空の果てのナダル〜ウィンブルドン2008〜
※この文章は08年に書いたものです。先頃引退したフェデラー、最強ライバルだったナダル、ふたつの太陽が競い合った日の記録。
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もちろんベストは実際に足を運ぶことだが、母業嫁業歌手業やってるとそうも言ってられず、スポーツはせめて出来るだけ生放送で観ると決めている。
例えば私がプロ野球をほとんど観なくなったのは、子供が産まれて、夜7時がゴールデンタイムではなくなってしまったからだ(サッカーの代表戦とか、バレーボールとか、息子@5歳と一緒に観るけど、今何点!?あと何分!?あれは誰!?どっちが日本!?と、延々続く質問の相手をしながら試合を追っかけるのはやっぱしんどいっす、笑)。子持ち主婦スポーツウォッチャーのゴールデンタイムは、子供が寝てから深夜にかけて。音楽家という職業柄、もともと深夜は正しい生息時間帯。とは言え家事と子供にエネルギーありったけ持ってかれることも多く、現在いちばんの敵は睡魔という状態ではありますが(笑)。
ま、そんなわけで、時差のある海外スポーツの生中継はありがたい。テニスで言えば、私が全仏・全英に限ってハードウォッチするのは、中継が始まるのがこちらの夜9時〜12時前後という絶好のタイミングだからだ。連夜の寝不足に試合を観ながら沈没する日もありつつ(今年はサッカーのEUROも重なったし)、生放送にこだわる。ビデオに録って観ることはしない。
2008年7月6日、テニス全英オープン男子決勝。試合開始予定は現地午後2時、こちらの午後10時。首尾良く子供を寝かしつけて、テレビの前でスタンバイオッケー。雨のため30分ほど遅れて、フェデラー対ナダル、3年連続同カードの頂上対決は始まった。今年もフルセット?、までは誰もが予想しつつ、期待しつつ。あの時、はげはげの芝生の上では勝負の女神が、作りかけの開閉式屋根の陰ではお天気の神さまが、きっとこっそりほくそ笑んでいたに違いない。なめんなよー。雲が切れて陽射しあふれるセンターコート。テニス史上最高の長くて深いドラマの幕は切って落とされた。
詳しい試合の経過は、きちんと伝えているところがたくさんあるので、細かくは触れない。ほとんど無骨なまでに直進し、自分を動かさなかったナダル。芝への自信とプライドで首の皮一枚つなぎながら、寄せては引くチャンスの波間でもがき続けたフェデラー。
1ゲームにも匹敵するような濃密な1ポイントの積み重ね。イレギュラー。強風。13日間の闘いであちこち芝のはがれたコートの上を横切る雲の影。タイブレーク。マッチポイントをかわしたフェデラーのバックハンドのパッシングショット。ゲーム間に混ざり合って鳴り響く「ロジャー!」コールと「ラファ!」コール。屋根のない最後のセンターコートとの別れを惜しむかのような雨による2度の中断。ロンドンの遅い日没。初めて見るウィンブルドンの夕暮れ。
期待通りのフルセット。ナダルワンブレークアップで迎えたファイナルセット第16ゲーム。フェデラーのフォアハンドがネットにかかり、合計62ゲーム、4時間48分の陣痛は、光の最後のひとひらが完全にフェイドアウトするのと同時に、新しい芝のチャンピオンを産み落として終わりを告げた。現地時間午後9時16分。試合開始から6時間46分。勝負の女神と、お天気の神さまの笑い声が聞こえるような気がした。
もうボールが見えなかった、と、試合後フェデラーもナダルも語っている。でもあの試合をサスペンデッドするのは無理だった、と思う。それも含めて運命だった。そして、何年かにいちどの、もしかしたら一生にいちどのそのような運命の瞬間を目撃するために、私は多分生中継にこだわっているのだ。日本は午前5時16分。夜半に落ち始めた雨が、夜が明けてもまだ降り続いていた。
文字通り観ている方が先に倒れそうな緊迫した展開にこらえ切れなくなると、選手に申し訳ないような気持ちになりながら、テラスに逃げ出して一服する。窓のガラス越しに観る音のない試合は、それはそれで緊張感にあふれているけど。ゲームの合間、のけぞるように夜空を見上げる。この空をたどっていくと、どっかでグラデーションが始まって、朝になり、昼になり、あのすごい決勝をやってるんだなあと思うとわくわくする。
はるか彼方のリアルタイムを思う時、とても自由な気持ちになるのは、なぜだろう。寝不足も省みず生中継にしがみつくもうひとつの理由は、この瞬間にある。喜びも悲しみも戦争も宴会もスポーツも、何もかもが世界のどこかで同時進行しているという気が遠くなるような認識。今まででいちばん悲しかった生中継は、ワールドトレードセンターへのテロと、イラクへの空爆だった。世界はどうしようもなくひとつで、どうしようもなくひとりずつだ。でも、それすら勇気だと思えてしまう瞬間。この雨雲の向こうにある太陽は、さっきまでウィンブルドンのコートを照らしていた太陽なんだと思ったら、あと2時間足らずしか眠れなくてもがんばれそうな気がした。
真っ暗なセンターコートでの表彰式。空の果ての新チャンピオンは、カメラに向かってうれしそうに優勝トロフィーをかじっていた。心からの祝福が、届くかな。届くといいな。世界はそのようにして、どうしようもなくつながっている。そして、今も、どこかで、勝者が、敗者が、継続し、連鎖し続けている。
2008.7.7
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