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巡礼 5-(3)


 ベンは日が暮れる前に戻ろうと2人を促して車に乗せ、ロスへの道を飛ばしながら話を続けた。
「1943年2月に、日系人による連隊規模の部隊を編制すると発表があったんだ。収容所に陸軍将校が来て、志願兵募集の説明会が開かれたよ。二世は収容所に入れられたことで国家に裏切られたというショックが大きくて、志願する者は少なかった……。そうして編成されたのが、日系人で構成された第442連隊戦闘団だ。そこには、ハワイ出身者で構成された第100歩兵大隊も含まれた。442部隊はアメリカ史上最も多くの勲章を受けた部隊として、歴史に名を刻んだ。勇敢だったからこそ戦死者も多かった。442部隊は1944年10月に、フランス北部でドイツ軍に包囲されたテキサス大隊を救出する任務を命じられた。211名を救出するために、約800名の死傷者を出している。
こうした功績が評価され、1946年7月、トルーマン大統領は、ワシントンDCで二世部隊を閲兵し、『君たちは敵のみならず偏見とも戦い勝利した』と賞賛してくれた。彼らがアメリカへの忠誠を血で証明してくれたことで、日系人の地位が改善されるきっかけになったんだ。彼らは二世、そして次の世代がアメリカで生きていく道を切り開いてくれた」


 自分たちを収容所へ追いやった国家のために血を流した彼らの悲壮な決意に、都は心をうたれた。彼らの決意は、偏見に満ちたアメリカ社会をも動かしたのだ。

「戦闘部隊のように目立たなかったけれど、ベンやセイジのような語学兵の功績も都に話しておかないと」
 ベンは頷いた。
「MISことアメリカ陸軍情報部は、来るべき日本との戦争に備えて、開戦前から日本語に堪能な二世と少数の白人を集めて、サンフランシスコのプレシディオに日本語学校を開校していた。後に学校はミネソタ州に移されて、МISLSこと陸軍情報部語学学校と改称された。日本語の訓練を受けた二世は、戦地で日本人捕虜を尋問したり、日本軍から捕獲した文書を翻訳したりして、戦闘に有利になる情報を得たんだ。スピーカーを持ち、絶望的な状況でも徹底抗戦する日本軍の近くまで行って、日本語で投降勧告をした、投降を促すビラも作ってまいた。語学兵はアメリカ兵だけでなく日本兵の命も救い、戦争終結を早めることに貢献したんだ」

「ベンが徴兵されたときのこと、今でも覚えているわ」
「1944年に入って、戦争省は二世の選抜徴兵を始めたんだ。もはや、志願者だけでは戦闘部隊と語学兵の補充ができなかったからだ。収容所の二世のあいだでは、一度は軍から追い出しておきながら、今度は引っ張られる理不尽に不満が爆発していたよ。その頃、収容所内の高校を卒業した僕は、収容所を出て働きながら大学に通える方法を探していた。この頃は、収容所を出て学業や仕事をしたい日系人を支援するために、戦時転住局の事務所が各地にできていたんだ。兄のマイクが、ミネソタ州にあるМISLSで教官をしていたので、ミネソタ大学に来ないかと誘ってくれた。僕もそのつもりだったけれど、手続きをしている途中で徴兵命令が来てしまったんだ。僕は日本語が多少できたので、希望通りМISLSにいくことになった」

「ベンが徴兵されたと聞いて、真っ青になったわ。今まで、家族ぐるみの付き合いをしてきて、兄のような存在だったし、隣の会話が丸聞こえのバラックだから、私が弟や妹に怒鳴っているのを聞かれていたと思うとロマンチックな気分になんかなれなかったの。でも、あのとき、ベンに会えなくなると思うと、いてもたってもいられなくなって……」
「君は血相を変えて駆けてきて、必ず手紙を頂戴と言ったね」
「あなたは毎日でも書く、君もたくさん書いてとハグしてくれた……」
「収容所に入らなければ君と出会えなかったと思うと、それも悪くなかったと思うよ」
 ベンが右手を伸ばし、助手席のアイリスの手をとった。