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富豪と美術品・ホンモノとニセモノ

私がお笑い芸人などと合コンをしている二〇代後半の頃、アジアのとある国の富豪と付き合い始めた。

付き合った富豪は二名、ある富豪と同伴した船上チャリティオークションパーティーで出会ったもう一人の富豪に惹かれ、その場で彼に乗り換えた。

ギスギスしただろうが、乗り換えた人の方が圧倒的に権力を持っていたので先の富豪は世間体などもあり、むしろ俺があの日本人女を捨てた、というように吹聴していた。

まあ、どうでもよい。

私は乗り換えたAのことが本当に、好きで好きでたまらなかった。
妻が二人おり、それぞれに子がいた。
それをどうしても受け入れられず、特に二人目の妻に対して嫉妬に狂った。

好きで好きで、盲目となり、今思うと一年間ほど工作員をやらされた。
Aは自国では英雄だが、実際はマフィアのようなもので、日本の取り巻きは、翁ではない方の関東大手の任侠、芸能界のボスといわれてる爺さんなど色々いた。
某半グレ団体も。
現在指名手配となっている、六本木のビルの事件の彼もAたちが海外に逃した。

私に会いに来るという体で、Aは最低月一で日本にやってきた。
それとは別に月一でどこかの国で会った。
プライベートジェットではなかったが、要人パスポートを持っているのでイミグレーションは専用。

そこで美術品の売買、商談が行われるのである。

(あとはマネーロンダリングの処理とか、ボロボロの家に行ってみると四畳半の畳の裏がびっしり札束だったとかなんてこともあった)

三大オークションなどの動向を逐一チェックし、こんなものにこんな値段がついた、と各国の取り巻きが情報を流してくる。
そして、急に相場が上がったそれらを所有している人を探し、安価で買い、高値で売っていたのだと思う。

美術品とは純粋にそれに魅せられ、所有欲が湧き、購入するのかと思っていた。
実際そういう人も沢山いるだろう、それがホンモノ。

しかし多くはAのように儲けの手段として扱っているのである。
絵画でも銅像でも壺でも宝石でも、その価値は常に変動する。それは株や為替と同じ。

私の一番嫌いなタイプの人のSNSは不動産投資、株で儲けたという自慢、その金で高級時計や高級車買ったという投稿。
たかが一戸一億円のマンションの一室を買い、数千万の売却益でイキる。
こんなに痛い人間がいるだろうか。

嫌いすぎて話が逸れた。

そんな狭い世界とは全く次元の違う話。

アジア人の若い女、そして堅気風。
これだけで彼らは、私を儲けの道具のひとつとして、十分に使える。

細かい指示が出され、何も話さなくていい、ただその場にいろ。
◯◯人の振りをしていて、後で先方(日本人)がなんと言っていたか教えろ、とか。
ベイコートのバーだったり、都ホテルのロビーラウンジだったり、芝のうかいの個室だったり、アメリカンクラブだったり。

ホンモノの美術品を沢山見た。
これが手に入るなら違法なこともなんでもする、ついついそこまで思ってしまうほど魅了させるそれもあった。
Aがある日、「これは絶対に売ることはない、凄いものを見せてあげるよ」とある国にある自宅でどデカい宝石を見せてくれた。
凄かった。言葉ではとてもではないが表せない。
これのために汚いことをするのもわかってしまう。

最近は若い芸術家の作品を買うコレクターが多い。
突然百倍、千倍、万倍になったりする。
その芸術家が死んだら更に上がるだろう。
当然その頃自分もこの世にいない、だが子や孫のために彼らは今日も作品を買う。
そう思うとこれは愛情ともとれる。

ホンモノにはニセモノが常に存在する。
巧妙な贋作はどんなに優秀な鑑定士も気が付かなかったりする。らしい。

ある人がスーパーコピー品といわれる腕時計を買った。
おそらく500万くらいのを10万くらいで。
それを堂々と銀座の旗範店に持って行き修理させたと。

ニセモノをホンモノと偽り、儲けていた人もいた。
それらにも圧倒的な輝きがあり、私には魅力的に感じた。

ホンモノとは、ニセモノとはなんなんだろう。

私が最も敬愛する思想家はこういう。

〈ホンモノは、いつも隠れた美しさをそなえていて、誰かの愛情によって発見されるまで待っている。この「待つ時間」の静かで自然であることが、ホンモノの証拠である。
これに反して、ニセモノは美しさをおもてにあらわそうと常に焦っている。だからどんな巧みに「待つ時間」を虚構しても、そこには必ず媚態があらわれる。人間はこれの弱いのだ〉

〈所有し愛着を深めることで、ニセモノも、ホンモノにまで成長してゆく場合がある。偽の茶碗で毎日茶を点てて、茶碗を愛でるうちに、肌の色艶がよくなり、堂々たる風格を帯びてくることがある。
所有者の愛情がホンモノであったからだ〉

これは人間にもいえる。
愚人達は自身がいかに優か、おもてにあらわそうと必死。
富豪連中も、取り巻きも、皆ニセモノなのだ。
おそらく私も。

だがニセモノの人間も誰かに愛情を注がれることでホンモノになることができる。

翁と夫からの愛がホンモノであり、私はニセモノを脱することができたと思いたいこの頃。
ああ、でも愚人についつい突発的にコメントしてしまう私はまだまだニセモノだなぁ。

ちょっと何を伝えたいんだかわからなくなったけれど、終わり

※画像は日本人個人が所有している、ポールゴーギャンのタヒチの女シリーズ。

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