目指せ出版! 日本史のセンセイと行く全国制覇の旅3 縄文時代の大遺跡

 旧石器時代の次には縄文時代がやってくるけれど、縄文時代の特徴の一つといえば当然、縄文土器だ。土器が作られたことによって、人間の生活は大きく変わった。捕ってきた動物の肉を火であぶって食べていただけだったのが、煮炊きができるようになった。こうすることで、それまでは食べられなかったものが食べられるようになったため、人々の食生活は大きく変わったはずだ。じゃあここで質問。世界で最も早く土器を利用したと考えられている文明は、どこの国の文明だろう?

 中国? エジプト? メソポタミアの文明? ブーッ! どれもはずれです。正解はわれらが日本。およそ一万六千年前の土器片が出土しているんです。
「えっ、聞いたことないよ」
という人が多いでしょうね。なぜか同じ県内の三内丸山遺跡(青森県)は圧倒的に有名なのにもかかわらず、世界最古の土器の発掘場所、大平山元Ⅰ(おおだいやまもといち)遺跡(青森県)はほとんど顧みられることがありません。資料館も使わなくなった小学校の一室だけだし、だいたい遺跡自体の管理・保存がまだまだ進んでいない。ようやく世界遺産に指定されて、構成資産の一つとして少しずつ知られるようになってきたけれど、まだまだ知られていない遺跡。近くには遮光器土偶の出土した亀ヶ岡遺跡もあるのだけれど、こちらも大がかりにはやっていませんね。三内丸山や是川(これかわ)遺跡の博物館で同時に扱っている感じになっています。

 2021年にユネスコの世界遺産に登録された遺跡の中で、最も有名なのが先ほどから出ている三内丸山遺跡だということは多くの人が賛成してくれるでしょう。実はこの場所に遺跡らしいものがあるということは、江戸時代から知られていたようです。でも注目を浴びてはこなかった。それが1992年、県営の野球場をこの場所に造るための発掘調査をしたところ、どうやら大規模な遺跡だということが分かった。さらに調査を進めた結果、青森県は遺跡の保存を決定したのです。よかったなぁ、重要な遺跡が守られて。
 三内丸山遺跡の中で最も知られている復元建物は六本柱の「大型掘立柱(ほったてばしら)建物」でしょう。見張り台や祭壇のようなものの跡と考えられていますが、おどろくべきはそのスケールの正確さ。縄文時代にどうやって正確に測ったのか、柱の穴が直径2m、穴の深さが2m、穴の間隔が4.2mと共通しているんだ。それだけでなく、4.2m間隔というのは富山県や岐阜県の縄文遺跡からも発見されている単位で、ひじから指先までの長さおよそ35cmを尺度として、その12倍の長さで建物を建てていると考えられている。縄文文化がこんなに進んでいたなんて、ちょっと信じられないよね!
 かつて縄文時代は狩りと採集の時代で、農業の始まりはコメ作りの技術が伝わって弥生時代になったと考えられていました。農業が始まるということは指示を出す人と作業をする人が分かれるということで、これが身分の発生と考えられてきたんだ。でも三内丸山遺跡を調べてみると、人々が食べていたクリは、自生したものではなくて栽培されたものであることが分かった(DNA鑑定ってすごい!)。農業の始まりは弥生時代ではないことが分かってきたんだね。しかもさっきの巨大な建物を造るのだって、リーダーと実際に作業をする人はきっと分かれていたはず。それまで知られていた「縄文の常識」をいっぺんにひっくり返してしまったトンデモナイ遺跡、それが三内丸山遺跡なんだね。ここにも縄文時遊館という資料館があるので、しっかり事前学習してから遺跡を見学してほしい。

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