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海の静けさと幸ある航海 中編

 登場人物
海宝かいほう(旧姓 鈴木) みお(60): 主人公 

海宝 こう(71): 澪の夫 前妻(実咲みさき)が亡くなった後、澪と再婚

志津 芳実しづ よしみ(71): 航の同僚で大学時代からの親友 

竹内 翔真たけうち しょうま(60): 澪の会社同期 

吉井よしい(旧姓 水沢) 彩子さいこ(60): 澪の会社同期  

吉井 とおる(73): 彩子の夫 

海宝 千洋ちひろ(67): 航の弟  

海宝 航平こうへい(46): 航の一人息子 

海宝 美生みき(46): 航平の妻  

海宝 航生こうせい(11): 航平と美生の長男

海宝 彼方かなた(8): 航平と美生の次男   

 お皿を下げる千洋さんの横顔に西日が照りつけ、小麦色に焼けた肌を際立たせる。千洋さんは航さんよりも大柄で骨太、顔立ちは精悍だ。それでも、意志の強そうな瞳は、航さんと同じ血が流れていることを雄弁に物語っている。

 同期2人と共に、航平さんの仕事の話に耳を傾けていると、志津さんが航さんの耳元で尋ねる声が耳に入った。
「航は彼女との思い出を胸に、前の奥さんと義務で連れ添って、関係が修復されることはなかったのか?」
 志津さんの野太い声は、そもそも内緒話など向いていないのだ。航さんが私に気を遣い、場所を移そうと志津さんを促す。

「私も聞かせてもらっていいかな」
 私は努めて明るく割って入る。さすがの志津さんも、バツが悪そうな顔をしているが、私は曖昧に流すつもりはない。この機会を逃せば、二度とこの話題を出せない予感がした。

 私は30年前から今まで、奥様の姿も写真さえも見たことがない。唯一の情報は、航さんが話してくれた奥様とのなれそめと病歴、スマホから漏れた声をZoom越しに聞いただけだ。その気になれば、いくらでも調べられた。だが、好奇心と嫉妬に駆られながらも自制してきた。知れば知るほど平静でいられなくなり、私の言動が航さんに負担をかけるとわかっていたからだ。

 航さんと一緒になった今、前の奥様とのことも含めて、彼を理解したいと思う。そのためには、奥様の思い出を聞かせてもらうことは不可欠だろう。
 だが、航さんは意図的にそれを避けてきた。そして彼は、その心遣いが、2人のあいだに壁をつくっていることに気づいていない。志津さんという触媒がある今なら、航さんの舌が滑らかになると確信した。

「私も聞いておきたいの。お願いだから、気を遣わないで」
 
 航さんは観念し、一語一語を選び取るように話し出す。
「僕は前妻、実咲みさきさんの強迫性障害の治療を経て、彼女を大切に思う気持ちを取り戻した」

 航さんの横顔には、包み隠さず話す覚悟がにじんでいた。彼は、一度腹を決めると、たとえそれが誰かを傷つけるとしても、その道を突き進む強さを備えている。私はそれが愛おしくも、恐ろしくも思えたことを不意に思い出し、心に鎧を着せるように身構える。

「僕は、物心ついたときから、気持ちが不安定になる母を見てきました。だから、僕はそんな母の扱いが父より上手でした。でも、母がコロナ感染を恐れて強迫性障害を発症したあの時期が一番大変でした」
 航平さんが澱んだ空気を和らげるかのように、快活な声で口を挟む。

「航平は、いい子過ぎて心配になるほどいい子だったからな。兄さんも随分助けられただろう?」
「本当にそうだよ。僕がしっかりしていなかったせいで、航平は年齢よりも大人びてしまい、何でも自分で背負い込むようになってしまった」
「何でも背負いこんで自分を犠牲にしてしまうのは、兄さんも同じじゃないか。航平は外見だけじゃなくて、中身も兄さんに似たんだよ」
 航さんは気まずそうに頬を赤らめて続ける。
「美生さんは、そんな航平に自分を大切にすることを教えてくれました。そして、航平が安心して弱みを見せられる唯一の相手でもあるんです。本当によい方にめぐり逢いました」

 航平さん夫妻は、そっと視線を交わした。航平さんは照れ隠しのように勢いよく話し出す。

「母は、最初はコロナウイルスを恐れていたのですが、その対象は不潔だと感じるものすべてに広がっていきました。自室から出るときは、マスクと手袋をつけ、ビニールを幾重にも被せたスリッパを履いていました。トイレに行くと、ペーパーを1ロール使ってしまい、そのあと風呂にも入るんです。風呂では、いくら身体を洗い続けても、きれいになったと思えないらしく、一晩中出られないこともありました。ボディソープは1回の入浴で1本近く使っていたと思います。そんな日々が続き、心身共に疲れ切ってしまったようで、トイレに行かないで済むように水分を控えるようになりました。因みに、手洗いのためのハンドソープは毎日1本以上使っていたと思います。水道代やペーパー、ソープ類の出費が凄まじかったです」

「ひゃあ、それは大変でしたね……! どれだけ辛かったでしょうね」竹内くんが頓狂な声を出す。

「実咲さんの症状がひどくなると、外に出かけている僕と航平は、完全にバイ菌扱いでした。僕と航平は、帰宅したら手を消毒した後、風呂に直行させられました。着ていたものはすぐに洗濯、スーツや制服はびっしょりになるまで除菌スプレーをかけられました。言う通りにしないと、ヒステリーを起こされるので、従うしかないんです。実咲さんはマスクと手袋をつけ、ビニールで覆ったスリッパを履き、僕と航平が玄関から風呂に行くまで歩いた廊下、触ったドアノブを目を吊り上げて消毒していました。入浴後は、できるだけ部屋から出るなと言われ、トイレに出るのも咎められる始末でした。同じ家にいるのに、彼女が飛沫感染を恐れていたので、コミュニケーションは通話とLineが主でした」

「父は、コロナ禍でテレワークになりましたが、出勤が必要な日もありました。その日の夜は特に母の不安が強くなりました。母の不安を鎮めるため、父は近くにアパートを借り、そこで仕事と生活をすることになりました。日中、母は不安になるたびに、父に電話していたようです」

「仕事では、志津が随分配慮してくれたので、妻のケアとの両立ができたよ」

 航さんと志津さんが、当時を思い出すようにそっと顔を見合わせる。

「そのうち、父が家に戻れるのは、購入した食材や日用品を玄関先に届け、郵便物を持っていくときだけになりまた。母はその食材を何度も入念に洗い、日用品はすべて時間をかけて消毒していました。どれだけ洗っても、コロナウイルスがついていないと確信が持てなかったらしく、洗うのを止められなくて泣きだすことも。母に任せていると、永遠に食事ができそうもないときは、僕が母の指示通りに洗って料理することもありました。母はさっきの野菜の洗い方が不十分だったのでは、あのスーパーはコロナ感染者が出ていないかなど、不安が浮かぶたびに、僕や父に電話をかけ、大丈夫かと尋ねるんです。僕も父も母の強迫に巻き込まれて疲労困憊していました」

「お母さんの不安が一番強くなったのは、どんなときでしたか?」竹内くんが尋ねる。

「そうですね……。母がマスクと手袋をするのを忘れて、かかりつけのクリニックから来た郵便物を開封してしまったときですね。手紙にコロナウイルスがついていたかもしれないと、真っ青になって風呂にかけこみました。出ると、マスクと手袋をして受話器を持ち、クリニックや郵便局などあちこちに掛けて、感染者の有無を確認していました。保健所にも、PCR検査を受けられないか相談していました。電話を受ける先に迷惑だと止めると、母が怒鳴るので、気が済むまでさせるしかありませんでした。電話でも安心できなかった母は、家中がウイルスに汚染されてしまったと泣きながら除菌スプレーで消毒を始めました。僕は大丈夫だと宥めましたが、何を根拠にそう言えるの、コロナウイルスはどれくらい生きているか知っているの、無症状でも感染していることがある、さっさと風呂に入って全身を洗ってなどと半狂乱で言い返されました。高校のテスト期間中だった僕は『もう勘弁してくれ!』と切れて、父に来てもらいました。ですが、母は『あなたも汚染されているから、家に入らないで!!』と父を入れませんでした。父は玄関の外から、電話で何時間も宥めていました。あの頃は、余程の症状が出ないとPCR検査を受けられなかったので、それで母を安心させることはできませんでした。まあ、検査を受けたとしても、結果が100%信用できるのか、最初は陰性だったのに何度目かの検査で陽性になった人もいるなどと騒いだでしょうが」

「航平、まだ高校生だったのに大変だったな。何も知らなくて、申し訳なかった……。兄さんも、相談してくれればよかったのに」千洋さんが航さんを軽くにらむ。

「あの頃は、千洋叔父さんもコロナ騒ぎで大変だったでしょう。それに、叔父さんが来てくれても家に入ってもらうのは無理だったと思います。あの頃の母は、汚染を恐れ、僕と父以外が家に入るのを許さなかったんです。だから、家電が壊れても修理を頼めないので買い替えるしかなく、宅配便は置き配で受け取っていました」

「ああ、千洋は定年まで客船でシェフをしていたんですよ」話が見えない私たちのために、航さんが言い添える。

「そうでしたか。あのころは、ダイヤモンドプリンセス号でコロナが出て、客船業界も大変だったでしょうな」
 志津さんの言葉を皮切りに、しばしコロナが流行した頃の思い出話が続いた。


 それが落ち着いた頃、志津さんが尋ねた。
「実咲さんの強迫性障害は治ったのか?」

「実は、実咲さんの強迫性障害の治療では、透さん夫妻にお世話になったんです。あの治療がなければ、彼女を大切に思う気持ちを取り戻せませんでした」

「どういうこと……?」
 初めて聞く話に、私の思考がついていかない。そういえば、航さんと透さんは初対面だと思っていたのに、前に会ったことがあるかのような挨拶を交わしていたのが腑に落ちなかった。

「透、ERPの件、説明して」
 彩子が、キッチンで千洋さんを手伝っている透さんに声を掛ける。

「千洋も働きっぱなしで疲れただろう。こっちにきて座ったら?」

「いま、アップルパイとお茶をお持ちします! しばしお待ちを」
 千洋さんは、アップルパイが航さんの好物だと覚えていて、腕によりをかけて焼いてくれた。

 透さんが、航生くんと彼方くんには林檎ジュース、大人たちにはハーブティーを大きなトレイで運んでくる。エルヴァベールに因んで、私と航さんが昨年から育てていたハーブを透さんと彩子がブレンドし、ハーブティーにしてくれたのだ。先月から透さんの店でも使ってもらっている。

 千洋さんが大きくカットしたアップルパイを運んでくると、子供たちは歓声を上げ、大人たちはハーブティーの香りに目を細める。透さんと千洋さんもようやく席についた。

「さっきの話ですが、僕は航さんの前の奥さんと同じ強迫性障害から回復しました。もう30年程前のことですが。強迫性障害は、強迫観念と呼ばれる不安が意志に反して頭に侵入してきて、それを振り払うために無駄な行為を繰り返してしまう病気です」
 190センチの長身痩躯を窮屈そうに椅子に沈めた透さんは、ゆっくりと話し始めた。お洒落な透さんは、植毛とフェイスリフトを欠かさないだけあり、甘いマスクの名残を残すおじいさんになった。

「今思い出したんですけど、映画の『アビエイター』の主人公もその病気ですよね? たしか、『名探偵モンク』もそうじゃないですか?」竹内くんがフォークを置いて尋ねる。

「まさにそれです。不潔恐怖の他にも、確認、加害恐怖、縁起恐怖などいろいろな症状があります。僕は加害恐怖だったのですが、1週間入院して、同じ病気の仲間と認知行動療法のERP(Exposure and Response Prevention)、日本語で言うと曝露反応妨害法で治療を受けました。その治療で、日常生活に支障がないくらい回復しました。そのときの仲間4人で、症状や治療体験をYou Tubeで配信していました。この病気の苦しさを知る者として、同じ病気で苦しむ人たちが、勇気を出して治療を受けるきっかけになればという思いからです。あの頃は、コロナウイルス恐怖になってしまったり、今まで通院できていたのに感染が怖くてできなくなった人もいましたから」

「実は僕、そのYou Tube動画を見つけたんです。入院中の妻が、抗うつ薬のSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)で少し落ち着いた頃でした。そもそも、双極性障害Ⅱ型の彼女が、SSRIを続けるのはリスクがあるので、医師からERPを勧められていたんです。当院ではできないけれど、ERPは強迫性障害によく効くし、受けたいなら可能な医療機関に紹介すると。僕がネットでERPの情報を集めていたとき、検索にひっかかったのが透さんたちの動画でした。あのときは透さんが彩子さんのご主人だとはわかりませんでした。話を聞かせてもらおうと、僕が透さんのお店《フェルセン》を訪ねた日、透さんは治療仲間で、妻と似た症状のシオリさんを呼んでおいてくれました。シオリさんは、数年前にERPで不潔恐怖を克服したのに、コロナ禍で再発してしまい、再びERPを受けて良くなった方なので、参考になる話をたくさん伺えました」

「兄さん、そのERPって、どういう治療なの?」千洋さんがハーブティーのカップを置いて尋ねる。

「かなり過激な治療ですよね……」航さんが透さんと意味ありげな視線を交わす。

 透さんが頷いて話し出す。
「ええ。例えば、汚いと思うものに触ったら、手や身体を何時間も洗い続けたり、そのとき身に付けていたものを捨ててしまう人がいるとします。その人に、わざと汚いものに触ってもらうんです。例えば、便器の水に素手を入れるとか。その後、その手で、パンを食べたりします。これをエクスポージャーといいます。気が済むまで手を洗いたい衝動に駆られますが、それは禁止です。これが反応妨害または儀式妨害です」

「便器の水に素手を入れるなんて、普通の人でも逃げ出したくなりますよね。その手を洗わずに食事なんて、考えられません」
 美生さんが顔をしかめる。

「汚いものを嫌う人がそんなことをさせられたら、パニックで発狂してしまうんじゃないか?」千洋さんが口を挟む。
「そうだよな。逆効果だよな」志津さんが同調する。

「そう思いますよね」透さんがハーブティーを一口飲んでから続ける。

「実は、手を洗うなどの強迫行為をしなくても、不安は時間が経つにつれて、低下していくんです。例えば、最初の不安が100だったとしたら、1時間後は70、3時間後には50に下がった、3日後にはほとんど忘れていたなど、記録しておくことを勧められます。強迫行為をしなくても不安が下がっていく経験を繰り返すことで、強迫行為をしなくても大丈夫だと学習します。小さな不安に対するエクスポージャーから挑戦を始めて、成功経験を重ねていきます」

「なるほど。実咲さんは、その治療を受け入れたのか? 相当勇気が必要だよな」千洋さんが目元に好奇心を浮かべて尋ねる。

「もともと彼女は聡明な女性でした。なぜERPが有効かを理解すると、自分から挑戦したいと言ってくれました。僕と彼女はいろいろ病院を調べましたが、透さんの紹介で専門医の赤城あかぎ医師と桐生きりゅう心理士のいる病院に行くことにしました。実咲さんはそこに入院してERPに挑戦することになりました。当時は、コロナ感染防止対策のために、面会は許可されていませんでしたが、彼女が桐生心理士と外出してエクスポージャーをする際は、僕も立ち合えました。例えば、外に出ることも怖がる彼女が、病院近くのコンビニでおにぎりを買います。そして、誰が座ったかわからない病院の中庭のベンチに両手で触ってから座り、手を洗わず、素手でおにぎりを食べる課題に取り組みました。以前の彼女なら、ハンドソープを1本使って手を洗った後、除菌ティッシュを大量に使って拭き、ようやく食べられたと思います。手洗いや消毒を止められず、泣いていることもありました。そんな彼女が、泣きながらも、ベンチを拭かずに素手で触れてから、座れたんです。時間はかかりましたが、心理士と僕に励まされ、その素手で、海苔を巻いたおにぎりを持ち、マスクを外して食べられたのです。見ていた僕は目頭が熱くなりました。僕と心理士に褒められ、彼女は達成感を覚えたようです。因みに、彼女は病室でも、大量に持ち込んだ除菌ティッシュやアルコールスプレーを取り上げられていた上に、手洗いをしないよう看護師さんに見張られていました。その日の夜、彼女から、今日は一度も手を洗わないで過ごせた、これだけしてもコロナに感染していないと電話がきました。コロナウイルスについてあれこれ検索しないように、スマホとノートパソコンをとりあげられていたので、病院の公衆電話からでした」

「普通の人には、何でもないことでも、不潔恐怖の人には、計り知れない勇気が必要なのですね。お義父さんが心を動かされたのがわかります」
 美生さんの言葉に皆が頷く。訪れた静寂を夕風に乗った風鈴の音と、秋の虫の声が埋めていく。

「僕も治療に立ち合わせてもらわなければ、彼女の辛さを理解できず、持て余したままだったと思います。それから何度かエクスポージャーに立ち合いましたが、一番印象的だったのは、彼女が医師と心理士の立ち合いの下、コロナ患者を受け入れている病院に行き、便座を消毒せずに洋式トイレを使い、外来の待合室の椅子に10分間座わり、手洗いもうがいもしない課題に挑んだときです。彼女は車内で、帰りたい、勘弁してとすすり泣いていました。赤城医師は許さず『誰のために治したいの? 治ったら何がしたいと言っていた?』と詰問しました。彼女は『母親と妻の役割をきちんと果たしたい。夫の手を握れるようになりたい』と答えました。その言葉に、僕は心を打たれ、以前の奔放な行動を許す気持ちが芽生えました。それまで、過去の奔放さに対する怒りが燻っていて義務感で支えていたのですが、心から応援したくなりました。彼女はコロナ患者を治療する病院に入る前に、車内で長い時間ためらって泣いていましたが、先生方と僕が見守る中、課題を達成し、手洗いもうがいもせずに車内に戻りました。以前の彼女は、家以外のトイレは使えず、外出前や外出中の水分摂取を徹底して避けていました。入院中は洋式トイレを避け、やむをえないときは除菌ティッシュを大量に使って便座を拭いてから使っていたことを思えば、信じられない進歩です。病院に帰る車内で、彼女は泣くのを通り越し、不安で蒼白になって、口も聞けませんでした。医師はその状態の彼女に、『その手でご主人の手を握って』と指示しました。彼女は僕までコロナになってしまうと震えていましたが、渋々僕に手を差し出しました。僕はその手をしっかりと握りました。医師は『しっかり握って! ご主人もあなたもコロナになってしまったことを想像して、その恐怖を味わって』と言いました。彼女、その夜は不安で眠れなかったと言っていました。あれだけしても、自分も僕もコロナに感染しなかったことで、彼女の不安はかなり和らいだようです。僕は彼女が僕の手を握ってくれたことが泣きだしたいほど嬉しかったです」

「あの頃は、コロナで医療が逼迫していたよな。その時期に、そこまで大胆な治療をする医師は勇気あるな」千洋さんの語尾はやや尖っていた。

「ああ。だけど、僕は赤城先生の判断は正しかったと思う。ERPを受ける前の彼女は洗浄や消毒を止めたくても止められなくて、手からハンドソープの白い粉がふいているほどだった。心身共に疲れ果てて、睡眠薬をオーバードーズして何度も自殺を図り、救急車で運ばれて閉鎖病棟に入院した。まさに命の危険と隣り合わせの日々が続いた。コロナと強迫の深刻度の比較はできない。でも、あの治療がなければ彼女は命を絶っていたと思う。そこまで追い詰められる恐ろしい病気なんだ。だから、あの治療は必要だったと思う」

「僕は入院中の母の戦いは見ていませんが、同感です。本人が生きるか死ぬかの戦いをしているのは勿論ですが、巻き込まれる僕と父も限界でしたから」

「退院したときは、良くなっていたのか?」志津さんが口の周りにパイくずをつけたまま尋ねる。

「前より格段に良くなっていた。でも、症状は残っていた。病院で、心理士の監督下ではできたことも、一人でやるのは難しいことがたくさんあった。以前はできていたことができなくなることもあった。ちょっとしたトリガーで、症状が再燃してしまうことも。僕は先生方に話を聞き、自分でも病気について勉強していたので、理解しているつもりだった。でも、彼女の言動にあからさまに落胆したり、声を荒らげてしまったこともあった。そんなとき、透さんの治療を支えた経験のある彩子さんにアドバイスをいただき、気持ちが楽になりました」

「彩子に!?」思わず頓狂な声が口をついてしまった。

「航さんがフェルセンに相談に来てくれたときね……。私、透の治療を手伝っていたとき、強迫行為を助けることをしてしまったり、つい苛々して怒鳴ってしまったり、反省することが多々あったの。そこから学んだことはたくさんあったわ。治療を手伝う周囲の人しかわからない悩みも理解できるようになった。その経験と先生方に教えてもらった知識が、少しでも治療に役立つならと思ってね……」

「彩子さんから、たくさん教えていただきました。特に、どんなに小さな進歩でもほめること、不安なとき大丈夫と何度も言って安心させてしまうと次回もそれを求められて、そのループから抜け出せないと教えていただいたことが参考になりました。実咲さんは、以前は僕の買ってきた野菜や果物を際限なく洗っていましたが、退院してから、その時間がだいぶ短くなったのに気づきました。止まらない水道の音を聞いていると、『いい加減にしないか』と怒鳴りたくなりましたが、彩子さんのアドバイスを思い出して『洗う時間が前より短くなったね! すごいじゃないか』とほめました。彼女は『入院しているとき、私が普通の人の感覚がわからなくなっていたから、桐生心理士が手洗いや、野菜や果物の洗い方をやって見せてくれたの。それに近づけるように頑張る』と照れくさそうに微笑みました。回復は一歩一歩でしたが、僕は小さな進歩をほめることにしました」

「退院してからも、母が僕に、安心するために大丈夫かと尋ねることがありました。以前は、母が落ち着くまで付き合っていたのですが、父が彩子さんから聞いてきたように、『さあね』、『大問題なんじゃない?』、『さっき話したから、答えはわかってるだろ』とシンプルに返すことにしました。母は、最初は何で不安になるようなことを言うのと怒ったのですが、不安な感情を味わい、それは時間とともに薄れていく感覚を学習する意義を理解したようです。少しづつですが、母が良くなることで、家族の絆が回復していくのが嬉しかったです」

「生活に支障がなくなるまでに3年ほどかかりました。その間には、症状が悪化したり、良くなったりを繰り返し、一喜一憂の日々でした。でも、妻が自分で買い物に行き、野菜や果物を普通の人と同じように洗い、料理しているのを見たときは本当に嬉しかったです。そうそう、彼女が自分から、コロナ感染者が出た宅配業者の営業所に、荷物を出しに行くエクスポージャーに挑戦すると言い出したことがありました。無事に行ってきて、普通の手洗いとうがいだけで済ませたときは、よくぞここまでと目頭が熱くなりました。良くなってからも、再発を避けるために、エクスポージャーを続けている姿は逞しかった。透さんと彩子さんのおかげです。あのときは本当にありがとうございました」

「海宝家が平穏を取り戻せたのは、あの治療を受けられたことが大きいです。心より御礼申し上げます」

 透さんと彩子は、頭を下げる親子にしきりに恐縮していた。

 
「ごめんね、黙ってて……」彩子が私に耳打ちする。
 航さんと別れてから、私は新婚で幸福そうな彩子や竹内くんとの付き合いが辛く、距離を置いた時期があった。その時期と重なったので、彩子も言いにくかったのだろう。あるいは、航さんに口止めされていたのかもしれない。

「ううん。私が言うのもおかしいけど……、ありがとう」私は唇の両端を押し上げて笑みをつくる。

 実咲さんという女性を身近に感じ、家族一丸となった病気との戦いを知り、嵐のように胸がざわついている。私が家族を築くのに失敗し、一人で生きていく覚悟を決めたとき、航さんは家族の絆が回復する充実感を覚えていた……。自分が望んだことなのに、複雑な感情が頭をもたげてきてしまう。それでも、航さんが幸せだったならよかったなと思った。

 お披楽喜の時間を知らせるかのように、夕闇が忍び寄ってくる。今から浜辺に行けば、海に沈む夕日が見られるだろう。海なし県に住んでいる彩子夫妻には、ぜひ見てほしいと思った。