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外国人に内弁慶と言われた私の言語学習の道のり

パラレルキャリアがもてはやされる昨今。本業以外に私に出来ることって何だろう、なんてふと考えてみたりします。

ある時、「副業を考える人は、今まで自分が一番時間やお金を費やしてきたものがヒントになることがある」というのを耳にしました。

なるほど、時間やお金を注ぎ込んできたものは、間違いなく興味や情熱があるもののはず。そして人生をざっと振り返り、次の結論に至りました。

語学の学習。私にとってはこれが答えにあたるだろう、と。

海外旅行にも行ったことがなければ、外国人の友達がいた訳でもなく、海外が特に身近な存在だった訳ではないのに、中学、高校時代に一番好きだった勉強は英語。高校時代には既に周りに存在していた、所謂英語が出来る子たちに劣等感を感じ、大学では敢えて英語以外の言語を身につけたいと、外国語大学の中国語専攻に入学。

ここで壁にぶち当たります。中高の勉強は主に教科書を使って文法やら単語やらを学び、英語の基礎力をつける場でした。でも大学で専攻で言語を学ぶとなると、その言語である程度のコミュニケーションが出来るのは前提となってきます。その上で、その言語が話される地域での文化、社会、政治、経済、歴史等、特定の分野における造詣を深めることが求められます。

そこで、改めて気づく訳です。私は読み書きの勉強はさほど苦ではないけれど、話す、聞くがとことん苦手であることに。特に自ら発言をすること。そもそも日本人はシャイな性格だから、それが災いして英会話が苦手な人が多いなんて言われたりしますが、はい、私が正にそうです。私のような人間がいるから、いつまでもシャイな日本人のイメージが払拭されないのだろうと、そうではないオープンな日本人の人たちに対して申し訳なく思うほどです。

外国語で話す時、テキストに書いてある文を読むなら大丈夫、でも自分で一から文章を作って話すとなると、途端に自信がなくなって声が小さくなって、辿々しくなって、弱気になって、聞き返されたりしようものなら更に自信を失い口をつぐむ始末。大学3年生の夏休みに1ヶ月だけ上海に短期留学をし、ホームステイを経験しましたが、コミュニケーションは全て単語5個くらいを繋いだ超短文会話とジェスチャーで乗り切っていました。良き異文化体験ではありましたが、語学の上達という面においては特段の進歩はありませんでした。

そんな私なので、当然大学の4年間で喋れるようになる、なんていうレベルには到達しません。でもこの間、コミュニケーション能力に長ける他の学生たちは授業では積極的に発言をし、その言語を話す友人を作り、旅行や留学で現地に訪れ様々な交流をし、みるみるうちに話せるようになっていく訳です。

言語習得という面においては、圧倒的に損な性格をしている私ですが、厄介なことに、いつか話せるようになりたいとうその想いだけは大学卒業後も変わりません。

卒業後、社会人になってから私が時間とお金をかけて、続けてきた語学学習。

某中国語スクールでマンツーマンレッスン。某中国語オンラインスクールでマンツーマンレッスン。某大学の社会人向け中国語講座でグループレッスン。カフェで中国人の先生とのプライベートレッスン。

某英会話スクールでマンツーマンレッスン。某英会話オンラインスクールでマンツーマンレッスン。

シンガポールの語学学校で1週間英語のグループレッスンと中国語のプライベートレッスン。

こんなところでしょうか。中国語と英語のレッスン費用全て合わせれば、1年くらい中国留学行けたな、そっちの方が絶対話せるようになってるよな、なんて思ってしまいます。

ここでまた問題なのは、この学習過程全てにおいて、私の人見知り、内気、引っ込み思案精神を発揮してきたこと。グループレッスンよりプライベートレッスン受講が多いのは、グループだとなかなか自己主張できずに話す機会の少ないままレッスンを終えてしまうから。

英会話レッスンでは、ハワイ出身の先生に「怖がらなくていいんだよー。食べたりしないから。」と言われ、シンガポールの学校ではニュージーランド人の先生に、「君みたいな性格の子を日本語で何て言うか知ってるよ。内弁慶。」なんて言われたりしました。中国語レッスンでも「僕が日本語を勉強し始めた時なんて、とにかく何でも日本語で喋ってみたくて仕方なかったけどねーと、勉強しに来ているにもかかわらず中国語をなかなか発しない私を、先生は本当に不思議がっていました。

そして、社会人になってからそんな学習を十数年続けてきた今の私のレベルはと言えば、流暢にはほど遠く、中国語も英語も飛躍的な上達は見られません。ただ、自信の無いなりに、間違った言葉でも、辿々しくても、諦めずに伝えること、伝えようと思えることは、出来るようになってきたと思います。

海外育ちとか、帰国子女とか、語学を比較的スムーズに(もちろんご本人の努力もあってですが、比較的短期間で一定レベルまで)身につけてきた人もいる中で、20年かかっても道まだ半ばの人間もいる訳です。

人より時間をかけて何かを習得する時って、自分は本当に向いていないんじゃないかと思ってしまいます。この経験を活かして、さあパラレルキャリアなんて言えるレベルでもありません。今だってお金を払って勉強を続けている身です。でもだからこそ、人一倍時間のかかる要領の悪い人間だからこそ、こうなりたい自分を目指して努力することの尊さが人一倍わかるはず、自分のこれまでの歩みを人一倍大切に出来るはず。そう信じています。

私は今でもまだ、中国語や英語でコミュニケーションがちゃんと取れたと感じる時には、子供の頃に初めて通う学校で友達が出来た時に感じたような、新鮮な嬉しさに包まれます。

この文章は、内気で引っ込み思案な私のような誰かへのエールで書いた訳ではありません。

いつまでも要領悪く、ジタバタしながらまだ前へもがこうとする自分を見捨てられずに書いた、私自身へのエールです。


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