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「知らなかった」は罪

おはようございます🤗
ここ最近作業をしていて寝るのが0時を超えてしまっています。
私の身体は6時間は寝ないと起きない仕組みになっているのか、目覚ましをかけていても全く起きず、きっちり6時間後に目覚めます。
昨日も1時近くまで作業をしていて、今朝7時に起床しました👀
というわけで、今朝も朝会に参加できませんでした😢

朝会に参加できないと1日の流れが崩れると以前書いていたのですが、それは単なる言い訳だと気がついたので、それはせず散歩を済ませ、8時過ぎにタリーズに来て作業をしています。

起きれなかったことが問題ではなく、起きれなかったことで1日の流れが悪くなるという言い訳をしてやらないのがいけないと気づいたので実践していますが、今まで通り22時までに就寝できるようになるのが理想なので、少しずつ戻していこうと思います。

前置きはこのくらいにして、さっそくいってみましょう!!

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●昨日11/11の西野さんのvoicy、「知らなかった」で逃げることが癖になっている人

僕らは「知らない」ということ=知識不足で失うもの、守れなくなるものって確実にある。

知らなかったは罪だ

例えば、昔は治せなかった病気が治せるようになった。
これは、治し方を知っているから助かるようになった。
治し方を知らなかったら助からなかったという当たり前のこと。
僕らは、病気になったら治し方を知ろうとする。

もっとわかりやすい例でいうと、愛する我が子が突然の高熱にうなされたらまず「突然」とか「高熱」とかネット検索する。
そして病院に駆け込むのか、あるいは薬を飲むのか、とにかく対処法を知ることで我が子を命懸けで助けようとする。
我が子が苦しんでいるにもかかわらず、何もせず「いやー、治し方を知らなかったんだよー」とかは言わないですよね。

あるいは、病気で苦しんでいる我が子を助けるために奔走する親を捕まえて「意識高い系かよ」とか言わないですよね。


ところが仕事となると多くの人が普通に「いやー、知らなかったよー」で片付けようとする。
当然それによってその人を支えてくれているスタッフや家族を守れなくなる。
もっと前にクラウドファンディングのことを知っていれば助けられた思いがあったかもしれない。
もっと前にブロックチェーンのことを知っていれば助けられたスタッフの生活があったかもしれない。
それらは確かに当時は聞いていた、耳には入っていた。
だけど

「知ろうとしなかった」。

にもかかわらず、毎回

「だって知らなかったもん」

と平気で言う。
今の時代、ググればなんでも答えが出てくる時代。

知ろうと思えば知れたのに、知ろうとする努力をしなかったのはお前だろ

メディアの報道を鵜呑みにして、知る努力を放棄して、学びに時間をかけている人間を「意識高い系」と揶揄して鼻水垂らしながら、知らないことによってスタッフと家族の安心・安全を壊したのはその人自身。

知ることができなかったのであれば「知らなかった」で通用するが、知れるチャンスはいくらでもある。
要するに

「知る努力」をするのが面倒臭かっただけだろ

そんなのちっとも優しくない。
家族の未来よりもスタッフの生活よりも、自分の面倒臭いを優先している。

「知らない」ことがあるということは、1つも悪くない。
知らないということが恥ずかしいといっているのではなく、それを知ることで守れるものがあるのに、それを知らないまま放置するのはどうなんだ?ということ。

例えば、「どうやらあの人はうまくいっている、うまくいっている期間も長いのでどうやらまぐれではなさそうだ、どうやら再現性がある」という時に「どうせ何かズルしているに違いない」と知ることを放棄するのと
「あの人はどんな努力をしているのだろう」と知ろうとするのとでは雲泥の差がある。

知ろうとしたことで何も裏技なんてなかった、ただ当たり前のことを当たり前にしていただけだったんだということを知ることだって大切なこと。

否定することは構わない。
けれど知らないことを否定するな。
知ってから否定しろ。

知らないものを否定して、叩いて、散々笑いものにしておいて、その知らないものが生存戦略のメインストリームに上がってきて、選択肢のど真ん中に上がってきて、自分もそれに手を出さざるをえなくなったときに
「そうゆうことだったのか〜、知らなかったー笑」
といっている人が、あまりに多い。

たまたま知らなかったみたいな逃げ方をしているけど、厳密にいうと

「知ろうとしなかった」であって、自分が守るべき家族とスタッフを見捨てたということ。

ここの罪はうやむやにしない方がいい。
今日からやめましょう。


という内容でした。
これもまた「世界で一番楽しい学校サーカス」の田中修治さんのお話や細谷功さんの著書「自己矛盾劇場」の内容とリンクするなと思いながら書き起こしました。

知らないことを否定しないということは意識しているので、あまりしていないと自分では思っていますが、知ろうとする努力を怠ったということは多々あります。

デザインの仕事に直結させると、デザインの流行は日々更新されています。
それを知ろうと思えば知ることがいくらでもできるのに、知ろうとせず、全て終えてからあのデザインにすれば良かった、もっと早くこの技術を知っていればよかったと思うことが多々あります。

目の前にあることでいっぱいいっぱいになってしまっていると、自分が持っている情報量の中でどうにか片付けようとしてしまいます。
でもここを乗り越えないと次のステップにはいけないですよね。

テックキャンプで「毎日デザイン考察をする」と教わって最初のうちは毎日やっていたのに、最近やっていないので色んなことが崩れている気がします。
知っていることをやっていないからですね😞

まだ自分の頭で考える時間が足りていないので、今日もしっかり考えてみたいと思います。

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今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました🤗
みなさまにとって、そして私にとってステキな1日でありますように✨
それでは、いってらっしゃい!!

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