周りは俗でやはりバスケ部、新体操部など子達が目立っていて華やかなのに対して私は地味だった。
長いスカートを履いて毎日Nちゃんとオザケンなどの話をして、2人の世界でキャッキャしてた。

私の何が彼女の気に障ったのか今でもわからない。

立場上、私物を壊したりトイレにぶちこまれたり、物を隠されたり、そんなことは流石にされていない。
でも無視をされたり、私だけが挙手をしても当てられなかったり、これは被害妄想かもしれなけどふとしたときに睨まれたり、舌打ちをされたり。

確かにいじめっ子なルックだったので、そういう人なのだろう、そこまで気にしなかった。

だんだんエスカレートし、レトロなものが好きで変なポーチを持っていたのだが、ホームルームか何かで彼女は皆の前で黒板にそれとそっくりな物を書き
「こういうものを持ってる人ってスッゲーダサいよね」
と話した。 

え、これ私のこれじゃん。
彼女は私を辱めたくて、悲しませたかったのだろうが全くそんな感情はなく、スッと立ち
「先生、それとそっくりなの私持っています。亡くなった、大好き祖父がくれたもので、凄く大切にしているんです」
と皆の前で嘘を言った。

皆はへえ、そんな素敵な思い出があったんだ、という雰囲気になり、彼女のイジメはうまくいかなかった。

私とNちゃんがいつも渋谷原宿の話をしているのを聞いたのか、やはり皆の前で
「渋谷とか原宿とか行く人は田舎者でダサい。本当におしゃれな人っていうのは銀座にいくのよ」
と勝ち誇ったように言ったこともあった。

その後、美術の作品で皆のモノには長々とコメントしているのに対して私のモノだけ「それ〈は〉いいと思う」とひとこと。

さらにびっくりだったのが、通知表。
私は体育、音楽、美術がたまに「4」の時があるものの他はすべて「5」だった。
それが2年になり美術で「2」を付けられた。
作品を提出すらしてない人もいる中で、私は全て出していたのに。芸術性はゼロだったかもしれないが。内申の足を引っ張りたかった?

ちょっと響いたのは、私の複雑な家庭環境をダシにして
「両親が仲が悪い家の子は絶対に悪者になる」
とやはり皆の前で言い切った。
その時はショックが顔に出たと思う。
でもね、あなたほど悪者にはならないよ。

とにかく彼女の私への言動、全てがいじめとしか思えなかった。

ただ、あまりこの件について悩まなかった。
もっと深刻に悩むことがあったから、
生きるか死ぬか、それくらい。

Nちゃんもいるし、原宿には同じような闇を抱えた、家族や地元の人々にカミングアウトできないゲイの友達が沢山いた。

淡々と中学2年生を終えた。

担任はそのタイミングで違う学校に移ることになった。
修了式で皆にお別れを言うのだけど、彼女は私をじっと見て、骨が折れそうなほど強く強く抱き寄せて
「元気でね」
と咽び泣いた。
心の中で己を叱咤していたのだろう。

なるほど、自覚はあったのか。
謝罪の言葉は一切なかった。
私は真顔で何も言わなかった。

その後はそんなことしていないといいな。

今の時代だったら炎上騒ぎだよ。

彼女が更生していますように。

終わり



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