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「強さ」とは何か

東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」にて2019年の1年間担当していた連載エッセイ『ピアニストの音の向こう』(1月号~6月号)『音楽と人生が出会うとき』(7月号~12月号)より数篇、noteでも公開することにしました。
今回は、後者の第3回に掲載された、堀米ゆず子さんのアルバム「バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(全曲)」についてのエッセイを公開します。

 20歳になる年のこと、15歳の自分から手紙が届いた。中学3年のとき、担任の先生の提案で、20歳の自分に宛てて手紙を書いたのだった。
 そこには、「今より強い人間になっていますか」と書いてあった。当時、どんな状況でも自分を貫き通せる、自分の力ですべてを切り拓ける「強い人間」になりたいと切望していたことを、恥ずかしさと共に思い出した。
 今では、「強さ」とは本当にそういうものなのだろうか、と思う。大体、すべてが自分の力だけでうまくいくほど、この世界は単純ではない。
 ヴァイオリニストの堀米ゆず子さんのCDに、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲録音がある。聴いていて、これらの作品が、たった一挺のヴァイオリンで演奏されているということを忘れるほど、壮大で、すべての音に底知れぬ念が込められた演奏である。
 バッハの音楽は、「宇宙的」などとこの世を超越したもののように語られることが多い。しかし、彼女の厳しい眼差しは、作品に付いたそうした手垢や、演奏にまつわる欲などの、音楽の本質と無関係なものを徹底的に削ぎ落とし、人間バッハの打ち震える叫びと祈りを捉えている。
 全曲中最もよく知られたパルティータ第2番の終楽章「シャコンヌ」は、なかでも濃密な感情の吐露に満ちており、聴く度に音楽を「体感」させられる。
 冒頭のテーマが、鋭く切り刻みつけられてゆく。悲哀の歌がていねいに歌われ、変奏の発展とともに大きく高揚し、燃え立つ。曲の中ほどでニ長調に転じ、光が差してくる。次第に輝かしさを増してゆくその光には、傷ついた者の存在を救い出してくれる力強さがある。短調に戻って、最後に回帰したテーマでは、運命を受け入れるようにして、ひとつひとつの音を噛みしめている。
 堀米さんの、音楽を見つめるその眼差しは、自分自身を、そして世界を見つめる眼差しそのものだろう。厳しさと同時に静けさを湛えた響きに、世界と独りで対峙する覚悟と哀しみを感じる。
 昨今、スポーツ選手などの「メンタル力」についてしばしば語られている。なるほど、運をも味方につけ、あらゆる困難を乗り越え成功を獲得することも、1つの強さではあるだろう。しかし、たとえ願いや望みが叶わなかったとしても、人間の孤独と、この不条理に満ちた世界を見つめ続ける精神をこそ、私は「強さ」と呼びたい。    

(初出:東京国際芸術協会会報 2019年9月号)

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