見出し画像

自分が弾く意味

「君より弾ける人、基本的なことができている人はたくさんいるよ。中身はどうだか知らないけど」
 大学入学前、厳しい恩師にお世話になったお礼のあいさつに伺ったときに、そう言われた。
 自分のできる限りの範囲で、自分の好きな音楽をやろう。そう思って入学した。注目されたいという気持ちは一切なかった。要するに野心がなかった。野心を抱くだけの力がそもそも自分にはないのだからという、若さに似合わぬ諦めもあった。ただ「中身」だけは4年間で詰め込みたいと思っていた。
 ところが、いざ入学すると、最初の年の試験の成績が良く選抜演奏会に出演することになったり、次の年に、大きなコンクールでタイトルを狙うような人が受ける学内コンクールに先生に進められるがままに出場したら本選まで残ったり、どういうわけか評価され、「弾ける人」と見做されるようになった。今、当時の演奏を振り返ると、「なんであいつが?」と思っていた人もいただろうと本当に思う。
 その学内コンクールに、やはり先生に進められるがままにその翌年再び出場して、今度は入賞した。傍目には順風満帆な学園生活を送っているように見えただろうと思う。
 しかしその本選会は、私にとって長い苦悩の時間のはじまりだった。
 本選会の前日、緊張のあまりに食事が喉を通らず、夜も眠れないという状態に初めてなった。押さえても押さえても失敗するイメージが吹き溢れ出し、何度か吐き気を催した。それまではいくら緊張してもこんな状態になったことはなかったので、そういう自分に自分で驚いていた。
 夜が白んできたころにようやく短い眠りにつけたものの、朝になってもやはり不安は拭えなかった。堪らず市販の精神安定剤を買薬局に駆け込んだ。昼食はやはり喉を通らない。
 安定剤が効いているのかよくわからないまま出発の時刻を迎えて会場がある虎ノ門に辿り着き、アルバイトの同級生に受付をしてもらって楽屋に入る。とにかく今日は弾くこと自体に意味があるのだ、とにかく弾き終えるのだとだけ考え続けていた。
 弾き始めて、会場と楽器が素晴らしかったことでいくらか安堵が広がるのを感じた。それでも普段はしないミスをたくさんし、傷だらけになりながら演奏した。とにかくいっぱいいっぱいだった。
 弾き終えたこと、そして入賞できたことにほっとしつつ興奮冷めやらぬまま帰宅して、一日ぶりのまともな食事をとりながら、こんなに緊張したのは、先生の期待もあるし、前の年に入賞できなかったから今度こそは入賞しなければとどこかでプレッシャーをかけていたせいだと考えた。
 ところがその数週間後に受けたコンクールの予選でも再び同じ状態に陥った。そして、ボロボロながらもどうにか形を保てた前回とは違って、今回は人生で最大の、自分でも何が起きたのかよくわからないほどの大きなミスをした。ある変奏の左手の動きが真っ白になってしまったのだ。その変奏以降はショックがあまりに大きかったため、逆に難しい変奏でもミスをしないくらい妙に冷静になっていた。ボーっとした頭のまま帰宅して、会場にいた先生から失望の電話がかかってきた。先生は、その曲の私の演奏を好んでいてくれただけに余計に残念がっていた。
 絶対に予選は通らないし、通りたくないとさえ思った。他の出場者にしてみれば有り得ない話だろうが、その時の私にはそう考える余裕さえなかった。
 数日後、予選通過の知らせを絶望的な気持ちで受け取った。先生や事務局からの連絡を絶つために携帯の電源を切って、棄権するかどうかを考え始めた。棄権したいと先生に電話をすると、一次を通過するだけでも大変なことなのにとんでもない、と必死で引き止められた。泣きながら棄権しない決断をして、落ち着かない気持ちのまま中日をやり過ごし、当日はやはりとにかく弾き終えるんだとだけ考えつづけて、今度は特に大きな失敗もなく弾き終えた。次のステージには通過しなかった。
 コンクールという競争の場で弾くのが怖くなっただけで、演奏会なら大丈夫なはずだと今度は考えてみたが、演奏会前にも同じような騒ぎを起こしてしまった。
 自分の好きな音楽を、自分の演奏で誰かに聴いてもらえること。それは自分にとって最大の喜びであったはずなのに、それが最大の苦しみになってしまった。今でも、どうしてあの本選会を境にそうなってしまったのか、はっきりとはわからない。
 音楽への愛が失われたわけではなく、相変わらず演奏会に足繫く通って感動していたし、弾きたい曲も次から次へと浮かんできた。しかし人前で弾くことだけは苦しみのままで、機会が訪れる度に眠つかれぬ夜を過ごし、時に薬に頼りながらもどうにか不安と付き合っていかざるを得なくなった。
 ピアニストになりたいと思って以来、迷わずにこの道を進んできた。しかしこうして演奏することが恐怖の対象になってしまったら、どうすればいいのだろう…? 私は自分の進路が本当に正しかったのかと悩むようになった。同世代の人の演奏を聴く機会があると、「世の中にはこんなに堂々と達者に弾ける人たちがいるのに、どうして自分などが弾くのだろう」と卑屈になっていた。その一方で、自分の演奏によって音楽を他者と共有する喜びへの希求も捨てきれないでいた。
 これは今現在の自己分析なのだが、恐らく私は演奏家であるには少々自己肯定力が弱すぎるのかもしれない。どんな分野であれ、表現するからには、最後の最後には自己を力強く肯定しなくてはならないが、作曲家や作家ではない、演奏家や俳優のような、「人前に出て表現する」タイプの表現者は特にそれが必要とされるだろう。
 毎日が楽しくて仕方がなかった最初の2年間とは反対に、あの本選会以降はずっと心が曇り続けていたが、卒業試験を迎える頃には、不安との付き合い方は少しずつ掴み始めていた。そして試験の翌月、あのコンクールの副賞として与えられた演奏会に出演した。ソロをまとまった時間演奏するのは久しぶりだったので、試験以上にずっと不安の種であり続けていたのだが、その分、準備の時間にはこれまでにない密度があったような気がする。
 まあ恥ずかしくない程度ではあっただろう、皆集中して聴いてくれたようだし、今の自分にはこれが精一杯かなと思いながら、終演後に聴きに来てくれた友人や後輩、知人に会うと、彼らの顔色や感想を話すトーンが違った。これまでには接したことのないような、実感が籠っているように感じられた。
 真に迫った表現を生み出すためには、自分を削っていかなければならないのだろう。苦しみ藻掻き続けてきた時間が、自分の演奏に何かをもたらしてくれたのは間違いない。そしてその「中身」は、どうやら客席にも伝わっていたようだった。
 翌朝、携帯を開くとメッセージが届いていた。それは、あのコンクールで受付のアルバイトをしていた同級生からだった。彼女も、昨日の演奏を聴いてくれていたのだ。
 そこには、(音大という)妙なライバル意識が働いてしまう環境にいたためにピアノが好きだという気持ちを忘れていたような気がするという内容のあと、「私は周りと音楽を比べるのではなく、篠村くんのように音楽への愛情を忘れないピアニストになりたい」と書いてあった。
 私より弾ける人、能力がある人、強い人、才能がある人はたくさんいる。でも、弱くても才能がなくても失敗だらけでも、音楽への愛さえあれば、自分が弾くことには確かに意味があるのだ、と思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?