タワマンママたちと生涯の友になった話②出会い
げ‐せわ【下世話】
——世間で人々がよく口にすることば。俗にいうことば。ことわざやたとえ、物の道理などについていう。
(「コトバンク」より)
役所職員「第12希望に書かれていた◯◯保育園に空きが出ました。どうしますか?」
ずっと待機児童で幼稚園に入れるしかないのかな、と思っていたのに思いがけない役所からの電話。
ただ、いざ子供と離れる生活をするのも寂しく感じて一旦保留にした。
その時私にはA子さんという初めてのママ友ができていて、電話を切ったあと彼女にLINEで相談したらA子さんはその足でその園に出向き
「すごく良さそうなところだったよ」
と報告してくれた。
そんなこともあり私は子供を保育園に通わせることにした。
この地に越してきてから私は人々の民度の高さにビビっていた。
それまでいた東向島はフランクな年配の方が多く、巣立った息子が家に残していったものかな?と思うような〈亀〉と書いたTシャツや〈DJホンダ〉のキャップを被り、あまり身なりは気にしない。
私も長年その辺りにいたので近所で気取る、ということはあり得なかった。
しかし、越してきてすぐ冬のある日、豊洲公園に子供を遊ばせに行ったら、そのママたちの装いにビックリした。
小さな子供と公園にいるのにFENDIのムートンにCHANELのブーツを履いてる。これ本当に。
湾岸…子育てママたちはUGGのブーツにMONCLERのダウンかな、くらいに思ってた。けどそれ以上だった。
私はすっかり気後れし、この地の人々は私など相手にしてもらえないのでは、と思っていた。
そんな時にイオンのフードコートでA子さんと出会い、やはり夫婦揃って超エリートなのだがとても気さくで仲良くしてもらっていた。
A子さんのお墨付きもあり、いよいよ保育園に通い出す。
娘は3歳、年度途中からそこに入り、なんとか馴染めるようになったが私はというとやはりビビっていてあまり園ママたちとは距離が縮まらない。
私は外で働いているわけではないのでお迎え時間が早め。
そのときいつも時間が重なる妊婦さんがいた。
妊娠後期の大きなお腹で毎日ゆっくり歩いてお迎えに。
それがM。メンバーのひとり。
Mは私よりだいぶ若くて見るからに清純派。
毛染めもせず、メイクも薄く、ブランド品も身につけず、カジュアルなんだけどゆっくりとした話し方、内面から湧き出るお嬢様オーラが漂っていた。
夫は世界を飛び回る商社マン。
やはり私など相手にされないか?
私たちは挨拶から始まり無難な世間話をするようになった。
ある日、園のイベントがあってみんながゾロゾロと帰っているとき、ちょっとした広場で子供たちが遊び始めた。
Mを始め、ママたちは既に仲が良さそうで雑談。
私は少し離れたところから子供たちやその風景を見ていた。
そこで娘とすごく仲の良いお友達のママが赤ちゃんを抱っこしていた。
私がそれに目をやったのに気づき、Mは大きなお腹を支えながらわざわざ私のところにやってきて
「◯◯ちゃんには弟がいるんですよ」
と教えてくれた。
この何気ないひとコマですっかり私はMのことが好きになった。
なんて気遣いのできる優しい女性なんだろう。
きっと皆から愛されて育ったのだろうな。
感動した。
そこから私はMと仲良くなりたくて積極的に話すようにした。
そしてもうひとり同じ時間帯にお迎えにくるママがいた。
それがY。彼女もメンバーである。
Yは私よりいくつか歳上でとにかくエレガントだった。
といってもM同様、毛染め無し、髪をひとつに束ねて薄メイク、控えめ。
でも身につけているものひとつひとつが上質でアパレルにいた私だからなんとか気付くようなブランドなど、センスが良かった。
そしてやはりMと同じく育ちの良さがその節々に現れていた。
夫はエリート士業。
Yは真顔な時が多く、近寄りがたいところがあったが、笑う姿がすごく豪快で、こんな私でもちょっとイケるかも?なんて思った。
2人は仲が良くてマンションも同じ。
いつも一緒に帰っていた。
そこになんとか入り込みたい。
私は頑張った。
私は私の素の姿で勝負しよう。
変に気取ったり、お嬢様のフリをしてもすぐバレる。
別ジャンルの人間として仲間に入れてもらおう。
そう思いスルスルと入り込んだのである。
2人は私をすごく面白いと評価してくれて(多分)いつしか私たちは3人で仲良くなることができたのである。
桜咲き春がきて進級。
そこでリーダーメンバーとなるTがやってきた。
続く
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